「可愛いお洋服が買えてよかったわ!」
件の上下セットのほかに、普段着用のブラウスやスカート、部屋で着るくつろぎ着などをしこたま買い込み、二人は店を出た。
戦利品が詰まった紙袋はずしりと重たい。けれどなんとも言えない充実感があって、マーガレットはつい笑み崩れてしまう。
こうして街に出てショッピングをするのは初めてだ。お使いや買い出しはしょっちゅう頼まれていたが、自分のために何かを買ったり揃えたりしたことはない。
目的を達成した後特有のふわふわとした高揚感が心地よく、散々街を歩き回ったにもかかわらず、足取りも自然と軽やかなものになる。帰って服に袖を通すところを想像すると、それもまた楽しかった。
(一緒にお買い物をするお友達がいればもっと楽しい、のかな……?)
いつかそんな友人ができたらいいと、マーガレットはこっそり願いを込めた。
目抜き通りを歩きながら、マーガレットはきょろきょろ辺りを見渡す。
生来好奇心旺盛な彼女は、目に留まった「不思議なもの」についてその都度エドワードに質問を繰り返した。
「ねえエド。あれは何?」
「あれはニュースエージェント。まあ、いわゆるよろずやだな。新聞、雑誌、食べ物・飲み物、駄菓子や煙草におもちゃまで、その名の通りなんでも扱ってるぜ」
「じゃああれは?」
「コーヒーショップだな。コーヒーハウスの現代版で、紅茶よりコーヒーに特化した店のことだ。その昔、コーヒーハウスといえば女人禁制で有名だったんだが、今では御婦人も気軽に入れるようになってるな」
「ほえ~……」
彼の絶妙な返しに思わず感心する。
何を訊いても打てば響くような切れの良さである。
さすがは長いこと王都で暮らしているだけあって、彼の解説には澱みがなかった。
と、そこでエドワードが腕時計に目をやりながら提案する。
「なーんか腹減ったなぁ。せっかく大通りまで出てきたんだし、ここらで何か食べてくか? ちょうど昼飯の時間だし」
「うん。エドがいいなら、あたしもそろそろご飯が食べたいな」
「決まりだな。何か食おう」
「ねえねえ。ずっと気になってたんだけど、あれってなんのお店なの?」
言って、マーガレットは通りの角に出ているあるものを指さす。
そこにあったのは小さな屋台だった。店内では中年の男性店員が黙々と調理をしており、屋台の正面には逆三角形に折り込まれた油紙がタワーのように積み重なっている。
店先からは香ばしくおいしそうな独特の匂いがふわふわと立ち込めていた。
「……ああ、フィッシュアンドチップスの店だな。タラとジャガイモを揚げたつまみだ。揚げたてに塩とモルトビネガーをかけて食べるんだ」
「へえ……。頼むとその場で揚げてくれるのかしら、おいしそう」
「なんだ、あんなのでいいのか?」
「え?」
問いかけると、エドワードは肩をすくめる。
「あれはこの国じゃ定番中の定番とも呼べる料理だぞ。それに、食事というよりはスナックだ。せっかく大通りまで出てきたんだ、もう少しちゃんとしたものを食べようぜ」
「気になるなら帰りに買ってやるから」と言われ、マーガレットはうなずいた。
本音を言えばあのフィッシュアンドチップスというのを食べてみたかったのだが、確かにエドワードのような成人男性には物足りないメニューかもしれない。
(あとで買ってもらえばいいか)
そう自らに言い聞かせると、マーガレットはいそいそとエドワードの隣に並んだ。
***
マグノリアの芳醇な香りが満ちる歩道を並んで歩きながら、マーガレットはうーんと伸びをした。
(いい匂い)
燦燦と降り注ぐ温かな陽光、そして梢から漂ってくる甘い香りに、思わず瞳を細めてうっとりする。散策やショッピングにはうってつけの、とてもいい日和である。
街角にある観光案内板の前へと差し掛かった頃、傍らのエドワードがおもむろに唇を開いた。
「そういやお前、この街は初めてなんだよな。よかったらざっくり説明でもしてやろうか?」
「うん!」
エドワードは笑い、指先をすいと掲げた。
その指先が、地図の上でゆっくり二重丸を描く。
「このピスタサイトって街は、上から見ると環を二つ重ねたような構造になってるんだ。で、中心部――内側の環に当たる部分がこの繁華街エリアだ。このエリアは五つの地区に分かれていて、それぞれセナーテ、エステル、リーベ、カダール、フレデリクと、このエピドートを戦禍から救った五英雄の名がつけられている」
「五英雄!?」
「ああ。四季を司る聖霊なんていうのもいるぞ」
「なんてファンタジックなの……!」
自分が開かずの間に閉じ込められている間に、世の中では随分色んなことが変わったらしい。
五英雄に四季の聖霊……一体どんな存在なのだろう。
「で、その周囲をぐるりと取り囲むのが住宅街のエリアな。さっきの説明に照らし合わせれば外側の環ってところか」
マーガレットはふむふむとうなずく。
「住宅街エリアは貴族、一代貴族、聖職者、異国人、商人と、身分や立場によって住める場所が変わってくる。そして住宅街エリアと繁華街エリアを大きく縦断するように走っているのが王都中央部から伸びる五本の路面電車だ。線路は細かく枝分かれしているから、目的地にたどり着きやすいという利点がある」
「ええっと……よくわからないけど、とりあえず路面電車に乗りさえすればどこへでも行けるってこと?」
「ご名答。あれは繁華街エリアだけじゃなく住宅街エリアまで走ってるからな、通勤通学にはうってつけってわけだ」
「……? 通勤? もしかして貴族も通勤とかするの?」
マーガレットの問いかけに、エドワードはあっさりと答えた。
「ああ、そこからか。言っておくが、財産や領地を持ってる貴族たちでも労働くらいはするぞ。事業のオーナーになったり、領地経営の傍ら大学で教授をやったりな」
「そ、そうなの!?」
「所有する領地を他人に貸して収入を得るパターンが多いが、いくら金持ちでも定職に就かずにぶらぶらしているわけじゃない。逆に位の高い貴族ほど慈善活動やチャリティーに熱心だな。‟ノブレス・オブリージュ”……、高貴なる者の務めってやつだ」
わかりやすい説明に、マーガレットは感心した。
さすがは名家の嫡男だ、説得力がある。
「……話を戻すけど、今俺らがいるこの場所はセナーテ地区な。この地区の見ものといえばやっぱり教会本部だろうな。教皇ベンジャミン猊下がおわすヴァーテル教の総本山だ。あとは女王オクタヴィア様の居城であるリトゥアール城に、国内有数の画学校である‟王立画学院”なんてのもあるぞ」
「女王様がいらっしゃるのはリトゥアール城っていうのね」
「ああ。リトゥアールは古の言語で‟儀式”を意味するらしい。国の≪礎≫である教皇ベンジャミンが人柱として埋葬されたのがかのリトゥアール城だといわれている」
「? ひとばしら……?」
不穏な台詞に眉根を寄せるマーガレットに、エドワードは語った。
教皇ベンジャミンはかつて、国を繁栄させるための生贄として生きたまま土中に埋葬された過去を持つのだと。
「えええっ!? そ、そんなことしたら死んじゃうんじゃ――」
「それが、無事だったんだな。埋葬されてしばらくのち、教皇は奇跡的に息を吹き返したんだ。その奇跡を人々は『神の御業』と呼び、彼のことを女神ヴァーテルに祝福された神の子として崇めた。そして教皇の宝冠をかぶせた……というわけだ」
「す、すごすぎる……。生き埋めにされたのによみがえっちゃうなんて、教皇様、何者……?」
「ちょっとばかし不気味だけどな、エピドートでは誰でも知ってる逸話の一つだ」
いささか血なまぐさい話だが、エドワードによれば、この人柱というのは建国当時から度々行われてきたこの国独自の風習なのだという。聖堂や教会を建てる際にも同様の犠牲が払われていたと知り、マーガレットはびっくりしてしまった。
「……それはそれとして、心配なのは宗教騎士団の方だ」
「宗教騎士団?」
「ああ。普段は聖地巡礼の護衛役や魔物の排斥なんかを率先してやってくれている優秀な騎士団なんだけどな、あいつらは強引な異端審問をすることでも有名なんだ。お前みたいなやつは恰好の標的だろうな」
未だきょとんとしているマーガレットに向き合うと、エドワードは諭すように言う。
「協会幹部の連中は異端の存在に対して鼻が利くともいう。奴らの逆鱗に触れないよう、できるだけ用心しておいた方がいいだろう」
「わかったわ、気をつける」
……とは言ったものの、何をどう気をつければいいのだろう?
鼻が利くというのなら、マーガレットごときがいくら頑張ってもすぐに見つけ出されてしまいそうな気もするが……。
すると、そこでエドワードは安堵させるようにマーガレットの頭を撫でた。
「安心しろ。お前はもう俺の家族なんだ。みすみす危険な目に遭わせたりはしないさ」
「エ、エドぉぉ〜〜……」
「お前を協会の連中に売り飛ばすなんざ絶対にしないから。ま、その分店ではしっかり働いてもらうけどな」
「うう……あたしったら自分のことばっかりエドに押し付けちゃってるわね。ごめん……」
「少しでも悪いと思ってるんなら、これから俺のサポート役をしっかり頼むぜ。まずは基本の家事を覚えてもらうかな。ウェイトレスとしての仕事は追々教えるから、ひとまず家のことを一通りマスターしてくれ」
「まっかせて!」
確かに、今の時代の家事はできるだけ覚えておいた方がいいだろう。何よりエドワード一人にすべて押しつけるのはなんだか忍びない。
彼の同居人としてやれることは何でもやろうと、マーガレットは意気込んだ。
(キッチンにあったあの魔法みたいな道具を動かすのよね。そう考えるとなんだかわくわくしてくるわ)
「ふふふ」
「なんだ、どうした」
「ううん、本当に一緒に暮らすんだなあって。……あなたの『家族』、そしてパートナーとして、改めてよろしくね、エド!」
エドワードは呆気に取られていたが、やがて目元を緩めてふっと微笑した。
「……ああ」
***
ひとしきり街の解説を終えると、エドワードは再びマーガレットを連れて歩き出した。目抜き通りの一角に今とても気になっている店があるのだという。
「……っと。ここだな」
クリストファー通り唯一のレストラン街に入り、道なりにしばらく進む。
するとそこには一軒の喫茶店があった。
モノトーンを基調とした落ち着いたたたずまいは、ちょっとした大人の隠れ家のようだ。
頭上の看板には「アドヴォカート&ベイリーズ」とある。店先にはパンジーとビオラを植えたテラコッタの鉢が並び、花々の合間ではウサギと鹿の置物が無邪気にポーズを取っている。
店内はほどよく灯りを落としたムーディーな雰囲気で、出窓には大輪の薔薇を活けた陶器の花瓶が飾られていた。
「きゃあっ、お洒落なお店ね!」
「ここ、セナーテ地区で今一番人気のある店って言われてて、俺一度来てみたかったんだよな」
マーガレットはずいと身を乗り出した。
「なるほど、敵情視察ってわけね!?」
「おい、あんまりでかい声でそういうこと言うなって……! ただ昼飯食いに来ただけなのにこんなところで追い出されたら困るだろうが!」
「ふがふがふが……っ!」
口を塞がれ、マーガレットは目を白黒させた。
「とにかく、俺が同業者だってことは秘密にしてくれ。競合店の視察に来てるってわかったら、向こうだって面白くないはずだ。店主に嫌な思いはさせたくない」
「う、うん、わかった」
店内に案内された二人は、ホールを見渡しながら感嘆の声を上げた。
「うわぁ、綺麗なお店……」
「さすがは名店、テーブルセッティングが見事だ。エピドート人の趣味趣向をよく理解してるな……」
温かな光を湛える瀟洒なシャンデリアに、綺麗に木目の揃ったウォールナット材のテーブル。その上には繊細なレース編みのテーブルクロスと、小ぶりの野花を挿した花瓶が品よく置かれている。
「このテーブルクロスはお店の人のお手製なのかなぁ……、ステキ」
「壁にかかった絵画も趣味がいいな。水彩画の穏やかな色調が店のムードによくマッチしてる」
「そうね。絵が一枚あるってだけで、だいぶお部屋の印象が変わってくるわね。シックな雰囲気になったり、明るくなったり……」
「この室内装飾、うちでも真似てみるか……?」
やがて、年配のウェイトレスがメニューとお冷を持って現れる。
「お待たせしました、こちらメニューになります」
テーブルの上にメニューを広げ、二人はしばし紙面とにらめっこした。
「うーん……。さすがは人気店、客のツボをうまく押さえたメニューばっかりだな」
「うわぁっ……! 見たこともないようなご馳走ばっかり! すごいすごーい!」
マーガレットの歓声に、周囲の客がびっくりしたようにこちらを見る。
エドワードは慌てて彼女をたしなめた。
「しっ! バカ、声がでかいんだよ、お前!」
「あ、ご、ごめんなさいっ。お騒がせしましたぁ〜!」
てへっと笑い、マーガレットは周囲の客に向けて頭を下げる。
そそくさと居住まいを正すと、二人は再度メニューに見入った。
「黒ビールで煮込んだビーフシチューにウェルシュレアビット、鶏肉とチーズのポットパイ……。悔しいけどどれもうまそうだな……」
「ねえねえ、エド。あたし、このサンドウィッチが食べてみたい」
言って、マーガレットはメニューの一つを指し示す。すると、彼は彼女の手元を覗き込みながら言った。
「……ああ、クラブハウスサンドか。いいけど、全部食えるのか? 結構ボリュームあるぞ、これ」
「だってお腹ぺこぺこなんだもん、ここはしっかり食べたいわ」
「まあいいか。もし食べきれないようだったら俺が手伝ってやればいいんだしな」
エドワードはそこでぱたりとメニューを閉じた。
「どうせならドリンク付きのセットにしようと思うけど、お前もそれでいいか?」
「いいわ。飲み物があった方が嬉しいし」
テーブルの上の呼び鈴を鳴らすと、エドワードはやってきたウェイトレスにオーダーする。
「クラブハウスサンドウィッチをドリンク付きで二つ」
「お飲み物は何にいたしましょう?」
「あ、あたしはミルクティーでお願いしますっ」
「じゃあ俺はプレーンで。どっちもホットにしてください」
「食後にデザートがお付けできます。お好きなデザートをこちらからお選びください」
まさかデザートまでつくと思っていなかったマーガレットは仰天した。
香ばしく焼き上げたチーズタルト、季節のベリーをこんもりと乗せたパイに、二羽のちょうちょが愛らしく羽ばたくバタフライケーキ、茶葉で味付けしたクリームを挟んだ紅茶風味のシュークリーム……。
甘党ならば大喜びしそうな豪勢なデザートの名称が写真付きでずらりと並んでいる。
(うわぁ……、おいしそうなのばっかり。しかもこれも料金のうち、なのよね……? 改めて考えるとすごいわ……)
「マッジ、どれがいい?」
「えと、えと……!」
散々迷った末、マーガレットは一番右端のメニューを指して言った。
「じゃ、じゃあ、このアップルパイを……」
「ふーん……、確かにうまそうだな。じゃあアップルパイを二つ」
「かしこまりました」
ウェイトレスの姿が遠ざかると、マーガレットは小声で問いかける。
「……よかったの? 同じの頼んじゃって」
「ん? いや、だって、うまそうだったから」
あまりにシンプルな回答が返ってきて、マーガレットは拍子抜けした。
しかし、男性というのは案外こんなものなのかもしれない。
それに、相手のオーダーしたものがおいしそうなメニューであれば自分も真似して頼んでみたくなるのが人の性というものだろう。そう考えてマーガレットはくすっと笑った。
(もう。意外と子供なのね、エドは)
二十二という年齢にそぐわない無邪気さに、マーガレットの頬がついつい緩む。
そういえば弟のヒースも村を出るまではこんな感じだった。マーガレットの後を子犬のようについて回り、面白そうなことがあれば自分も自分もと声を上げた。
あの時自分が人買いに連れられてエーデルシュタインを出なければ、きっともっと一緒にいられたのだろう。弟の成長する姿を間近で見られなかったのは本当に残念でならない。
(ヒース。あなたは一体どんな一生を送ったの……?)
そこでふいに、ヒースに対する一抹の申し訳なさが湧き起こる。
本来であれば、マーガレットもヒース同様、とっくに自らの生を終えて女神の御許に召されていたはずなのだ。
なのに、自分だけがのうのうと新たな生を謳歌している。新しい命を与えられ、今もなおこの時代の人間として厚かましくも生き永らえてしまっている。
どうして自分がこんな風に生きた人間の姿を取れるのか、どうしてこの世界に再び生を享けたのか。それはまだわからない。
しかし、肉親を時空の狭間に置き去りにしてきてしまったような妙な罪悪感があり、マーガレットはきゅっと唇を噛みしめた。
「どうしたんだよ、暗ーい顔して」
「へっ?」
「いや、なんかさっきから辛そうな顔してるからさ。それに、妙に猫背になってるし」
「な、なんでもないわ。ちょっとだけ考え事」
「本当か?」
「うん」
すると、エドワードはにやりと笑って揶揄する。
「ま、俺の勘をあんまり甘く見ないことだな。大人の男を見くびらない方がいい。お前は色々とわかりやすいし、今何を考えてるか当てるのなんていかにも簡単そうだ」
「もーう! 何よ何よ。‟大人の男”? まだ二十二歳でしょ、エドは!」
「‟まだ”じゃない、‟もう”だ。二十二はこの国では立派に成人してる年だ。それに比べればお前なんざまだまだひよっこだな」
「そんなことないわよ、あたしの方があなたよりずっとずっとお姉さんなんだからっ! 大体、そうやっていい気になってるところが子供なのよっ! 偉そうにしちゃって!」
「なんだよ、ったく。子供扱いされたくないならあんな風にわかりやすくしんみりしなきゃいいだけだろ。俺に言わせれば、感情をすぐ表に出す奴の方がよっぽどガキだね」
「なんですってぇええ!?」
「まあまあ、仲良しねぇ。うふふふふ……」
サンドウィッチを運んできた年配のウェイトレスにくすくす笑われ、二人は渋々口論をやめた。
「……まあ、先に飯にしようぜ。お前の相手は食べ終わった後にゆっくりしてやる」
「ふんだ! あたしだって腹ごしらえさえすれば負けないもん!」
二人は視線だけで激しくやり合い、次の瞬間どちらからともなく皿の上のサンドウィッチに手を伸ばす。
「さてと……」
「いっただっきまーす!」
具材が動かぬようピックで丁重に固定されたサンドウィッチを、二人はほぼ同時に持ち上げ、口に運んだ。
ひとくち噛みしめた途端、マーガレットはペリドットの瞳をきらきらと輝かせた。
「ふわあ……、おいしい~! ベーコンが肉厚でぷりぷりしてるっ!」
「……うん、うまい。具材は新鮮だし、味付けも上手だな」
焼いたパンの間には、厚切りにしたベーコンやチェダーチーズ、スライスした茹で卵、レタス、トマトなどがぎっしりと挟んであり、そこにぴりりと辛いマスタードがアクセントを添えている。
(こ、これは確かにボリューミーだわ……!)
エドワードが心配するのもうなずける。何せものすごい厚みと量なのだ。
サンドウィッチはひとくちでは頬張り切れないくらい分厚く、うっかりすると顎が外れそうになる。
二人はしばし無言でクラブハウスサンドウィッチをぱくつき、合間に添え物のピクルスをぽりぽりと咀嚼する。これもまたいい漬かり具合で、癖も香りもさほど強くなくて食べやすかった。
さてもうひとくち……とサンドウィッチに歯を立てたところで、マーガレットは目を見開く。
「……! すごいすごい、ベーコンの影からローストチキンが出てきたっ!」
「……ああ、ちゃんとした店だと大抵両方使ってることが多いな。クラブハウスサンドはそもそも具沢山なのがウリだし、歴史あるホテルなら具材もボリュームもかなりこだわってたりする。家庭用にこしらえた簡易版だともうちょっとシンプルなんだけどな」
マーガレットはその説明にいたく感動した。
こんな素晴らしい料理が誰にでも安価で食べられるなんて、なんていい時代になったのだろう。
歴史のあるいいホテルならもっと凝ったものが出るとエドワードは言うが、この店のサンドウィッチだってじゅうぶんすごいと思う。
食べかけのクラブハウスサンドを両手で後生大事に握りしめ、彼女はうっとりと声を上げた。
「すごい……、喫茶店、最っ高~……!」
「おいおい、黙って食えよ。っていうかこぼしてるし」
「何よぅ。エドだってじゅうぶんお行儀悪いじゃない!」
「俺は男だからいいんだよ」
「もう! 言ったわね、この男尊女卑男っ!」
「――うふふ。二人ともとっても仲がいいのね」
二人ははたと声のした方を見た。
そこには若い女性客が二人おり、ティーカップを片手にころころと笑っている。
エドワードは年端のいかない少年のようにふんと鼻を鳴らした。
「別に。俺はただ養ってやってるだけだし」
「まーっ! 大事な同居人相手になんて口の利き方するの! あたしがいるからエドは一人ぼっちでいなくて済むんでしょ! こーんな美少女と一つ屋根の下で生活できるんだから、もっと感謝しなさいよ!」
マーガレットの言い回しに、女性たちは顔を見合わせ、「も、もしかしてロリコ……」「しっ!」などとささやき合う。
エドワードはたちまち苦虫を噛み潰したような顔になり、低い声で吐き捨てた。
「俺はロリコンじゃない……っ!」
憤るエドワードを尻目に、女性たちはマーガレットにこそこそと教え諭す。
「お、お嬢さん、何か困ったことがあったら誰か信頼できる人に相談するのよ? 何かあってからじゃ遅いんだからね?」
「ふえ?」
「何もありません!! こいつは親戚の子です。家にいられない事情があって、今うちで預かってるんですよ!」
「まあ、そうなの? あ、あら、ごめんなさい、私ったら……」
ようやく一件落着か……と胸をなでおろしたエドワードだったが――
「でもやっぱり心配ねぇ。何しろとっても可愛いお嬢さんだから」
「あなたも同居してるからってヘンな気起こしちゃダメよ? 一歩間違えたら一生を棒に振ることになるんですからね?」
「だから、ならないっつってんだろ……!」
ギリギリギリ、と拳を握り、エドワードは舌打ちとともにダン!とテーブルを叩いた。
***
「さーて、買う物は買ったし、子羊亭に帰るとするか」
「うんっ」
あらぬ誤解をされてエドワードはやや機嫌が悪かったものの、「アドヴォカート&ベイリーズ」でのランチはとても満足いくものとなった。
食後にデザートとして供されたアップルパイもおいしかった。温かくして上にあつあつのカスタードクリームをかけたもので、これもクラブハウスサンドウィッチに負けず劣らずいい味わいだった。
クッキング・アップルとシナモンパウダーが贅沢に使われた逸品で、本のように分厚いクラブハウスサンドウィッチを平らげた後であるにもかかわらず、「お腹がいっぱいになるまで食べたい味だ」とつい思ってしまった。
「あのとろっとろのカスタード、最高だったわねぇ……」
「今度うちでも作ってみるか……。店に出すかどうかは置いといて、休みの日に二人で食べてもいいだろ」
「さんせーい! エドのお菓子食べたーい!」
「いいけどお前、ちゃんと手伝えよ」
「いえっさー!」
敬礼の真似事をしてみせるマーガレットに、エドワードは噴き出した。
「ふっ……! ったく、調子のいいヤツ……」
そこでエドワードは携えた紙袋を「よいしょ」と持ち直した。
中にはクリストファー通りの老舗食器店で買い求めたカクテルグラスやカトラリーがぎっしり詰め込まれており、エドワードは時々難儀そうに紙袋の持ち手を握り直している。
マーガレットはおずおずと声をかけた。
「あの、荷物一つ持ちましょうか? なんだかあんまり重そうだから……」
「いや、いい。レディに重たいものなんか持たせたら母さんに怒られる」
「……。エドって、ロリコンの上にマザコンなの?」
「はあ!? 肉親を大事にして何が悪いんだ。ったく、変な言いがかりをつけるなよ……」
「何よぅ、ちょっとからかっただけじゃない~」
「馬鹿なこと言ってないで行くぞ」
エドワードの鷹揚な態度を若干煙たく感じてしまい、マーガレットは半ば憂さ晴らしのようにつま先で路傍の小石を蹴る。
(……いいなあ、エドは。お父さんもお母さんもいて)
マーガレットは親の顔をほとんど覚えていない。
そのため、先ほどのやり取りでもついそんな羨望の気持ちがうっかり口をついて出てしまった。
エドワードが紳士的な対応を心掛けてくれているのはよくわかっていた。
けれど、そういう肉親から愛されている人の気持ちというのがマーガレットには単純によくわからないのである。
(あたしの両親、か……。娘を娼館に売るような親だもん、きっと冷たい性格をしてたんだろうな……)
エドワードには便宜上、「口減らしのためにしょうがなかったのだ」と説明したものの、マーガレットは未だ自分の親のことを許せずにいた。売られた場所が場所だったし、何より年頃の娘が両親に物のように扱われて悲しくないわけがない。その頃の恨みつらみもあって、自分の親のことはもはやいないものとして扱うのが当然のことになっていた。
エドワードの話を聞いている限り、彼の両親はそこまで道徳心に欠けた人物ではなさそうだ。
清らかで、真面目で。三人のきょうだいたちを愛情深く熱心に養育する……、そんな人物像が思い浮かぶ。
だが、マーガレットはそんな「愛」を知らない。
そんなマーガレットが温室育ちのエドワードに対してつい憎まれ口を叩きたくなってしまうのもある意味仕方のないことなのかもしれなかった。
(ほんと、子供っぽくて嫌んなっちゃうな……)
「……どうしたんだ? 疲れたか?」
「え、う、ううん……!」
「あとちょっとで家に着くから、もう少しだけ頑張れよ。路面電車に乗ってしまえばすぐだ」
マーガレットの複雑な心中を知ってか知らずか、エドワードはそっと彼女の手を掴んだ。
大きな手のひらの屈託のない温かさに、どういうわけか泣きそうになる。
「お、ちょうど来たな」
通りに敷かれた線路の上、セナーテ線の路面電車がゆっくりホームへと滑り込んでくる。
そのまま路面電車の中へ乗り込もうとした二人だったが――。
「……エドワード坊ちゃん?」
背後で聞こえたそのかすかな声に、エドワードはぴたりと動きを止めた。
声のした方をゆっくりと振り返り、そこに佇んでいた赤毛の男性の姿に息を呑む。
「……お前は……」
「ああ、やっぱり……!」
赤毛の青年は、そのままエドワードめがけてまっしぐらに駆け寄ってくる。
そして携えていたトランクを放り出し、その首根っこにがっちりと齧りついた。
「おっ、お会いしたかったですぅ、坊っちゃああああん……!!」
「――ネイサン!?」