第十章 公主たちとのひととき

 
 一行は公主たちの住まいに足を踏み入れた。
 ピヴォワンヌは、赤で統一された劉風の室内をきょろきょろ眺める。
(ここ、宮城にあった二人の部屋とそっくり。劉にいた頃の室内装飾をうまく再現してるわね)
 あちこちに小型の吊り灯篭や房飾りが吊るされた賑やかな部屋だ。いくつか置かれた卓子は磨き抜かれた紫檀でできた一級品で、部屋の照明は燭台の替わりに行灯が使われている。
 背の低い飾り棚の上には公主たちがたしなむ琵琶が並べられており、隣には香炉と広げた舞扇子が品よく飾られていた。質素な色合いの花器には秋の花が整然と生けられている。
 ピヴォワンヌとクララは公主たちによって紫檀の円卓へ導かれた。
「どうぞ、座って。今お茶を用意させるわね」
「わらわたちに遠慮せず、どうかくつろいでくださいましね。クララ姫様」
「は、はい……」
 クララは彼女にしては珍しくぎこちない笑みを浮かべた。
 
 
 一方、ユーグとアベルは女性たちのお茶会の輪には加わらず、彩月とともに男同士でつるんでいた。
 部屋の隅に置かれた小型の卓子に案内され、彩月によってもてなされている。
「よーし、んじゃ、俺らは俺らで茶にしようぜェ。あ、あんたら煙草平気か?」
「んー、僕は喫わないけど別に平気かな。ユーグ君はぁ?」
「平気……ではないが、まあ許容できる」
「おーおー。見かけ通りあんたらもおとこだねェ。ついさっき煙草嫌いのヤツに会ったばっかだからなんかほっとしちまったぜ」
 彩月は嬉しそうに笑って支度を始めた。手慣れた所作で茶を注ぎ、二人の前にどんと置く。
「夜なら酒を出すところだけどよ。ま、今日のところはこれで一服してくれや」
 そう言って彩月は熱い茶を二人に勧めた。自分の茶碗を卓子に置きつつ煙管を咥えて火をつける。
 アベルはふるまわれた茶をひとくち飲むなり目を輝かせた。
「おっ、なんだかスモーキーな味がしますね」
「劉の高地で採れる最上級の茶葉でな。蘭みてぇな独特の香りが強いんだ。あんたら運がよかったなァ、そりゃ最近出回り始めたばっかの新茶だぜ」
 言いながら、また煙管を咥えて深々と吸う。どうやら茶よりも煙草の方が好きらしい。
「あの……よろしければお茶と一緒にこちらをどうぞ」
 つたない大陸語で饅頭の蒸籠せいろを差し出す侍女に、アベルはその手をしっかと握りながら言った。
「ありがとう。可愛いね」
 うっと詰まるユーグとは対照的に、彩月はさもおかしそうに笑い転げている。
「ははははは! あんたやるねぇ。早速ウチの侍女を口説こうってか」
「どうもどうもー。いやぁ、僕、チャンスは絶対モノにしたい派なんでー」
「くっ……、自由人たちの集い、か……」
 すっかり意気投合してしまった二人を尻目に、ユーグは苦虫を嚙み潰したような表情で茶碗を傾けた。
 
 
 朱塗りの卓子に腰かけながら、ピヴォワンヌは苦笑した。
「あっちはあっちで馴染んでるわねえ」
「本当に。びっくりするくらい打ち解けていますわ」
 侍女に冷たい薄荷茶を注がせながら、玉蘭が肩をすくめる。
「まあ、彩月もなんだかんだ友達が少ないのよね。知り合いが増えるのはやっぱり嬉しいんじゃないかしら」
「まあ、お友達が少ないのですか……? そのような殿方には見えませんでしたが……」
 不思議がるクララに、玉蘭は頬杖をつきながら解説した。
「ほら、あの人って見るからに一匹狼でしょ。一人でもかまわないみたいな態度取りがちだし、周りに誤解されるような発言ばっかりするし。こっちの宮廷じゃわりといつも孤立しちゃってるわ」
 宝蘭が擁護するように付け加える。
「嫌がらずにわらわたちの面倒を見てくれるし、いつもきちんと守ってくれるから、仕事の腕前は完璧だと思うのだけれどね……」
「まあね。ちょっと母様に贔屓されすぎかなとは思うけど、別に悪いやつじゃないのよねー」
 ピヴォワンヌはそこでつい玉蘭の言葉を反芻してしまった。
(“誤解”……)
 ピヴォワンヌは先日の彩月の発言を思い出した。
 つい額面通りに受け取ってしまったが、あれはもしかするとピヴォワンヌを鼓舞するための発言だったのかもしれない。
 もしもあれがピヴォワンヌを貶すためのものではなく、励ますためのものだったとしたら?
(もしかしたら、彩月は戦えるあたしのことも買ってくれてたのかも……)
 あれは、たとえ復権しても誰かを守れる人間でいろという意味だったのかもしれない。
 ただ窮屈な世界に押し込められたまま終わるのではなく、生来持ち合わせた武術の腕前もきちんと磨き続けろ。お前にはそれだけの能力があるのだから。
 きっとそうした意味を込めた彩月なりの激励の言葉だったのだろう。
(それをあたしは……!)
 彩月に対してひどく申し訳ない気分になってきて、ピヴォワンヌは思わず部屋の隅で団欒に興じている彼を見た。
 すると、その視線に気づいたのか、彩月が煙管を手にしたままゆっくりと振り返る。
 ピヴォワンヌはそろそろと両の手を合わせ、彼に向けて謝罪した。
(こんなことをしたってあいつが受け入れてくれるとも思えないけど……)
 こんなものは所詮ポーズでしかない。ちゃんと言葉を使わなければ感情など伝わるはずがないのだ。
 第一、こんなしぐさ一つで許してもらおうなどという考え自体が甘いような気もしてしまう。
 それなりに人生経験を積んでいる彩月からしてみれば馬鹿にされているように感じるかもしれない。
 ピヴォワンヌはなんとも言えない歯がゆさから唇を噛みしめた。
 もどかしさと気恥ずかしさからしどろもどろになっていると、彼はおもむろに口角を上げた。
 白い歯をこぼしておどけたようににやりとしたあと、何事もなかったかのようにまた前を向く。
 それはたった一瞬の出来事だったが、ピヴォワンヌは自分の想いが彼に伝わったことをその微笑から感じ取った。
 彩月は不器用なピヴォワンヌの気持ちをちゃんと汲み取ってくれたのだ。
 たったそれだけで、胸にほんわりとした温かさが広がってゆく。
 それはまるで小さなともし火が灯されたような微弱な温もりだった。
 けれど、そのたった一つの温もりが、ピヴォワンヌの心をこれ以上ないくらいに勇気づけてくれる。すべてを包み込むように力強く温めてくれる。
 ピヴォワンヌはそこで小さく微笑みを浮かべた。
(……ごめんね、彩月。ありがとう)
 薄荷茶で満たされた玻璃のグラスを両手で握りしめると、ピヴォワンヌはその広い背中をじっと見つめた。
 そして、「自分と彩月は案外似たところがあるのかもしれない」、と考えた。
 
 
 互いに緊張がほぐれてきた頃、クララが公主二人に向けておずおずと訊ねた。
「その……以前歴史書で読んだことがあるのですけれど、劉では女性に纏足を施すというのは本当ですの?」
 クララの問いに、玉蘭が目をぱちくりさせる。
 次の瞬間、彼女はおかしくてたまらないといった風に高らかに笑い出した。
「ぷっ……あははははっ! 纏足ですって? やだもう、一体いつの時代の話をしてるの? 今の劉じゃ纏足なんかしないわよ」
「えっ……」
「だって、纏足なんかしたら歩きづらくなってしまうでしょう。今は公主はもちろん女王だって足を折りたたんで曲げるなんて酷いことはしないわ。玉座を勝ち取るためには戦えることが第一条件。そんな前時代的な風習はとっくに廃れているわよ」
「そう、なのですか……?」
 それまでの居丈高な態度はどこへやら、玉蘭はクララにこくりとうなずいてみせる。
「特殊な嗜好を持ってる人間は今でも好むみたいだけど、あれはあまりいいものじゃないのよ。足が腐って歩けなくなるんだから。普通の感覚を持った男ならまずさせないわ」
 クララはそこでほっと息をついた。玉蘭の感覚が自分のそれとさほどかけ離れていないと知って安心したようだ。
「でもまあ、女性上位の国であることは確かね。女王の命は絶対だし、男たちは女王の子孫繁栄のためだけに囲われているようなものよ」
「えっ……」
 思わず玉蘭を見上げるクララに、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「あら、どこの国でも同じことをしているでしょう。王のために相手をあてがって、その純血を受け継ぐ子どもを一人でもたくさんもうけておくの。そして彼らを淘汰することによってより優秀な子どもを世継ぎにする。一人目が駄目なら二人目に。二人目も無能なら三人目に……。そうやって王の血を生かしてゆく。いいえ、生かし続けてゆくのよ」
 五大国というのは基本的には世襲君主制だ。よって、直系の子孫は一人でも多くいた方がいいのである。
「女王国の形態は特殊なのよね。新しい女王になるためには女王候補たちが命を賭して争わなくちゃいけない。男を選んで伴侶とし、次の国の基盤となるものを形成してゆく。そして自分の一生をかけて守り育てていく……。まあ、何をするにもまず女王の意思ありきの国なのよね」
 ピヴォワンヌはよどみない玉蘭の解説にうなずく。
 劉という国は要は女が統治する場所なのだ。
 女王が自らの意思で番う相手を選び、気に入れば後宮に囲って情夫とする。
 国の支配者たる女王の世話をするのは女たちで、男たちは女王を支えること、そして女王に子をもうけさせることが仕事だ。とはいえ、子が生まれればそこで用なしになってしまう者もいる。女王の寵愛というのは移ろいやすいからだ。
 生まれた女児たちは次の玉座をめぐって熾烈な王位継承争いを繰り広げる。
 母女王の育てた土地と民を守るため、そして、自分の生まれた意味を証明するために。
 こんなに斬新な制度を取り入れている国というのは本当に珍しい存在だった。
 五大国では基本的に男性上位だ。女が政治をするなどまさしく笑止千万であり、そもそも女性は官僚にさえなれないことが多い。
 が、ピヴォワンヌはスフェーンの気取った風潮よりも劉の豪放磊落な気風の方が遥かに好きだった。芙蓉女王や官吏たちがみな大らかで親切だっただけになおさらそう思ってしまう。
 また、女性上位などとはいっても芙蓉は男たちを見下しているわけではなかったし、むしろ政務の上での協力者として一目置くことも多かった。
 そうして上手に男性たちと渡り合っている芙蓉を見ると、単純に「かっこいい」と思えたものだ。要は舵取りがうまいのである。
 クララが感心した風につぶやく。
「劉の女性というのはお強いのですね」
「あら、なんだってそうじゃない。美しく孵化するためには強さを知らなくちゃいけない。強き者とはすなわち美しき者のこと。柳のようにしどけなく揺れているだけが女じゃないでしょ」
 そこで玉蘭は隣の宝蘭と顔を見合わせて勝ち気に笑った。
「ただ己の現状を嘆いているだけでは駄目だと、わらわたちは常に厳しく教え込まれてきたわ。それは劉という大国を統べる者にふさわしい姿ではないからと」
 そこで玉蘭は幾分行儀悪くずずっと音を立てて薄荷茶を啜った。
 慌ててたしなめる宝蘭にもお構いなしで、彼女は卓子の上の饅頭をひょいひょいと口へ放り込んでゆく。
 小ぶりの桃饅頭をごくりと飲み込んでしまうと、玉蘭は「甘ーい」と言っておもてを盛大にほころばせた。
 相変わらず自然体で気取らない少女だ、とピヴォワンヌは苦笑する。
「その……、よろしければわたくしにも公主様たちのお話をお聞かせいただけませんか。気が向いた時でかまいませんが……何やらとても気になるのです」
 クララの言葉に、玉蘭はうなずいた。
「別にいいわよ。けど、わらわの一番は香緋だから、それを超えようなんて考えないでね。わらわにとっての親友は香緋だけよ。まかり間違っても貴女が親友の座へ躍り出るなんてことは絶対にないんだからっ」
「は、はあ」
 二人のやり取りに、ピヴォワンヌは思わず噴き出してしまう。
「もう。玉蘭ったら」
「ふふ。たとえ異国の宮廷に来ても玉蘭は玉蘭のままね」
 宝蘭も水を得た魚のようにはしゃいでいる妹を見つめてふふふ、と笑った。
 この二人は案外馬が合うかもしれない、と、ピヴォワンヌは二人の顔を交互に見やった。
 誰に対してもはっきりと意見したがる玉蘭。
 そして控えめながらも理知的で弁の立つクララ。
 性格こそ違うものの、物事に対してまっすぐに向き合おうとするところや行動力があるところなどはそっくりだ。
(この二人ってなんだかんだ仲良くなれそうだし、もし仲良くなったら怖いものなしかもね)
 ピヴォワンヌはそう思いついてほのかに笑った。
 
 

 

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