……とある日の午後。
「あなたには矜持というものがないのですか? あれだけ自分に任せて下さいと豪語しておきながら、今頃になって私に泣きついてくるなど……」
苛々していたクロードは部下を怒鳴りつけた。
……ここは外廷であるプランタン宮に設えられた、彼のための執務室だ。
今日はバイオレッタに会いに薔薇後宮へ行くつもりだったのだが、魔導士館の部下の仕事が行き詰っているせいで時間が取れなくなってしまったのだ。
(……なんと腹立たしい)
黙り込む部下をねめつける。
「……聞いておいでなのですか」
「は、はい……! 申し訳ございません、シャヴァンヌ様!」
必死で謝罪の言葉を繰り返す部下から書類の束をひったくると、「下がってよろしいですよ」とため息をつく。
「……私が終わらせておきます」
仕事でつかえた部分は大抵こうしてクロードが終わらせるはめになる。結局彼自身がやった方が早く片付くからだ。
クロードとしても自らの能力の高さは自覚しているから、多少仕事が増えたくらいではめったに腹を立てることはない。むしろしっかり腰を据えて懸命に取り掛かるくらいだ。
だが、自分がやると言っておきながらクロードを当てにするとはどういうことなのか。こうした部下が一人いるだけで、執務が円滑に進まなくなる。
しかも、期日までにやっておくと声高に宣言した魔導士に限ってちゃんと仕事をしないので、クロードはもう注意するのを諦めていた。
(全く……、一体何年魔導士館で働いているのだか。嘆かわしい……)
ご機嫌取りをしてくる侍従に「お茶を」、と言いかけてやめる。この侍従が淹れる紅茶は不味いのだ。
「あなたもお下がりなさい。今日はもう、私が呼ぶまでやすんでいてよろしいですよ」
部下と侍従が下がるのを見届けてから、王に下賜された豪奢な椅子にもたれる。
眼鏡を外し、片手で目元を覆うと、クロードは瞳を閉じた。
我ながらせわしない生活をしていると思う。
朝早くに馬車で王城にやってくるや否や、すぐさま国王リシャールのご機嫌伺いに行き、魔導士館での朝議に参加する。
次に国王執務室に赴いて執務を始める。内容としてはリシャールの政務の手伝いが圧倒的に多い。
午後からは彼の補佐に加え、魔導士館にも顔を出さねばならない。式典や宴で執り行う儀式についての打ち合わせをしたり、大陸や天体の様子について調べる。
そしてやっと休憩、というところで大抵リシャールから呼び出されるのだ。
「チェスの相手をせよ」、「散策に付き合え」。今ではああいった言葉を聞くと正直ぞっとする。今度は何を要求されるのかと思うと恐ろしくなるのだ。
リシャールに呼び出されなければすぐにでもバイオレッタに会いに行けるのだが、生憎そういうわけにもいかない。王の命令は臣下にとっては絶対だ。
クロードの場合は魔導士でありながら寵臣という扱いを受けているのでなおさらである。
今日はそれに加えて仕事の遅い部下に時間を取られた。これではバイオレッタに会いに行く時間など到底作れそうにない。
二人とも昼下がりの逢瀬をとても楽しみにしているというのに……。
「なんということだ……」
クロードははあっ……、と盛大なため息を漏らした。疲れもここまでくると限界だ。
(あの王は……。私を一体何だと思って……)
『お前ならできるだろう。任せたぞ、クロード』
仕事を押し付けてくるときのリシャールのぞんざいな台詞を思い出す。
お前なら、というのは一体どういう意味なのだ……。買いかぶるのもいい加減にしてもらいたいものだ。こちらだってただの人間でしかないというのに。
「全く……」
クロードは緩慢な所作で立ち上がると、漆黒のコートを脱いで椅子の背もたれにかけた。
肩や腰に触れてみると、思わず顔をしかめたくなるほど凝り固まっているのがわかる。
「……ああ、疲れました。さすがにそろそろこの肉体疲労をどうにかしなければ……」
そこで彼は妙案を思いついてわずかに表情を和らげた。
まずは熱いお湯に浸かって、この強張りをほぐしてこよう。執務の続きなどそのあとでもできる。
この疲れを吹き飛ばすにはそれしかない。「魂の浄化」をするしかない――。
クロードは棚の中から磨り硝子の小瓶をいくつか取り、その香りを確かめる。
そして小瓶を手にしたまま部屋の奥――深緑の扉の向こうへと消えていった。
***
「どうしよう……!」
プランタン宮の入り口で、バイオレッタは右往左往していた。
クロードに会いに初めてプランタン宮へ来てみたのだが、下調べをしていなかったので道がわからないのである。
(前もってお聞きしておくんだった……! わたくしの馬鹿……!)
バイオレッタは自身の服の裾をつまむ。
侍従たちに配給される純白のシャツと群青色のジレ。襟元は質素な赤いクラヴァットが彩っている。
男性の中で変に目立たないようにと、侍従の服装で来たのだ。足元はオリーブ色のキュロットで、実のところ履くのは初めてである。
(……やっぱりやめておいた方がよかったかしら。あんまり可愛くないのはわかっているけれど)
バイオレッタはリボンでまとめた髪に手をやった。今日は侍従を真似て低い位置で結わえている。
本当はもっと女性らしい服装で来たかったのだが、いかんせんここはプランタン宮。男性官僚のひしめく外廷である。今日ばかりはおしゃれ心も封印せねばならないだろう。
(気づいてくださるといいけれど……)
と、そこまで考えて、まだ彼の執務室の場所すら知らないことを思い出す。
「そうだったわ、先に場所を確かめないと。どうしましょう、どなたかに訊く……? でも声で女だってわかってしまうかも……」
こんなことになるくらいなら、最初からドレスを着てくるのだった。
たとえ咎められたとしても、オルタンシアのように王女らしく堂々と来ればよかった……。
肩を落としていると、ぽんと背を叩かれてびくりとした。
「……バイオレッタ様?」
「アベル様!」
アベルは銀の髪をさらさらとかきやって、いつものように軽いウインクをした。
「うわ、お可愛らしいなぁ。今日はまたいつもと違う服装をしていらっしゃるんですね。侍従姿もよくお似合いですよ……って、まかり間違っても王女様に言う言葉じゃありませんね!」
言って、アベルはあはは、と笑い飛ばす。
バイオレッタは思わず彼の服の袖をつかんだ。
「あの! わたくしがここにいることは誰にも言わないでください……!」
「貴女のお願いならもちろん言いませんけど、そんな泣きそうな顔してどうなさったんです?」
「実は……。く、クロード様のお部屋に行きたいのですが、道がわからなくて……」
かあっと頬が火照ったが、なんとか言う。
いくら男性とはいえ相手はアベルだ。何度か一緒にお茶会をして気心も知れているから、さほど緊張せずに澄んだ。
「……」
アベルは首を傾げて何事か考え込んでいたが、やがてにやりとした。
「キス一つでご案内しますけど?」
「え……!?」
バイオレッタは固まった。
……冗談? いや、それにしては真剣な顔つきのような。
(この宮廷ではキスは挨拶だっていうけど、ここはどうしたら)
だが、悠長に考え込んでいる時間はない。一刻も早くクロードに会いに行きたいのだから。
「ほ、頬になら……」
おずおずと答えると、アベルは盛大に噴き出した。
「バイオレッタ様ってば……!」
「え……え!?」
「僕としてはちょっとからかっただけだったんですよ。すみません。そんなことをさせたら僕クロード様に半殺しにされちゃいますから、むしろ絶対になさらないでくださいね」
「は、はい……?」
(はんごろし?)
聞き慣れない単語だったが、アベルに手を引かれたので深く考えるのをやめにする。
「さ、こちらです。……貸し一つですよ、バイオレッタ様!」
クロードの執務室の近くまでバイオレッタを送り出したアベルは、石柱のひとつにもたれて肩をすくめた。
「あー、危ねぇ。俺さっき本当に命の危機だったな」
今度こそ本当にクロードに殺されるかと思った。
「あんなに素直すぎるなんて思わないだろ、普通……」
苦笑し、アベルは先ほどの恥じらうバイオレッタの表情を思い浮かべる。
あれは危険だ。クロードでなくともからかいたくなるし、ちょっかいを出してみたくなる。
安易にキスをねだるべきではなかったと、アベルは若干後悔していた。
クロードに知られたら、あとで何を言われるかわからない。いや、それ以前にその時自分はまだ生きているのだろうか?
「それにしても……まさかこんなところに一人で来るなんてな」
さまよう彼女の後ろ姿があまりに頼りなく、気づけば声をかけていた。
あの王女は何をさせても危なっかしいのでなんだか気になってしまうのだ。
遠目でもはっきりと第三王女とわかる銀の髪。華奢な体つき。あんなに目立つ侍従がこのプランタン宮にいるはずがないというのに。
だが、主君であるクララ姫の親友ということもあって、むげに扱うことはできない相手だった。
「……なよなよしすぎてて俺はあんまり好みじゃないけど、ああいうのが可愛いっていう男もいるのか。ふーん……、って、あれ?」
アベルはそこではっとした。
クロードの執務室へ行くとバイオレッタは言っていた。
あの組み合わせが密室で二人きりというのは、ある意味危険な展開になるような気がして仕方がないのだが。
「うわー、俺やっちゃった? 相手はあのクロードだしなぁ。色んな意味でただじゃ帰さないかもなぁ……」
何しろクロードは少し前までやたらとその手の噂が絶えなかった男だ。
今でも貴婦人や女官たちにかなりの人気があるほどで、彼女たちにとってはクロードに求められるのは名誉なことらしい。
そんな彼の目下の想い人であるバイオレッタは、誰かに嫌なことをされてもはっきり「嫌だ」とは言えないタイプである。クロードが強引に迫れば、自分のものにするのは容易いだろう。
「……いや、でも従僕とか部下とかいそうだし……、うーん……」
アベルは逡巡したが、「ファイトです、バイオレッタ様!」と投げやりに笑ってから踵を返した。
バイオレッタはきょろきょろと回廊を見渡した。
プランタン宮には男性ばかり、というのは本当だった。騎士に官僚に宮廷魔導士。男たちが大勢いる。
こんな中でも神出鬼没の父王と出くわさなかったのは幸いだった。
『この先の階段を上がったその奥ですよ』
そうアベルは言っていた。
バイオレッタはアイアン製の階段を上がり、廊下の奥へ進む。
行き止まりになったその場所には、アベルの言ったとおり立派な扉があった。
「……ここ?」
バイオレッタはゆっくりと近づいた。
「大きな扉ね……」
……観音開きの漆黒の扉。把手の色は黄金で、いかにもクロードらしい。
上部には金属製のプレートが輝いており、「シャヴァンヌ」とあった。クロードの姓だ。
「ここでお仕事をしていらっしゃるのね」
少しばかりおかしな格好だが、ちゃんと気づいてもらえるだろうか。
どきどきしながら、バイオレッタは扉をノックした。
「……クロード様?」
返事がない。何回かノックをしたのだが全く応答はなかった。
(お仕事に集中していらっしゃるのかも。出直したほうがよさそうね)
踵を返そうとしたが、なぜだか不安になった。
「……もしかして、具合でもお悪いのかしら」
そう考えてはっとする。
もし体調を崩して倒れているのだとしたら大変だ。
「勝手に入るのはよくないけど、もし怪我や病気だったら……!」
バイオレッタは扉を勢いよく開けた。
扉のあまりの重さによろけたが、かまわずに部屋の中に入る。
「クロード様!?」
無数の衝立とドアで仕切られた空間にクロードの姿はなく、それがかえってバイオレッタの不安を煽った。
「え……。クロード様……?」
従僕や部下がいるかもしれないと思っていたのに、彼らさえいないとは。
もしかして最初からクロードは留守だったのだろうか。それならば逆にいいのだが……。
……そのとき、部屋の奥から微かな物音が聞こえてきた。
ぱちぱちと瞬きをする。
奥にある深緑の扉が少しだけ開いていた。近づくと、ぱしゃん、と水の跳ねる音がする。この柔らかいのにどこか官能的な香りは、恐らく麝香だ。
バイオレッタは扉上部から左右に広がる漆黒のドレープをかき分けると、ドアノブに手をかけて中に入った。
部屋の中、白亜の衝立の向こうに濃紫のヴェールが垂れ下がっている。
こんな部分の配色まで紫とは、クロードらしい。だが、一体この奥で何を……。
「……クロード、様?」
侍従姿のバイオレッタは好奇心に負けて衝立の向こうをのぞいた。下がっている薄い帳を恐る恐るかき分ける。
そこで見たものは――。
(え)
ダークグレーのタイルに猫脚のバスタブ。麝香の香りはいよいよ強くなる。
その芳香がバスタブに張られた湯から漂うものだということに気づくまで、しばらくかかった。
張り詰めた胸板を伝う水滴。湿った長い黒髪――。
もう一枚の帳の向こうで、艶めかしい白い素肌を惜しげもなくさらしたクロードが、バスタブにもたれて物憂げなため息をついている。
時折バスタブの湯を手ですくい、隆起した胸のあたりにぱしゃぱしゃとかける。湯の香りを吸い込んでは、はあ……と満足げな吐息を漏らす。
彼は濡れた黒髪をざっとかきやると、バスタブの縁に腕をもたせかけてうっとりと瞳を閉じた。
(ちょ、ちょっと待って……。わたくし、まさか――)
そのまさかだった。信じられないことに浴室に踏み込んでしまっている。
普段男子禁制の薔薇後宮で暮らしているバイオレッタにとって、男性の裸身は刺激が強すぎた。恋しい相手のものなのだからなおさらだ。
見てはいけない部分を見てしまったような気がして、バイオレッタは大慌てで後ろへ下がる。
(や、やだ。わたくしったら……! は、早く戻らないと……!)
その時、後ずさったバイオレッタの脚が濃紫の帳を踏みつける。よろめいたバイオレッタは大きく体勢を崩して倒れ込んだ。
「痛……っ!」
「……何者です!」
ざばっという水音がした。帳の向こうのクロードが立ち上がり、バスタブ脇の衣桁にかけていたローブを取って素早く纏う。
(ああっ! 待って待って……、これ以上見てはだめよ、わたくし!)
バイオレッタは思わず両手で懸命に視界を覆ったが、クロードは素早く距離を詰めてくる。
普段の様子からは想像もつかないほどの俊敏さで近寄ってくると、彼はうずくまったままのバイオレッタを見下ろした。
「一体どなたですか、こんなところまで……」
「あっ……!? あの、わたくしです……! ごめんなさいっ」
口調と服装がかみ合わないことに違和感を覚えたのか、クロードは軽く目を見開いた。
剣呑なクロードの様子も怖かったが、何よりはだけた胸に視線が行ってしまって、バイオレッタは羞恥から再び顔を手で覆った。
(ああ……、胸元が……! 胸元があんなに……! 無理、わたくしには、もう……)
駄目だ。頭が沸騰してしまって思考が働かない。
真っ赤になったまま座り込んでいると、温かい手がぐいと手首を掴んだ。顔から手を引きはがされる。
次の瞬間、クロードの端麗な顔が目前にあった。
「そのお声は姫ですね? ああ、まさか貴女が私の執務室においでくださるなど……! 今日はなんと恵まれた日なのでしょう……!」
そのまま強引に抱きすくめられて、バイオレッタは固まった。
「……!」
湯で温められた、なめらかでたくましい胸板。薄物越しに感じるぬくもり。首筋の線は太くしっかりしていて男らしい。
ずっと女性的な容貌だと思っていたのに、こんな、こんな――。
……限界だ。
「あ……」
「姫……、どうなさったのですか、姫!」
バイオレッタはクロードの腕の中でふらりと気絶した。
***
「ん……」
バイオレッタは白銀のまつげを震わせた。すみれ色の瞳をゆっくりと開く。
(あれ……、わたくし……)
瞬きを繰り返していると、だんだん視界がはっきりしてきた。
息を吸い込むと、嗅ぎ慣れないしっとりとした香の匂いが漂ってくる。
天井を見上げると、優美な彫刻の施された黄金の天蓋が目に飛び込んできた。金製の支柱には鷲と雄鶏が彫られ、天蓋の四隅では愛の神と鳩が戯れていた。
(……? ここ、どこ……? わたくしのお部屋じゃ、ない……?)
柔らかい寝台の上に身体が沈み込んでいる。身じろぐと、隣に誰かがいるのがわかった。
ゆっくりと視線をずらすと、薄手のシャツを纏ったクロードがこちらをじっと見つめていた。
彼はヘッドボードのクッションに背を預けて横たわっている。視線が交わると、彼はバイオレッタを横目で見下ろして艶然と笑んだ。
「お目覚めですか、姫」
「……!?」
バイオレッタは真っ青になった。
まさか、ずっとこうして一つの寝台で寄り添い合っていたというのか。蜜月真っ只中の夫婦のように?
「あっ、あの! ごめんなさいっ……!」
驚いて身を起こし、慌てて寝台から降りようとする。だが、起き上がったクロードは、逃げ惑うバイオレッタをやすやすと組み伏せた。
湯浴みのときにほどいたらしい黒髪が、わずかにしずくを滴らせたままでバイオレッタの頬に落ちかかる。
白いシャツの前はボタンが中途半端に外されており、美しい鎖骨と胸元がのぞいていた。
(ああ、だめ……! 近い、近いっ……!)
なんという色香だろうかと、バイオレッタは身体をすくませる。
クロードの色香というのは、立派に成熟した男のそれだ。優しげな見た目に騙されがちだが、彼はれっきとした男性なのだ――。
クロードは低く笑って、バイオレッタを楽しそうに見下ろした。濡れそぼつ黒髪と輝く黄金の瞳がなんとも妖艶だ。その姿はようやく仕留めた獲物を味わおうとする黒豹を連想させた。
大慌てで寝台をずり上がろうとするバイオレッタに、クロードは悪戯っぽい笑みを浮かべて首を傾げる。
「どうしてお逃げになるのですか?」
「なっ……! に、逃げますわ! どうしてソファーに寝かせて下さらないんですか!? よ、よりによってベッドの上だなんて……!」
「ベッドの上の方が何かと都合がよろしいかと思いまして。もしやこちらではお嫌なのですか?」
揶揄するような、その行為をほのめかすような口調だ。
(や……、まさか)
バイオレッタと出会う前、クロードは女性に対してかなり手が早かったと聞いている。ここに運んだのも最初からそういう目的のためだったとしたら。
「あ、あの……。わたくしが寝ている間に何かなさったり、していません、よね……?」
訊ねると、クロードはにっこりと笑った。
「私を御疑いなのですか? 心外ですね」
「だ、だって、まさかこんなところに運ぶなんて……!」
「貴女は先ほど私の素肌をくまなくご覧になったはず。私の裸体を、まるで舐めるようにじっくりと注視なさったでしょう」
「違っ……!」
弁明しかけるバイオレッタをキスで遮り、クロードはにやりと笑った。
「……そう、愛とは欲望のやり取りですよ、姫。貴女がそうなさったように、私も貴女の肌を拝見したい。私とて男です、ドレスに隠された貴女の柔肌を堪能したいという思いは常にあるのですよ」
「で、ですから!! あれは単なる事故であって、そういう言い方をなさるようなことじゃ……!! というか、こんな状況でそんなことを言えば当然疑われますわ……!!」
バイオレッタは緩く手足をばたつかせてみるものの、喚いてももがいてもクロードの下から抜け出せそうになかった。肩や胸を押しやっても無意味で、押しのけるどころか動かすことさえ不可能に思えた。
(な、なんなの……、どこを押してもびくともしないなんて……! 悔しいけれど、これが殿方の力ということ……?)
クロードは愉快そうに笑うと、逃げ場をなくした彼女の唇を指先で塞ぐ。
「ああ……、また真っ赤になってしまわれましたね。今のはほんの冗談ですよ。私には眠っている女性を手籠めにする趣味はございません」
そう言うなりクロードは唇から下に向けてすっと手を下ろしていった。
「な、なにを……!」
「動かないで……。シャツの襟がだいぶきつそうですよ。これでは首まわりが苦しくなります。ボタンを外して差し上げますよ」
形のよい指先が喉に触れ、くすぐるように肌を撫でた。すんでのところで声を堪える。
クラヴァットを解かれてシャツのボタンを一つ一つ外されていると、何やら倒錯的な気分になってきた。
もしもクロードが侍従に迫ることがあるとしたらこうなるのだろうか?
バイオレッタはそこまで考えてから、慌てて不埒な想いを打ち消した。
(わ、わたくしの馬鹿! 何を考えて……!)
……だが、クロードも同じことを考えていたようだ。うっとりと瞳を細めて言う。
「……男物のシャツを着た貴女を寝台の上で好きにできるとは。私には男色の趣味はありませんが、貴女のような侍従がいたらと思うと……。あまりの愛らしさに、昼も夜もずっと近くに置いて愛玩してしまうでしょうね。……おや。どうなさいましたか?」
バイオレッタは弱々しくクロードの胸に手を添えると言った。
「も、もういいですわ……、わたくしを一人にして下さい……。お、お願いですから……」
すでに羞恥で頭が沸騰しそうだ。
いくら恋人同士とはいえ、クロードの言葉はとにもかくにも刺激的すぎて耳を塞ぎたくなってしまう。
身体的な距離が近いだけでも相当恥ずかしいのに、ここまであからさまに誘惑されては平常心でなどいられない。
が、クロードはくすくすと笑った。
「『お願い』……ですか。ベッドの上でそのような言葉を使われると、何やら睦言のように聞こえるのは気のせいでしょうか」
極めつけのように言われて、思わずぱっと胸から手を放す。
「そんなこと……!」
「ふふっ……」
「……もう!」
またからかわれてしまったのだと、バイオレッタはむくれた。
(噂は本当みたいね。クロード様って、女性の扱いにかなり慣れていらっしゃるんだわ……)
悔しさと恥ずかしさから視線を逸らすと、クロードは満足したように起き上がった。
やたらと色っぽい流し目をくれて言う。
「隣の応接間に茶菓の支度をしてあります。……落ち着いたらいらっしゃい、姫。ふふ」
クロードの姿が見えなくなっても、バイオレッタは騒がしい鼓動をなだめるのが精いっぱいで、寝台から起き上がることすらままならなかった。