その日の夜。
「ううん……、おトイレぇ……」
マーガレットはもそもそと起き上がり、廊下の突き当たりにあるトイレへと向かった。
どうやら夕食時の『ネイサン歓迎会(命名したのはもちろんマーガレットである)』で出されたジンジャーエールを少しばかり飲みすぎてしまったようだ。何しろあんなにおいしい飲み物を口にするのは初めてで、エドワードが止めるのも聞かず大瓶をまるっと一本空けてしまった。
「寝る間際にあれだけたくさん飲んだんだもの、ここは自業自得よねぇ……」
用を済ませ、再びスリッポンの踵をぽすぽすと鳴らしながら部屋へと戻る。
ふああ、とあくびをして部屋のドアノブに手をかけようとした、その時。
「えっ……?」
マーガレットは目を見開いた。
ドアノブを掴んだ手のひらが見る見るうちに透けてゆき、そこにあった金属の硬い感触がふっと消え去る。
「えっ、嘘っ……!」
馴染みのある独特の浮遊感に目を見開き、次いでおぼろげな薄明りを纏い始めた自らの身体を呆然と見下ろす。
ぺたり、と両頬に手を当て、マーガレットは甲高い悲鳴を上げた。
「うわあーん、どうしよう、いきなり幽霊の姿に戻っちゃった〜!」
何せ幽体状態のマーガレットは人間や物に触れることができないのだ。このままではこの姿のまま夜を明かすことになってしまう。否、それどころかまた以前のような怪奇現象を引き起こしてしまうことだって考えられるのだ。
「と、とにかく早くエドのとこ行かなきゃ……! エドに迷惑かけちゃうのだけはいやっ……!」
引きずるほどに伸びてしまった黄金色の髪を虚空に漂わせ、地につかない足をそれでも懸命に動かしながら、マーガレットはふわりふわりと廊下を進む。
……と、その時。
「ひ、光っ……!?」
「え……?」
そこに立っていたのはなんとネイサンだった。
マーガレットと同じようにトイレに向かおうとしていたらしい彼は、宙に浮かぶ正体不明の光の塊を凝視しながらぶるぶる震え出した。
(あ、ま、まずい……、これは――)
マーガレットの制止も空しく、彼はこちらに人差し指を突きつけ、上ずった声で叫んだ。
「お、おばけーーっ!!」
(やっぱり――!)
「あ、あの、執事さん! 驚かせちゃってごめんなさい! けど安心して! だってあたし、これでも人畜無害な幽霊だし――」
「ひいいいい……!」
なんとか事情を説明しようとするも、こちらの声が全く聞こえていないのか、ネイサンは腰を抜かしたまま野ウサギのようにぶるぶる震えている。彼は昼間、マーガレットの髪型を「ウサギのようだ」と言ったが、これではむしろ彼の方がウサギである。
怯えを露わにする彼は、生まれて初めて狩人に遭遇してしまった哀れな野ウサギを思わせた。
マーガレットはさーっと蒼褪めた。
(そうだった……、あたし、この姿の時はエド以外の人と意思の疎通ができないんだったわ……)
だからこそこの邸宅は長いこと「幽霊屋敷」と呼びならわされていたというのに――。
「もうもうもうっ、どうしたらいいのよ~! うわーん、エドぉ、早く助けてぇぇ~!」
「ひいいいいーー! おばけ、おばけ怖い……、怖いですぅぅうう……!」
マーガレットとネイサンはほぼ同時に廊下の中央で叫んだ。
「なんだ、どうした!? 泥棒か!?」
ネイサンの情けない絶叫を聞きつけてやってきたエドワードは、部屋の前でうずくまっている彼を見つけて眉をひそめる。
「……何やってんだよ、ネイサン」
「そそそそ、そこに、おばっ……おばけが出っ……!」
「はあ? おばけだぁ……?」
ネイサンが指し示した先には、金の髪を背に垂らした小柄な少女の姿がある。彼女の全身は蛍のように淡く発光しており、肢体は宙を漂うようにふわふわと浮いていた。
目が合うなり、少女はエドワードに向けて申し訳なさそうに両手を合わせた。
ああ……そういうことか……。
夜闇の中気まずそうに漂っているマーガレットと、それを指さして腰を抜かしているネイサン。
二人を交互に見やって、エドワードは深い深いため息をついた。
***
腰を抜かして立てなくなったネイサンを、エドワードはマーガレットと二人がかりでリビングへ運んだ。
よろけている彼をなんとかソファーに座らせ、自分はリビングの端にあるティースペースへと向かう。
エドワードに近づいた影響か、マーガレットは彼と合流するなりすぐさま元の人間の姿に戻ってしまった。全くもって彼女の身体の仕組みはわからない、と、エドワードは重い瞼を擦りながら小さく唸った。
ネイサンに温かな紅茶とビスケットを差し出すと、エドワードはおもむろに切り出した。
「説明が遅れてすまなかった。こいつはこの一軒家に住み着いている幽霊だ。けど安心してくれ、こいつは悪さは一切しない善良な幽霊だから」
「はあ……、幽霊のお嬢さん、ですか……。それはまた面妖な……」
蒼白い顔で二人の顔を交互に見つめるネイサンに、エドワードは冷静な口調で釘を刺す。
「言っておくけど、俺はこいつを使って客引きをしようと目論んでいるわけじゃない。そこんところ履き違えてくれるなよ」
エピドートでは幽霊屋敷といえば一種のステイタスだ。うまく見世物にできれば、見物人や観光客を呼び込むための絶好のスポットとなる。だから、野心家な家主は霊媒師や術者を使ってなんとしてでも心霊現象の要因を繋ぎとめておこうとする。金に目の眩んだ守銭奴ほど、魔物や幽霊、そしてそうしたものにまつわる伝承を客寄せとして使おうとする傾向があった。
だが、エドワードはマーガレットをそうした「見世物」にしようなどとはさらさら思っていなかった。
彼女はあくまでもエドワードの「家族」であり、店を繁盛させるための小道具などではないのだ。あの邂逅も恐らく縁あってのものだったのだろうし、それを台無しにするような姑息な真似はしたくない。彼女のため……そして何より、自分のために。
「……ですが、彼女は人間ではないのですよね? その……一緒にいて恐ろしくはないのですか」
出された紅茶に手もつけず、ネイサンは不安げな面持ちでこわごわ問うてくる。
「彼女はれっきとした‟異界の住人”です。もともと我々人間とは理も住む世界も異なる存在だ。そんな彼女が恩人である坊ちゃんを害さないという保証はないでしょう」
「こいつは絶対にそんなことしない。お前の言い分もわかるが、それだけは絶対に断言できる」
……そう、他のどんな事情がわからなくても、それだけはわかる。
マーガレットはけして自分を傷つけたりしない。
透き通った若草色の無垢な瞳が――温かな手のひらが、その心に悪意のないことをまっすぐに伝えてくる。
(……どうしてだろう。どういうわけか、俺は絶対にこいつを裏切ってはいけないような気がする)
こちらに向けられるてらいのない表情か、それともいっそ罪なほど無邪気な彼女の態度になのか。それはわからない。
しかし、エドワードがマーガレットの手を振り払いたくないと思っていることは事実だった。
「……約束したんだ。こいつに、外の世界を見せてやるって。生きていた頃に叶えられなかったことを、今この世界で叶えてやるって」
「ですが、魔のものに関しては教会本部の宗教騎士たちが詳しいと聞いています。ここは一旦教会本部に引き渡した方がよいのでは――」
「駄目だ」
エドワードは腕を伸ばし、傍らにいるマーガレットを無意識に庇った。
「こいつは俺の家族なんだ。そう簡単に異端審問官に引き渡すわけにはいかない。そんな風に簡単に約束を破るような人間にはなりたくないんだ」
「エド――」
エドワードの力強い言葉に、マーガレットがぽつりとその名をつぶやくのがわかった。
「……そう、ですか。わかりました。それほどまでに坊ちゃんとこの方の絆は強いものなのですね」
ネイサンが口をつぐむと、リビングルームに恐ろしいまでの沈黙が下りた。
エドワードの父ローレンスは、国の上層部と少なからず繋がりのある人物だ。政治家として国政に介入する機会も多く、当然大陸の守護神たるヴァーテル女神への信仰心も強い。
ヴァーテル教のお膝元たるこの国で、教会本部の干渉を受けずに暮らすことは難しい。エピドートでは政治と宗教は密に結びついており、国主である女王オクタヴィアですら窮地に陥った際には真っ先に教皇ベンジャミンの指示を仰ぐ。それほどまでに政と教会の結びつきは強く分かちがたいものなのだ。
国の権力者であるローレンスに知られれば、きっとエドワードたち二人はただでは済まないだろう。下手をすれば、マーガレットの件を教会本部に密告されてしまう恐れもある。
(どう出るつもりだ? ネイサン)
彼の出方をはらはらしながら見守っていたエドワードだったが……。
「――わかりました。そういうことでしたら、私もお二人に協力します」
「は!?」
「お店を始められるのですよね? ここの厨房係として私も働きます」
またしても予想外の展開にびっくりさせられ、エドワードはソファーの上で思わず身を乗り出した。
「な、何言ってんだお前。お前ほどの能力の高さなら、よそへ行ったほうが早いだろ。無理にうちでなくても――」
「でも、このお店がいいんです。坊っちゃんに協力させてください」
今度はネイサンが身を乗り出す番だった。
彼は胸に手をあてがうと、エドワードを見つめて一生懸命に言う。
「もともと家事は得意なんです。汚い仕事やきつい仕事も喜んでやりますし、何なら家政婦代わりに使っていただいてもかまいません。どうかあなたの店に置いてください」
エドワードが答えあぐねていると、ネイサンはここぞとばかりに畳みかけてくる。
「それに、何かトラブルが起こったとき、坊ちゃんお一人では対処に困るかもしれません。大したことはできませんが、この方の秘密を守るための手駒として、どうぞ私めをお使いください」
そこでネイサンは、二人に向けて深く頭を下げる。
「どうか、お願いします」
「……」
エドワードはがりがりと髪を掻きやると、ソファーの背にもたれ、ふうっと息を吐き出した。
「……はあ。わかった。じゃあ、ひとまず腕前を見せてもらう。及第点なら厨房係にしてやるし、いまいちならお前の言うとおりマーガレットを守るための手駒として利用させてもらう」
「……!」
喜色を滲ませるネイサンに、エドワードは努めて冷静に提案した。
「まずは何か作ってみせてくれ。今日はもう遅いから、そうだな……明日の朝にでも」
その言葉に、ネイサンはぱあっと顔を輝かせた。
「はいっ、お任せください!」
***
――翌朝。
小夜啼鳥による泡沫のセレナーデが終わりを告げ、街のそこかしこで雲雀がのどかにさえずり始める頃。
『子羊亭』のダイニングでは、ネイサン手製の料理を囲んでの試食会が行われていた。
「ふわぁ……! な、何これ、完璧すぎるんだけどぉ……!?」
ネイサン特製のチキンポットパイを口に運び、マーガレットははしゃいだ声を上げた。
こんがりキツネ色に焼けたパイ生地と、その合間からとろりと溢れる濃厚なチーズクリーム。パイの中央では黒つぐみをモチーフにしたパイバードが愛らしくさえずっている。
切り崩したパイを噛みしめると、チーズクリームの海に浮かんだ大ぶりの鶏肉が弾け、中から熱い肉汁がじゅわりと溢れ出す。さくさくしたパイの歯ごたえやチーズクリームのまろやかな味わいもたまらない。
マーガレットは無我夢中でネイサンの手料理を味わった。
「はあぁ……。真鱈のシチューは乳製品のこくと鱈の柔らかさが絶品だし、こっちのジャケットポテトもほっくほくですっごくおいしい!」
もごもごと口を動かしながら絶賛するマーガレットに、ネイサンは恥ずかしそうに頭を下げた。
「お、お褒めにあずかり光栄です、レディ……。これでも料理は得意なんです」
「何言ってるのよ、ただ『得意』ってレベルじゃないわよ、コレ! お店開けそうなくらい上手じゃない! あなた、この料理の腕前さえあれば一生食いっぱぐれないで済むわよ!」
握りこぶしを作って力説すると、ネイサンはてれてれと頭を掻く。
「うう~ん、どれを食べてもおいし~。まるで一流レストランにいるみた~い」
次はどれを食べようかと、マーガレットはフォークを持つ手を料理の上でふらふらとさまよわせた。
「ふうん……。そこまで絶賛するんだからよっぽどうまいんだろうな」
どこか面白くなさそうに言い、エドワードはカトラリーを取る。
手近にあったコーニッシュポークパイを引き寄せると、彼はフォークで切り崩してゆっくり口に入れた。
「……!」
ひとくち歯を立てるなり、そのおもてには隠しきれない興奮と驚きが広がってゆく。
「……うまい。悔しいけど俺の手料理なんかよりよっぽど上手だ。さすがは料理が得意と豪語するだけあるな」
「あ、ありがとうございます」
エドワードが褒めそやすのも無理はない。
何せ、ローストビーフ、スコッチエッグ、チキンスープにジャケットポテト……、どれを食べても完璧な味わいなのだ。
食べる人をむやみに翻弄しない絶妙な塩加減と調味は、まるで彼自身の几帳面で心優しい性格がそっくりそのまま映し出されているかのようだ。
具材に関しても同じだった。野菜は食べやすい大きさに切ってあり、肉や魚はできるだけ軟骨や小骨を取り除いてある。そして咀嚼しやすいよう適度に火を通して具材を柔らかくしてある。
これは食べる人間のことを思っていなければできないことだ。
もしかしたら料理には作った人の人柄が滲み出るのかもしれないとマーガレットは思った。
「どれもうまいな。正直言って、男の料理人に唸らされたのは師匠のところで修業していたとき以来だ。悔しいけど完敗だ」
いくつか試食をしたのち、エドワードはスポンジ生地でストロベリーソースをサンドした大ぶりのケーキを指し示した。
「菓子の焼き加減もいい。特にこのヴィクトリア・サンドウィッチ・ケーキは絶妙な味わいだな」
「旦那様は私のヴィクトリア・サンドウィッチ・ケーキが大好物でして。お邸勤めをしていた頃もお仕事の合間に作らせていただいたりしていました。焼き立てを厨房からお運びすると、それはそれはお喜びになって――」
「父さんの話はするな」
拒絶するように強い口調で言われ、マーガレットとネイサンはびくりと動きを止めた。
「……ですが坊ちゃん。旦那様も奥様も、坊ちゃんのことを本当に心配なさっておいでで――」
「くどい」
ぴしゃりと言い切り、エドワードは静かにフォークを置いた。
「エド……」
「……苦手なんだ。そういうのは」
「何故です?」
おずおずと問いかけるネイサンに、エドワードは簡潔に答えた。
「古くさいと思うからだ」
ケーキの載った皿を置くと、エドワードは一呼吸置いてからゆっくりと語りだす。
「電気や蒸気の発明、タイピストや家庭教師といった職業婦人の台頭、リベラル派の出現。今や時代は刻々と変化しつつある。もう伝統だお貴族様だと抜かしているような時代じゃないんだ。父さんの思想はもう古い。今は貴族であろうが平民であろうが生きるために職を持つ時代だ。それを知らずに、さも自分たちが選民であるかのように振る舞われるのは苛々する」
ネイサンは肩を落とし、小さなため息を一つついた。
「……わかりました。ですが、あなたが旦那様と奥様の血を引くアディンセル家の立派な御子息であるということは、どうかお忘れなく」
「言われなくても、そんなことは俺が一番よくわかっているさ。……これがほんのいっときの猶予期間だってこともな」
エドワードはしばしの間黙り込んでいたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。
「……なあ、ネイサン。まさかとは思うがお前、父さんたちに派遣されてここへやってきたんじゃないよな?」
「ふふっ。まさか。そのようなことはありませんよ。旦那様も奥様も、一介の執事風情にそこまで多大な期待は寄せていらっしゃらないでしょう」
「は、どうだか……」
口角を歪めてニヒルに笑うと、エドワードはすっと表情を引き締めてネイサンの瞳を見つめた。
「お前の料理の腕前が素晴らしいことはわかった。希望通り、この『子羊亭』の一員としてお前を雇おう」
「ありがとうございます」
「だが、俺の前で少しでも不穏な動きをしたら、お前は即刻クビだ。父さんの話を持ち出すのも、人前で俺がアディンセル家の長男だという話をするのも金輪際やめろ」
エドワードは淡々と続ける。
「今の俺はただのエドワードだ。アディンセル家の嫡男ではなく、この『子羊亭』の店主なんだ。ここでは今までみたいなお坊ちゃま扱いはしないでほしい」
「それが坊ちゃんの望みなのですね。わかりました。不肖ネイサン、あなたにご協力いたしましょう」
二人はダイニングテーブルを挟んで穏やかに視線を交わし合う。
エドワードは彼に手を差し出した。
「同じ家で暮らす同居人として、そして俺の店の従業員として……これからよろしく頼む」
その手をぎゅっと握り返すと、ネイサンは力強くうなずいた。
「ええ。こちらこそよろしくお願いします、エドワード」
「……エドでいい」
ぼそぼそと言い、エドワードはそっぽを向いた。
彼が照れているのだということはマーガレットにもすぐにわかった。
大きな口を利いた手前気恥ずかしいのだろう、彼はにこにこと微笑むネイサンを前にきまり悪そうに立ちすくんでいる。
マーガレットはエドワードの腕を勢いよく引っ張ると、テーブルを大きく迂回して、ネイサンの前に躍り出た。
「あたしのことはマッジって呼んでね、ネイサン! 昨夜はおどかしちゃってごめんなさい! エド共々どうぞよろしく!」
「わかりました。では、私も気軽にマッジとお呼びしますね」
「ちょ、腕引っ張るな、袖が伸びるっ……!」
エドワードたちに向き直ると、ネイサンは再度ぺこりとお辞儀をした。
「エド、マッジ。これからよろしくお願いしますね」
「ああ、よろしく」
「一緒に頑張りましょうね!」
***
ネイサンは供されたイレブンジズをゆったりと味わいながら、エドワードとマーガレットの様子を興味深げに観察した。
二人はネイサン手製のスイーツを巡ってまるで子供のような小競り合いを繰り広げている。
「ふふ。明るくて元気いっぱいで……まるで太陽みたいなお嬢さんだなぁ。一緒にいると、こちらまで気分が明るくなってきますよ」
癖のある赤毛を手で撫でつけながら、ネイサンはじゃれ合う二人の様子を微笑ましげに見守った。
と、次の瞬間、その懐から、ひらりと一枚の封筒が舞い落ちた。
「……おっと」
封筒をゆったりした所作で拾い上げると、彼はその紙面に軽く唇を寄せてつぶやく。
「ああ……すっかり渡しそびれてしまいましたね。奥様からのお手紙……」
それはマデラインに託された愛息への手紙だった。
ネイサンが主の妻マデラインの命令によって来るべくして来た助っ人だということを、エドワードはまだ知らない。本当は解雇などされておらず、未だアディンセル家付きの執事であるということも……。
「……まあ、折を見てお話すればいいですね」
未だ年端のいかない子供のようにはしゃいでいる二人を見つめ、ネイサンは小さな微笑をこぼす。
そして何事もなかったかのように封筒をトラウザーズのポケットにしまいこんだ。
***
「ネイサン、おはよう!」
その日、部屋を出たマーガレットは、廊下を行くネイサンの後ろ姿に声をかけた。
「おはようございます、マッジ」
律儀に立ち止まった彼は、そこでにっこりと微笑んでみせる。
「今日は昨日よりあったかいみたいね。この調子だと今日はアイスティーやアイスコーヒーがよく売れそう」
「そうですね。アレンジティーもじきに冷たいものの方が喜ばれるようになりそうです」
「ん~、今日も忙しくなりそう!」
正式なオープンの日を迎え、いよいよ『ティールーム&バー 子羊亭』の本格的な営業が始まった。
当日にはエドワードの恩師から大きな花束が届き、そののちには修業時代からの顔馴染みだという客がぞろぞろと連れ立ってやってきた。なんでも彼らは修業時代からのエドワードのファンで、その頃から彼のバーテンダーとしての腕前を高く評価していたらしい。彼らは立派に一本立ちしたエドワードのことをしきりに褒め、これからも気を抜かずに頑張るよう叱咤激励した。
そんなこんなで、滑り出しは非常に好感触だった。
最初の頃は不慣れなこともあって散々へまをやらかしたが、今ではそれなりにきちんとウェイトレスの仕事をこなせている……と思う。
(うん、ごはんもおいしいし、お菓子は絶品だし……『子羊亭』っていいお店だなぁ)
中でも人気なのは昔ながらの喫茶メニューとアレンジティーだ。
アレンジティーはエドワードが日替わりで考えているもので、大まかなレシピを決めておいて、そこに日替わりでフレーバーやトッピングを追加する、といったごくシンプルなものだ。フレーバーシロップで甘みをつけ、季節のフルーツやエディブルフラワーで華やかに彩ったそれは、甘いもの好きな客や女性客に大人気だ。しかし、種類によっては男性客がオーダーすることもあった。
大人の男性でも甘いもの好きというのは一定数いるらしく、注文を取っているとその数の多さに驚かされる。しかも、カスタードパイやハニーケーキといった比較的重たいスイーツも難なく平らげていくのでさらにびっくりさせられてしまう。
(まあ、もっと驚きだったのは、あたしにお花やチョコレートをくれるお客さんが出てきたことよね)
「孫娘のようで可愛い」「一生懸命働く姿に励まされる」などといって、彼らはマーガレットにちょっとしたプレゼントをくれる。
中には「マッジの顔を見ると、今日も一日頑張ろうって気になれるんだ」などとわざわざ告白してくる客もいて、嬉しいやら気恥ずかしいやら複雑な気持ちになってしまう。
そういう意味でも、『子羊亭』で始まった新しい日々は驚きの連続だった。
「それにしても、二人ともお料理が上手ですごいなぁ。それに比べてあたしときたら……。はぁ、もしかしたらあたしって、料理の才能がまるでないのかも……」
しょげるマーガレットに、ネイサンはにっこり笑ってぽんとその肩を叩く。
「そんなことはないですよ。この間作ってくれたスコーン、とてもいい焼き上がりでした」
「ほんと!? じゃあじゃあ、そのうちあたしのお料理もお店に出せるようになる!?」
「ええ、きっと。そのためにはできることからこなしていきましょう。何事も一歩ずつですからね」
「焦りは禁物です」とささやき、彼はぽんぽんとマーガレットの髪を撫でた。
その時、廊下の向こう側からポーン、ポーン……と音がした。
「……あら? もう七時? エドはまた寝坊かしら」
廊下の柱に据え付けられている大時計を見やりながら、マーガレットは首を傾げる。
「うーん……どうやらそのようですねぇ」
「全くもう。エドばっかりね、毎日のように朝寝坊をするのは」
「坊ちゃんは勉強家ですから、きっと昨夜も遅くまで読書や勉強にいそしんでおいでだったのでしょう」
「ホントかしら~? 案外夜な夜なえっちな本でも読んでたりして」
「ぶっ……!」
ネイサンはぐふっとむせ、次いで盛大に咳き込んだ。
ごほごほ咳を繰り返したのち、彼は苦笑いをしながら言う。
「マ、マッジ……。貴女は意外と強烈なことをおっしゃるのですね……」
「だってそうじゃない。二十二の男が親元を離れて一人暮らしよ? 深夜に一人で部屋に籠ってやることといえば、やっぱりそれしかないと思うの」
「……ま、まあ、誰しもそういう欲求は持っているものですからねえ。あ、あえて否定はいたしませんが……」
「でしょ!?」
マーガレットがそう言って身を乗り出したとき――
「――なーにが『否定はいたしませんが』だ。そこは否定しろ、ネイサン」
「うっ!?」
「ぼ、坊ちゃん!?」
振り返ると、そこには完璧に身支度を整えたエドワードの姿があった。縦縞の長袖シャツにサスペンダー付きのゆったりしたズボンを穿き、上から業務用のエプロンをつけている。金糸で子羊のシルエットと店名が刺繍されているそれは、れっきとした『子羊亭』のユニフォームでもあった。
「二人で仲良く俺の噂話とは、随分余裕があるんだな」
「何よぅ! やっと起きてきたかと思えば皮肉~?」
マーガレットはつんと唇を尖らせる。
すると、エドワードは鬱陶しげに顔をしかめた。
「何だよ、いつも営業時間に支障がない時間には起きてるだろ。今日だって七時には起きたんだから実質セーフだし」
「二度寝の常習犯がよく言うわ! 昨日だって八時近くまで寝過ごしたくせにっ! あたしが起こしに行かなかったらあのままずっとお布団と仲良くしてたくせにぃぃ!」
「あああ、二人ともどうかその辺で――」
が、ネイサンの仲裁も空しく、マーガレットはなおも口論を仕掛ける。
「ふんだ! どうせ昨夜も『お愉しみ』だったんでしょ? ベッド下にお気に入りの本を隠し持ってるなんてのは男の定番だものね!」
舌足らずな口調で憎まれ口を利くマーガレットに、エドワードはとうとう激昂した。
「だからなんでそういう発想になるんだお前は!? そんなに気になるっていうなら、部屋に入って探してみればいいだろ!? 何なら今から探しに来たって一向にかまわないぞ、俺は!!」
「え……」
その台詞に、マーガレットはぴしりと固まった。
次の瞬間、その頬がまるで熟れた林檎のように真っ赤に染まる。
「……!!」
すすすすす……と後退すると、彼女はさっとネイサンの背に身を隠した。
「い、いきなり何言いだすのよ、エドのヘンタイッ! あたしこれでも女の子よ? そんないやらしい本なんて読めるわけないじゃない……!」
「エ、エド、年頃のお嬢さんをあんまりいじめないであげてください。可哀想じゃないですか……!」
「くっ……、結局俺が悪者になるのかよ……!」
大股で近づいてきたかと思うと、彼は傲然とマーガレットの顔を覗き込んだ。
「あんまり大の男を挑発するんじゃない。そんなことばっかりやってると、お前そのうち痛い目に遭うぞ」
「……な、何よぅ。そうやって脅したって、別に怖くなんかないんだからっ。エドなんか、エドなんか別に――」
必死で言葉の続きを紡ごうとするも、伸びてきた指に額をピン!と弾かれ、目を白黒させる。
それを見たエドワードは勝ち誇ったように笑った。
「ふん、お子ちゃまはお子ちゃまらしくいい子にしてろ。そうやってビクビク怯えてる顔の方がお前にはお似合いだ」
「~~!」
悔しげに唇を噛むマーガレットに、エドワードはじゅうぶん満足したとでもいうように唇の端を吊り上げる。
そしてくるりと二人に背を向けた。
「メニュー書いてくる。朝飯の支度と仕込みを頼むな。俺もすぐに手伝うから」
「あ……承知いたしました」
エドワードの背が廊下の向こうへ消えたことを確認するなり、マーガレットはべーっと舌を出してみせた。
「何よ何よ、エドのバカッ! むっつりスケベのあんぽんたん!」
「マッジ。あんまりエドをからかって遊んじゃだめですよ。貴女より遥かに年上とはいえ、男性だって女性と同じくらいデリケートで傷つきやすいんですからね」
「うう……、ごめんなさい……」
「よろしい。では、下で一緒に朝ごはんづくりと仕込みをしましょう。今日はスコッチブロスの作り方を教えてあげますね」
「はーい!」
***
キッチンにやってきた二人はさっそく支度を始めた。
赤い子供用エプロンの紐を結びながら、マーガレットは業務用冷蔵庫の中身をごそごそ漁っているネイサンに話しかける。
「『子羊亭』のメニューって、外観のわりには結構庶民的よねぇ。昔ながらの伝統料理だったり、どこのおうちでも作られているような家庭料理だったり……」
「高級食材を使ったからって、必ずしもおいしいものができあがるとは限りませんからねえ。身近な食材でいかにおいしく仕上げるかの方が大切だと思いますよ」
「そういうものなの?」
「ええ。何せ毎日のことですから、高級食材を使っていたのではとても材料費が持ちません。あと、無駄を出さない工夫も大事ですね。食材はできるだけ使い切る、どうしても余ってしまった分はまかないに回す、とか」
「なるほど……」
マーガレットが準備を終えたのを確認すると、ネイサンは冷蔵庫から取り出した具材を調理台の上に並べていった。
「えーと……では、お肉と野菜を切っていただけますか。私は昨夜仕込んでおいたチキンブロスを取ってきますから」
チキンブロスとはスコッチブロスのベースになるスープのことだ。鶏ガラと野菜を煮立てて作るもので、一度作れば様々な料理に応用することができる。何にでもアレンジの効く万能選手だ。
「猫の手、猫の手」とつぶやきながら、マーガレットは片っ端から食材を切っていった。にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、長ねぎはそれぞれ食べやすい大きさに切り、牛肉は角切りにする。
すべての具材を切り終わった頃、チキンブロスの鍋を抱えて戻ってきたネイサンはのんびりと言った。
「うんうん、上手に切れてます。じゃあ、余ったところは冷凍しますかねぇ」
「れいとう?」
「ああ……、冷蔵庫の真ん中のスペースに入れておくと、食材を凍らせることができるんですよ。余った食材や料理は凍らせておくと無駄が出ません。食べたくなったらあっちのオーブンで解凍すればいいんです」
業務用冷蔵庫、そしてその向かいに置かれた業務用オーブンを順番に指し示してネイサンが言う。
マーガレットはほうっとため息をついた。
「やっぱり魔法みたい。凍らせたりあっためたり……今の時代ってびっくりするくらいなんでも簡単にできちゃうのね」
「路面電車や国有鉄道ができる時代ですからねぇ。貴女には驚きの連続でしょう」
「あと、二階建てのバスっていうのにもびっくりしたわ。この間は路面電車での移動だったから乗らなかったけど、バスも面白い乗り物よね」
「今度三人で乗ってみますか? 二階建てバスも眺めがよくて楽しいものですよ。観光用のものでしたら植物園や王立美術館のあたりまで走ってますしね」
「わあっ、行ってみたい! 今度お休みの日に連れてって~!」
そんなやり取りを交わしつつ、二人はせっせと仕込みをし、朝食をこしらえていった。
ネイサンお得意のジャケットポテトには、ツナをマヨネーズで和えたものをたっぷりとトッピングする。
スープには宣言通りスコッチブロスを作り、付け合わせには茹でた芽キャベツとエビを合わせた温野菜サラダを添える。
スクランブルエッグとハム、チーズを挟んだ即席のサンドウィッチは、余った分を冷凍庫に入れて凍らせることにした。
「そうそう、フローズンクッキーなんてのもあるんですよ。食べたくなったときに食べたい量だけ切って焼くんです。今度時間のある時にでもお教えしますね」
「わあい!」
冷凍庫に残りのサンドウィッチを詰め込みながら、マーガレットはぽつんと独りごちる。
「うう……、あたしのスクランブルエッグ、少し焦げちゃった……。ネイサンのに比べるとすごく下手だから恥ずかしいなぁ……」
「まあ、焦ることないですよ。接客用語と一緒にお料理も少しずつ覚えていきましょうね」
「うんっ」
そこで彼はまたぽんぽん、とマーガレットの頭を撫でた。
「何かあったら私とエドでカバーしますから、マッジはそのままでいてください。貴女の笑顔はみんなを元気にします」
二人は一足先にテーブルに着き、薄めに淹れたモーニングティーをちびちびと啜った。
エドワードが戻ってきたらすぐにでも食事が始められるよう、食卓の支度は万全に整えてある。
マーガレットは満足の笑みを浮かべると、温かな湯気を上げるダージリン・ティーをひとくち嚥下した。
「えへへ。ネイサンってまるでお母さんみたいでなんだか安心する。お料理もお掃除もお洗濯も得意だなんてすごいわ。あたしにもあなたみたいなお母さんがいればよかったのにな」
「おやおや、これは恐縮です。私の家事の腕前など、世の奥様方には到底及ばないと思いますが、褒めてもらえるのはやっぱり嬉しいですねぇ」
特に怒るでもなくおっとりとネイサンは言い、眼鏡の奥の瞳を細めてマーガレットを見つめる。そして紅茶を静かに啜った。
ソーサーの上にカップを重ねると、彼はしみじみとした口ぶりで言う。
「坊ちゃんはここに来てからとても快活に――そして穏やかになられました。貴女のおかげですね、マッジ」
「そうかしら?」
「ええ、きっとそうです。ここにいると、以前よりも坊ちゃんの表情が明るくなったのがはっきりとわかるんです。特に、貴女と他愛もないやり取りを交わしている時の坊ちゃんは、水を得た魚のようにとてもいきいきとしている。貴女相手に本気でぶつかっていくのが楽しくてたまらないといったお顔をされていますよ」
マーガレットはカップを置き、首を捻る。
「うーん……。でも、あれってエドの素じゃないの? 最初からあたし相手にはだいぶ容赦なかった気がするけど……」
「とんでもない! 坊ちゃんはもともとあまり感情を露わにされる方ではないんです。そういうことははしたないことだと教育されてきましたし、御婦人と口論や喧嘩をするなどもってのほかだったんです」
では、エドワードがデリカシーを欠いた物言いをするのは自分にだけ、ということなのだろうか?
他の女性の前では礼儀正しく振る舞うのかと思うと少し腹が立ったが、ネイサンが言いたいのはどうやらそういうことではないらしい。
「坊ちゃんは、お年のわりに少し冷めたところがおありで……。邸にいる時も、旦那様とは小さな揉め事をしょっちゅう起こしていらっしゃいました」
「揉め事……それってつまり喧嘩ってこと?」
「いいえ。喧嘩などという大げさなものではないのです。いっそ正真正銘の喧嘩であればどれほどよかったか。貴族としての体面を重んじる旦那様と、絶対に爵位は継がないと主張する坊ちゃん……。まるで気質の違うお二人は、些細なことで衝突されることが多かったのです」
「……」
マーガレットは痛ましげに眉を引き絞った。
「……喧嘩にもならないなんて、辛いわね」
二人はきっと、お互いの考えを明かすこともなければ交錯させることもない、そんな乾いた間柄なのだろう。喧嘩にもならないというのは恐らくそういうことだ。
二人は父子でありながらも、互いに本音を見せ合うのを忌避しているように思える。それはつまり、腹を割って話せるような砕けた仲などではないということだ……。
(そっか……。エドも別に、『完璧なお坊ちゃま』なんかじゃなかったんだ……)
こちらが勝手に想像を膨らませていただけで、エドワードにもエドワードにしか解決できない事情があるのだろう。一方的に「恵まれた人種」と勘違いしていたが、彼には彼なりの悩みや焦燥があるに違いない。
(あたしには何ができるだろう)
カップの中に広がる優しい赤金色の液体を見つめながら、マーガレットは彼が自分を庇った時のことを思い出していた。
『こいつは俺の家族なんだ。そう簡単に異端審問官に引き渡すわけにはいかない』
誰かにあんな風に守ってもらったのは初めてだった。
熱心に庇い立てしてくれた彼に、自分は一体どんな恩返しができるだろう。
どんなことをしたら、彼は笑顔でいてくれるだろう。
マーガレットはカップを手に、懸命に思考を巡らせた。
「難しいことはよくわからないけど……エドとお父さんはあんまり仲がよくないってことね?」
「ええ。残念ながら……」
「じゃああたし、ここにいる間だけでもエドが明るい気持ちになれるように頑張るわ。仕事もお料理ももっと頑張るし、二人の足を引っ張らないように努力する。あたしを『開かずの間』から助けてくれたエドのことを、少しでも笑顔にしてあげたいの」
その言葉に、ネイサンははっと言葉を詰まらせ、次いで、嬉しそうにやんわり目尻を下げた。
「マッジ。貴女のその気持ちだけで、エドがどんなに喜ぶことか……」
そこで彼は慌てた風に付け加える。
「あ、でも、さっきみたいにからかうのは駄目ですよ? エドにだってつつかれたくない部分というのはあるんですからね」
「う……、わかったわ、気をつける」
エドワードは「これはいっときの猶予期間だ」と言った。
いつまで一緒にいられるかはわからない。
けれど。
(あたし、あなたに助けてもらったぶん、一生懸命恩返しをするから。だから、一緒にいられるうちはどうか笑っていて。だってあたし、笑っているあなたの顔が大好きだから)
「はー、腹減った。飯、飯……っと」
マーガレットはダイニングに入ってきた彼にぱたぱたと駆け寄った。
「エド、おっかえりー!」
「お帰りなさい、エド。ご飯できてますよ」
「よし、じゃあ全員揃ったことだし朝飯を食おう。お前たちも腹減ってるだろ」
てきぱきと音頭取りをし、エドワードは席に着く。
カトラリーを取った彼は、同居人二人がえらくにこにこしていることに気づいて眉をひそめた。
「……ん? どうしたんだ、二人してニヤニヤして」
「えへへっ、なんでもなーい!」
「はい、なんでもありません」
マーガレットに視線を移すと、頬杖をついたエドワードはため息まじりに彼女を見つめた。
「はぁ……、なんだよ薄気味悪いな。二人で何か悪だくみでもしてたんじゃないだろうな?」
「まあっ、失礼ね、あたしがいつ悪だくみをしたっていうのよ!」
「してるだろ、いっつも」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。せっかくの朝食が冷めちゃいますよー」
乳白色の霧に包まれた小路の隅――今日もまた『子羊亭』の朝が始まろうとしている。
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