第二十章 花の咲かない村

 
 バイオレッタは、使者やギードとともに領地レベイユにやってきていた。
「う……、けほっ……、す、砂埃がすごいんですのね」
 華やかな装いでは賊に狙われる危険があるため、簡素なブラウスと脚衣、砂埃よけの頭巾をかぶっている。ひときわ目立つ白銀の髪は、解けてこないよう頭頂部できつくまとめてしまい込んだ。
 背後で馬を駆るギードが言う。
「今日はまだましな方です。シエロ砂漠の機嫌が悪いときには砂嵐になります。我々は“ジンの怒り”と呼んでいますが」
「“ジンの怒り”……」
 
 使者に促されて、バイオレッタはギードの馬を下りた。
 ……ここはレベイユ領の主都、カルマン村だ。
 レベイユ自体が僻地というだけあって、ここは主都といっても村、それも小村である。
 砂漠の中……村人たちが暮らす地域に下り立ったバイオレッタは、使者の青年とともに村の広場を見て回った。
 広場といっても何があるわけでもない。申し訳程度に古びた女神像を置き、煉瓦を積み上げて祭壇のようにしているくらいのものだ。
 周囲にはバラックが密集して建てられ、奥まった箇所に使者の邸宅がそびえている。
 バイオレッタの就任に際して、領主を支える面々は総入れ替えが行われた。
 筆頭騎士にギードを据え、残りは公平な意見を出せる者、前領主の時代に反対の声を上げた領民などで固めている。
 使者の青年はそのうちの一人だった。
 就任に際して急遽体制が整えられ、使者に選ばれた彼にはバイオレッタを出迎えるための邸宅が用意された。
 邸宅では今後の話し合いを行うほか、領民との触れ合いの場としても使わせてもらう予定だ。
 バイオレッタは無言で村の様子を観察した。
 ここの領民たちというのは働く者、すなわち農奴だ。移住や職業選択の権利を与えられない彼らは、領主のもとで働かされるよりほかない。領地を出ていくことも容易にはできない上、居住するだけでも課税されてしまう。
 カルマン村の民たちはこの地で生活する権利を得る代わり、領主によって労働を強制されてしまうのだ。
 北には領主のための居城があったが、その一帯だけ豪奢な印象でなんだか奇妙な感じがした。この地区はこんなにも寂れているというのに……。
 広場には朽ちた石柱に灌木……、池の残骸のようなものも見て取れる。かつてはたっぷりと水が満ちていたのかもしれないが、今は一滴の水すら残っていない。
 そばにある井戸も覗き込んでみたが、見事に枯れている。
「……ああ、そちらはもう使えません。砂漠からの熱風で枯れました」
 使者の言葉に、バイオレッタは仰天した。
「そんなにすごい熱風なのですか!?」
「シエロ砂漠はまさに火の邪神ジンの分身です。彼女が機嫌を損ねれば、砂漠もそれに応える。人を、焼き尽くそうとする……」
 それは神話の中か、あるいは聖典でしか通用しないものと思っていた。だが、使者は滔々と語る。
「レベイユの民の心に強く焼き付いているもの。それは、邪神と砂漠の恐ろしさです。この土地では、作物はじゅうぶんには育ちません。運よく育ったところで、賊やならず者に盗まれる。そんな不毛な行為の繰り返しなんです」
「水はどうしていますか? さっき、井戸が枯れたって言っていましたよね?」
「ジプサム山脈から地下水路を引いていますが、シエロの熱気は年々酷くなるばかりですから、それも時間の問題かと。建設にはかなりの年月がかかったのですが、邪神にかかればひとたまりもない。鉱山ではまだかろうじて生きている地下水脈を使って選鉱をしていますが、それもすぐに不可能になるかもしれません」
 王都では溢れるほど贅沢に水を使っている。噴水に使い、水路に使い、王宮では湯浴みの際にも大量に使用する。
 バイオレッタは自分を恥じた。こんなに過酷な領地があることを知らずに、自分はいつでも好きなだけ水を使ってきたのだ……。
(同じ国なのに、ただシエロに面しているというだけでこんなにも違うなんて)
「……姫様?」
「わたくしは、お水のありがたさなんて知らずにいたのですね。あるのが当然だと思っていた自分が、恥ずかしい……」
 普段、私室では浴びるように水を使っている。
 だが、ここの民たちにそんな贅沢は許されないのだ……。
「そういえば、鉱山があるのよね? その……採掘の仕組みを教えてほしいのだけれど」
 使者の青年は村から見て西の方角を指さし、言う。
「まずは鉱山を買い、その何割かの金額を国王陛下にお支払いするのです。鉱石を掘るには土地の採掘権が必要ですから。レベイユではさる時代の領主が採掘権を買い、領民たちに鉱石を掘り出させてきました。何せ農作物が採れない不毛地帯ですので、領主たちは代々徴税に工夫を凝らしてきたのです。そこでその領主が目をつけたのが鉱山です。彼は鉱山を丸ごと一山所有し、領民をそこで働かせました。そして鉱山の税金として採れた鉱石を陛下に献上することにしたのです」
 なんでも、鉱山の主というのは土地の税金を国王に支払わなければならないらしい。
 鉱山そのものが王の直轄地なのだから、それは当然のことだろう。一国の主たる国王の土地で鉱物を掘り出そうというのだから、利益を独占するわけにはいくまい。
 が、前領主は狡猾だった。
 素晴らしい鉱石を国王に献上するという頭がなかった彼は、私利私欲のために鉱山を利用しつくした。男は鉱夫にし、女は彼らを支える賄い婦として労働させた。
「大きな石はすべて前領主のもとへ行きました。鉱山の所有者が特によい原石を所持するのは仕方のないことですが、彼はたとえ石を売って蓄えができても採掘者のことは顧みなかった。それどころか、異国から来た悪徳商人に横流しをし、陛下に納めるべき鉱石を自分のために売りさばきました。そしてこの劣悪な環境下で『もっといい石を掘れ』と要求し続けたのです」
 税金として都や国王に収めることをせず、彼はそれを自らの豪遊のために使い果たしたという。
 異国の商人と結託した彼は、まず鉱石を豪奢な指輪に加工させた。貴石で浴室を飾らせ、私邸のオブジェを彩らせた。そうして民の怠慢を理由に、納税をおろそかにした。
 彼の暴挙を止められる者は誰一人としておらず、それもまた領民たちの不平不満を募らせる原因になったという。
「……だから、王族を信用していないと?」
「はい。正確に言えば王侯貴族を、でしょうが。必死で働いても、どうせ利益は貴族たちに持っていかれてしまう。それならば最初からわかりあおうとしないほうがいいだろうと……」
「……」
 鉱石を掘らせ、利益を不正に独占していたから嫌悪された。
 ということは、このレベイユでの統治で優先すべきこととは、利益を独り占めせず、そのいくらかを民の生活にもきちんと回すことだろうか?
 だが、この酷い環境も気にかかる。飲み水もなく作物もじゅうぶんに育たないというのであれば、まずは生活環境を整えてやらねばならない。そうしなければ労働者たちが働けないし、鉱山の士気もきちんと上がらないだろう。
「どうしましょう……、やっぱりまずは環境よね……。だけど、お水を確保するってどうすればいいの?」
 使者を前にぶつぶつと独り言を連発していると、近づいてきたギードがいきなり頭を垂れる。
「姫様。代表者との合流までまだしばしお時間があります。少しだけ領地を見て回られますか」
 騎士らしくお伺いを立ててはきたものの、要するに自分の目で領地の様子を確かめた方がいいと言っているらしかった。
 確かに、使者にあれこれと訊ねるよりも、自分で実際に土地や民の様子を調べていった方が手っ取り早そうだ。
「ええ。ではギード、同行をお願いするわ」
「かしこまりました」
 
 
 ギードの身に着けている甲冑が金属音を立てる。踵の拍車もそれに合わせてチャリチャリと鳴った。
「……どこに行けばいいと思う?」
「姫様がご興味を持たれたところへ。私は何があってもお守りいたしますゆえ」
「職務に熱心なのはいいんだけど……、あなたはさっきからそればっかりね」
 突っ込みを入れたつもりが、ギードは「私は姫様に付き従うのが仕事ですので」とどこ吹く風だ。どうやらかなりの堅物らしかった。
「はあ……、一体あなたと何度このやり取りを繰り返したのかしら。うう……、それにしてもレベイユの領地……、広い……」
 砂塵よけの頭巾で顔まで覆っているせいか、妙に顔が熱を帯びて痒い。これも砂漠の民たちには日常茶飯事なのだろう。
 カルマン村の民たちは、スフェーン人らしく金や茶の髪をしている人物がほとんどだった。瞳の色も恐らく蒼だ。砂漠に面している辺境の地とはいえ、ここはスフェーンなのだから。
 どこまで行っても生きた井戸がないことに、バイオレッタは愕然とした。草木も見当たらず荒涼としている。家の軒下には雨水を溜めた甕が置いてあり、それが唯一使用できる水であろうことがうかがえる。
「でも、近くには……レベイユの北には小川もあったはず。そうしたところから汲んでくれば――」
「川まで水を汲みに行ってそれを持ち帰るより、自然に得られる水を集めて使えるようにしておいた方が効率がよいのでしょう。留守中の襲撃や略奪も恐ろしいですから」
「そうね。男性たちが鉱山に行っている間、女性たちは家や鉱石を守るのだったわね……。それなら人手を減らすのは得策ではないわよね……」
 だが、もし水が足りなくなったらどうするのだろう。
 そして、先ほどからすさまじい熱風が吹いているが、本当にこの現象を防ぐ手立てというのはないのだろうか?
「ここではみんな何を食べているの?」
「王都とさほど変わりません。黒パンや干し肉、野菜のスープなどです。小麦粉や野菜は近隣から調達することが多いようで、鉱物との物々交換が主流だそうですよ」
 鉱物の価値のわかる村人が、親切に分けてくれるのだろう。
 だが……。
「ねえ、でも、それでは鉱物を掘り出す意味がないのではない? せっかく掘り出しても、物々交換に回してしまってはもったいないような気がするの。その村人たちだって原石の本当の価値なんてわからないでしょう。研磨すればいくらになるかとか、どういう種類の鉱石か、までは絶対に把握していないような気がするのだけれど……」
 
 その時。
 
「ねーねー。綺麗な服着てるけど、もしかして王都の人?」
「えっ……」
 バイオレッタのまっさらなブラウスを引っ張りながら、背の低い少年がにやりと笑う。
「ええ。そうよ。わたく……私はアガスターシェから来たの」
「うわあ、気取った喋り方だなぁ。よく見たら服もなんか男の服みたいだ。顔は可愛いのに変なの。もったいねー」
「こらっ!! ルイ!!」
 まろび出てきた少女が、少年を叱る。
 ルイと呼ばれた少年はつまらなさそうに唇を突き出した。
「んだよぉ。怒んなくたっていいじゃん!」
 少女は「だめっ!」と言い、いそいそとバイオレッタの前に歩み出る。
「おねえさん、ごめんなさい。弟はちょっと口が悪いの。許してあげて」
 少女はルイを叱って、頭を下げさせる。
 ルイは「ちぇっ」と言うと、そのまま駆け出して行ってしまった。
「ああ、もう! 逃げ足ばっかり速いんだから!」
「だ、大丈夫。全く怒っていないわ。……まあ。貴女の肌、綺麗な琥珀色なのね」
「え? ああ。あたしもルイも、モルフェ人の血が入ってるからね!」
 少女は嬉しそうに胸を張った。
 
 イスキアには現在、新興国が二つ存在する。
 モルフェとフルオラといい、どちらも五大国に比べれば建国されて日が浅い小国である。
 フルオラは北西の小大陸に位置する集合国家で、五大国の中では島国エピドートに最も近い。
 五大国の中でもこのエピドートという国だけはどの国から向かうにしても必ず船が必要になるので、劉と並ぶ「未開の地」とされていた。フルオラはそのすぐそばに位置する島国だ。
 もう一つの新興国モルフェは、スフェーンとクラッセル公国との中間地点にある国だ。ここの民たちは神秘的な容姿と類まれなる器用さを持ちあわせることで有名だった。
 最初は商業都市、それも砂漠と国とを中継するオアシスのような役割を果たす場所でしかなかったが、商いの才に優れた指導者が現れたことにより、しだいに新興国として発展していった。
 このモルフェの民というのは艶やかな蜜色の肌をしているのだと聞き及んでいる。
 恐らくこの二人の両親のどちらかがモルフェ人なのだろう。
 
 考え込んでいると、少女はまじまじとバイオレッタの肌を凝視した。
「おねえさんの肌、白くて綺麗ね。砂漠に降る雪みたいだわ。王都の人はみんなそうなの?」
「ありがとう。もっと健康的な肌色の人もいるけれど、基本的には白い肌の人が多いかもしれないわ。スフェーンが北方の国だからかしら」
「そうよね! スフェーンの人を見て一番驚くのは、やっぱりそれよ! みんな透けるように綺麗な肌をしてるのよねー」
 少女は「暑いからこっちで話そう」と言って、バイオレッタを軒下に引っ張っていく。
 粗末な服の裾を持ち上げてしゃがみ込むと、バイオレッタの手を握りしめたままでにかっと笑った。
「ねえねえ、おねえさん、名前はー?」
 ふいに訊かれ、バイオレッタは慌てる。迷った末、町娘だった頃の名を名乗ることにした。
「あっ……ええと。ルイーゼっていうの。貴女は?」
「あたし、アリサ。よろしくね!」
 彼女はバラックが立ち並んだ集落の隅に座り込み、興味津々といった体でバイオレッタを見上げた。
「王都からお客さんなんて珍しいなぁ。どんなところ?」
「ええと……」
 バイオレッタは幼い少女に城下町アガスターシェについて語ってやった。
 黄金の煉瓦でできた街並みに、中央区に設置された噴水広場、入り組んだ路地の奥に立ち並ぶ数々の老舗。
 そして、オペラの上演や仮装舞踏会で夜毎にぎわう劇場の話など……。
「へえー! いいないいな。行ってみたーい!」
「ここは……カルマン村はどんなところ?」
「ええとね……」
 アリサの話によれば、砂漠では温度差が激しく、日が高いうちはうだるように熱いが、夜になるにつれて冷え込んでくるのだという。
 王都と同じように雨や雪が降るという話も驚きだった。といっても、降水量はさほど多くはないらしく、甕の水もそこまでたくさん溜めることはできないのだという。
 夜中は本当に冷え込みが厳しく、しんしんと寒くて嫌だと彼女はぼやいた。
(知らなかった。砂漠ってただ暑いだけだと思っていたのに、寒いときもあるのね。それは大変だわ……)
「でもね、神様のせいで植物がぜーんぜん生えないの」
「……どういうこと?」
「“ジン”っていう火の神様がいて、お水をぜーんぶ蒸発させてしまうの。だから、レベイユに花は咲かない。見て、樹なんか一本も生えていないでしょ?」
「……そうね。確かに」
 先ほどギードと嫌になるほど見て回った通り、砂塵だらけで樹木がない。
 灌木はあるが、王城で見られるような豊かな緑や自然は見受けられなかった。
「あたし、お花が憧れなんだ。生憎レベイユには一本も咲かないけど、お花って可愛いんでしょ? 花びらとかがふわふわしてるって聞いて、一度見てみたいものの一つなの!」
「……」
 バイオレッタは彼女の顔を見つめて、静かに数回瞬きをした。
 無邪気な少女にどうしても花を見せてやりたくなって、迷うことなく結い髪に手を伸ばす。
 頭巾から髪がこぼれ落ちないよう気をつけながら、慎重にそれを引き抜いた。
「……これを貴女にあげる」
「おねえさん!?」
 アリサが瞠目するのも無理はない。そこには春の花々をかたどった飾り櫛が乗せられていたからだ。
 鈴蘭、ライラック、すみれをブーケにした意匠で、エナメルで彩色がなされている。髪を留めると、愛らしい真珠の粒が結い髪から垂れ下がる形になっていた。
「おねえさん、駄目よ、もらえない。大事なものなんでしょ?」
「……私ね、どうしても知りたかったの。レベイユのこと。アリサに色んなことを教えてもらえてよかった。貴女がいてくれなかったら、私はきっとめげていたわ。これはそのお礼。……もらってくれる?」
「そんな……」
 その時。
「……アリサ!!」
 ぴゃっとすくみ上り、アリサは声のした方を振り返った。
 二人から少し離れたところにあるバラックの戸口に、一人の女が寄りかかっていた。
 婀娜っぽく垂らした漆黒の巻き毛に、蜜色の肌。容姿といい年格好といい、恐らくアリサとルイの母親で間違いないだろう。
 彼女はぎろりとバイオレッタを睨み付けると、アリサを手招く。
「……おかあさん」
「いいからこっちに来な!」
 扉の奥に娘を押しやり、後ろ手で戸をしっかりと閉めてしまうと、女はバイオレッタに近寄ってきた。
 いかにも軽蔑しているといった目つきで、言う。
「はん。王都の子だかなんだか知らないけど、物見遊山に来たんなら帰っとくれ。ここは他の領地と違って観光名所じゃないんだからさ」
「ご、ごめんなさい」
 女はバイオレッタの全身をじろじろ眺めまわすと、鋭い罵声を浴びせる。
「うちの子たちに余計な知恵を吹き込んだりしたらただじゃおかないよ。あたしにはあの子たちを守る義務があるんだ。こんなとこで暮らしてる女だからって、甘く見ないことだね」
 吐き捨てるように言い、チッ、と小さく舌打ちをして家の中へ消えていく。
「あっ……!」
 一人取り残されたバイオレッタは立ちすくむ。
 出過ぎた真似をしたのだと、今さらになって気づかされた。
 
 
「姫様」
「……ギード」
 いつの間にか、背後にギードが立っていた。
「変なところを見られちゃったわね。嫌だわ」
 バイオレッタのつぶやきに、彼は淡々と諭した。
「姫様は他人に対して甘いところがおありです。物品を贈って相手を懐柔しようとするのは、正直あまりおすすめできません」
「そんなつもりじゃなかったの。本当に、あの子にお花を見せてあげたかっただけなの。それと、話を聞かせてくれたお礼をしたくて……」
「彼女は現地の人間にとって当たり前のことを話しただけなのです。たかがその程度で高価な品を贈られては、不審に思うのも仕方がないかと」
「そう、よね……」
 これ以上言い募っても見苦しいだけだと思い、バイオレッタは黙り込んだ。
(わたくし、馬鹿だった。きっと気持ち悪かったんだわ……)
 ギードに手を引かれ、バイオレッタはとぼとぼと歩きだす。ギードが嵌めている手甲のひんやりとした冷たさが、傷ついた今はどこか心地よかった。
 砂を孕んだ熱い風が、頬を撫でては通り過ぎてゆく。普段なら熱さえ持たない肌が、心なしかひりひりする。強い日差しと乾いた風のせいだろう。
「……ギードはレベイユの人なの?」
「ええ。正確には元、ですが。私は五つの時、王都のアンセルム家に養子に迎えられたのです。最初は次期当主の遊び相手として選ばれた程度に過ぎませんでしたが、しだいに剣の腕を認めてもらえるようになって、その方直々の推薦もあって城に出仕する騎士となりました」
「その方は今どうしているの?」
「お元気ですよ。私がアンセルム家を離れてからも、時々鍛錬場に顔を出してくださいます。今でも私をお褒めくださり、その力は個人のためではなく民や王家の方のために使えとおっしゃいます。単なる当主の側近にしておくにはもったいない技量だと……」
 本来であれば、ギードは彼を守っていたのだろう。アンセルム家当主の側近として。
 そこでふと、自分のような不甲斐ない王女を守ることになってしまったギードが可哀相だ、と思った。
「ごめんね、ギード。わたくし、やっぱりなんの力もないんだわ。どこに行ってもそうなの。的外れなことばっかりして、周りの人に迷惑をかけてしまってる……」
 ピヴォワンヌには「もっとしっかりしなさいよ」といつも呆れられるし、クロードだって本当は内心笑っているかもしれない。
 今手を繋いでくれているこのギードだって、「期待が外れた」と思っているに違いない。本当に自分は駄目な姫だ――。
「姫様。うつむかないでください」
「ギード」
「私は、騎士仲間から貴女の評判を聞いて、素晴らしい女性だと思った。激昂した陛下から妹君を守ったと聞いたとき、私は胸が震えました。まかり間違えば自分も罰されるかもしれないという状況で、貴女は傷つくことを恐れなかった。勇敢な女性だと思いました。誰かを守るために自分を差し出すことができる……、そんなたくましい女性はスフェーンにはいないだろうと思っていたのです」
 バイオレッタは瞳をぱちぱちさせた。動揺のあまり、ギードと繋いでいる手が震えてしまう。
「ほ、褒めすぎよ。探せばいるかもしれないじゃない……! 例えば……オ、オルタンシア様とか」
「あの御方はいざとなったら弱者を置いて逃げる方です。確かに武には秀でているかもしれない。けれど、そこには信念がない。あの方は自分が認められるためになら剣をとるが、他人を守ろうとしてそうすることはないのです。これまでにもありませんでしたよ……、ただの一度も」
「え……、そう、なの?」
 ギードはうなずく。
 そして、バイオレッタの瞳を見つめて言った。
「姫様。貴女の武器はその優しさです」
「……優しさ……?」
「はい。貴女は剣など握らなくともじゅうぶんにお強い。先ほどは他人に甘いと申しました。ですが、不調法者ゆえ少々言葉が足りませんでした。貴女はその優しさを力に昇華させることができるのです。大切な人を障害や痛みから守りたいという気持ちが、今の貴女を強くしている。その感情があるからこそ、貴女は貴女でいられる。武器を手にせずとも戦うことができるのです」
 バイオレッタははにかんだ。
「わたくしはそんなにすごい人間じゃないけれど、騎士のギードが言うとなんだか説得力があるわ。……とても、励まされる。ありがとう」
 そこでギードは、彼にしては珍しく爽やかに微笑んだ。
「いざというときには、私などよりも貴女の方がお強いはずだ」
「そう、なのかしら……。とてもそうは思えないけれど」
 女の自分が男性よりも強いなどということはないはずだ。
 なのに、ギードは含めるように言った。
「じきにわかりますよ」
 
 

 

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