第七章 昔馴染みとの再会

  
 謁見式が終わり、一旦薔薇後宮に引き上げたピヴォワンヌは、早速玉蘭の居住棟に呼び出されていた。
 
 紅玉棟のすぐそばにある館で、かつては仲のいい愛妾同士がまるで姉妹のように仲睦まじく生活していた場所だという。
 公主二人がともに生活できるようにと、空いた居住棟の中でも一等広々とした場所を用意してもらったようだ。
「わぁ……、なかなかいいところじゃない」
 つぶやき、ピヴォワンヌは庭をきょろきょろ眺めまわす。
 
 空いた居住棟とはいっても寂れたわびしげな場所などではなかった。樹木はきちんと手入れがなされ、花も整然と咲きそろっている。
 庭先には小さな池が広がっていた。ぽつぽつと置かれた飛び石や朱塗りの太鼓橋などが目を引く。
 異国の様式が好きな愛妾たちだったらしく、庭園は劉のそれと全く同じ雰囲気になっている。
 異国風のあずまやに石灯籠、香炉を模した大ぶりのオブジェ、池に浮かんだ睡蓮の花。
 劉育ちの公主たちがしばし滞在するにはうってつけの場所だろう。
 ピヴォワンヌが感心するかたわら、側仕えの侍女や女官、お付きの宦官などが次々と公主たちの荷物を運び入れていく。
 なるほど、ああした宦官ならばこの薔薇後宮でも通用するだろうと、ピヴォワンヌは興味深げに彼らを眺めた。
 男の証をなくした彼らなら、いかな異国の後宮であろうが問題はない。要は後宮に住まう高貴な女たちに無体を働かなければいいのだから。
 
 
 ピヴォワンヌは柳の下で寄り添っておしゃべりに興じる公主たちに駆け寄った。
 柳の葉がそよそよと揺れ、頭上でかそけき音を立てる。
「玉蘭」
 声をかけると、玉蘭は瞬く間に相好を崩した。
「香緋! 会いに来てくれたのね! 国王陛下の計らいでこの居住棟をあてがってもらったのだけど、この薔薇後宮とやらはどこもかしこも随分金ぴかなのね。色使いは綺麗だけど、なんだか目がちかちかしそうよ」
 そう言いながらも玉蘭は楽しそうだ。
 ピヴォワンヌは苦笑しながら言った。
「もう。謁見の場であんなお願いをするなんてびっくりしたわ。あんた、変わんないわね」
「香緋こそ。けど、貴女は前よりずっと可愛くなったわ。今の貴女ったら、まるでお人形さんみたい。綺麗な硝子の棚の中に閉じ込めて、そのままずーっと眺めていたいくらいよ」
 玉蘭はそのまま「人形のように可愛い香緋」について上機嫌でしゃべり続ける。
「香緋は顔立ちが女の子らしいから、スフェーンのドレスを着ても似合うわねぇ。わらわね、昔こういうお人形が欲しかったのよ。ふわっふわの衣装を着せたり、装飾品を山ほどつけてあげたりね。もちろん夜は綺麗な寝間着を着せて一緒に寝るの! お気に入りのお人形とはやっぱりいつでも一緒にいたいものね」
「ちょ、ちょっと……、変なとこ触んないで……! くすぐったいわ」
 さわさわと両腕や頬の辺りを撫でられて、ピヴォワンヌは身じろぐ。
「久しぶりなんだからいいでしょ? ああ……、香緋の髪、相変わらずいい香りね。貴女の名前にぴったりの、芍薬の香り……」
 目を閉じて顔を近づけてくる玉蘭に、ピヴォワンヌは赤面した。
 整った顔をしているだけに、瞼を閉じるとより一層美貌が際立つ。口づけを乞うようなしぐさに思いがけずどきどきしてしまった。
 
 ……一体何度この公主を野蛮な男たちから守ってやったことだろう。
 この玉蘭という少女はもともと男に好かれやすい質だった。
 公主であるということ、そして彼女自身も気が強いことなどから、からかおうとしてちょっかいを出したがる男が大勢いたのだ。
 まだ知り合ったばかりの頃、ピヴォワンヌは率先してそうした連中を追い払ってやっていた。箱入りで世間知らずな玉蘭がむやみに煩わされることのないよう、懸命に心を砕いていたのだ。
 とはいえ、こんな性格だからもちろん玉蘭も負けてはいない。男たちのそれがほのかな恋心によるものだとも知らず、片っ端から彼らを黙らせていった。
 
 おかげで彼女はどんどん弁が立つようになってしまい、今では周囲の手を借りずともそうした輩を自力で追い払えるようにさえなっていた。それはベルタが言い負かされていたのを見れば明らかだ。
 昔は泣き虫な面があったとも聞いているが、どこをどう見ても当時の名残は見受けられない。
 それがピヴォワンヌにはなんだかおかしかった。勇ましい彼女を見ていると胸のすくような思いがして小気味よかった。
 本当に玉蘭は変わらない、と思う。春先に劉の宮城で別れた時のままだ。
 だが、彼女は無防備すぎる。こんな風にいきなり甘えたような顔を見せるなんて――。
 
 ピヴォワンヌはいい加減恥じらいや慎みというものを持てと言ってやりたくなった。
 これではまるで隙だらけではないか。
 そう思って玉蘭のこれからが少しだけ不安になる。
 仲のよい親友同士だからこそ、大好きな玉蘭がおかしな男に誑かされているのを見たくないのだ。
 
 ピヴォワンヌはなおも密着しようとする玉蘭を静かに引き離した。
「ほらほら、離れて」
「ええー? せっかくまた会えたのに、冷たいのね」
「そういう問題じゃないわ」
 と、そこで今まで黙っていた宝蘭がどこか羨ましそうに言った。
「ふふっ。玉蘭は本当に香緋が好きなのねぇ」
 揶揄するような宝蘭の言葉に、ピヴォワンヌはなぜかぎくりとしてしまう。
 瞳は笑みの形に細められているというのに、顔つきがどこか悲しげだったからだ。
 
 玉蘭よりも一年早く生まれた彼女は、“宝”の字を当てられて溺愛されていたという。
 宝物にも等しいやや子。劉の宝。
 きっとそんな意味が込められていたのだろう。
 
 対して妹の玉蘭の方は、宝ではなく“玉”という字を授かっていた。
 磨き抜かれた玉。白木蓮のごとく清らかな乙女。そんな意味を含めた名だった。
 だが、玉蘭としてはこの名付け方には不満たらたららしく、「ではわらわは母様たちの宝ではないということね」と怒り出したくなるのだそうだ。
 
 ピヴォワンヌはそろりと宝蘭を見た。
 
(……宝蘭はいつもこんな目つきをするわね。あたしが宮城に勤め始めたばかりの頃から、ずっとそう。玉蘭とあたしが仲良くするのを、ちょっと変わった目で見てる……)
 
 このじっと観察するような眼差しは、一体何を意味するものなのか。
 羨むような言葉といいもどかしげな顔つきといい、最初はただ除け者にされたことを怒っているのだとばかり思っていた。
 が、やがてそれはどうやら違うようだと気づき始めた。ピヴォワンヌの見立てが正しければ、恐らく宝蘭は仲間に入りたくてそうしているのではないのだ。
 何故ならその視線は玉蘭にばかり一心に注がれている。それは姉らしい庇護欲が垣間見える視線だった。
 痛いほど真剣な眼差しだ。
 
 ピヴォワンヌは若干の気まずさを覚えながらも唇を開く。
「ねえ、玉蘭。あんたがここに来るってことは、芙蓉様に何かあったんでしょ? 違う?」
 玉蘭はきょとんとした。
 次いで、キッと目をつり上げる。
「香緋の馬鹿!! 貴女と連絡が取れなくなったからに決まってるでしょ!!」
「……え」
 思いもよらない一言に、ピヴォワンヌは玉蘭を見つめる。
 彼女の翠玉の双眸は怒りで燃えていた。
「貴女たち父娘おやこの消息が絶たれてから、わらわは必死だったのよ。何か悪いことに巻き込まれてるんじゃないか、命の危険に晒されてるんじゃないかって」
 
 玉蘭は必死な様子で続けた。
「わらわ、心配で心配でしょうがなくて、母様にお願いして探してもらったのよ。貴女が住んでいる地区や邸の周り、貴女たち父娘が行きそうな場所やゆかりのある場所まで全部。だけど、どこを探しても貴女はいなくて……。それで、母様が徹底的に貴女たちの足取りを調べてくれたの。そうしたらまさかこんなところにいるんだもの、びっくりしちゃった」
 あの芙蓉がそんなことのために動くなんてと、ピヴォワンヌは目を丸くした。
 が、宝蘭がやんわり言う。
「貴女はわらわたち公主の剣術指南役だったでしょう。その貴女がいなくなって、母様は驚いてらしたわ。何せ劉でも女王選抜試験は行われているのだもの、公主が剣を覚える前に剣術指南役が消えたりしたら大ごとですものね」
「あ、そ、それは……」
 
 ピヴォワンヌは途端に申し訳なくなってきた。
 
(公主様たちの剣術指南役を仰せつかっていながら、あたしは勝手に劉から消えた。そのことを芙蓉様や玉蘭たちが不審に思わないわけがない……)
 
 悲しげな顔をして玉蘭が詰め寄ってくる。
「それが、貴女ときたらなんなのよ。わらわは親友の一大事に駆け付けちゃいけないの? 迷惑だったってこと? ……あんまりだわ、香緋」
「違うのよ。別にあんたを責めたいわけじゃ――」
「思えばいつもそうだったわ。わらわや姉様とはなかなか打ち解けようとしないし、話しかけても他人行儀で……。貴女とやっと対等に話せるようになるまで、何か月かかったと思う? 三月みつきよ」
「それ、は……」
 
 ピヴォワンヌ……否、香緋は、相手が公主だから遠慮していただけだ。
 平民の娘が公主を馴れ馴れしく呼び捨てにしたりしたら不敬に当たる。それを思えばある程度距離を置いて付き合った方が好ましいだろうと判断したのだ。
 だが……。
 
「もうこんな真似しないでよね。わらわたち親友でしょ? 今度隠し事なんかしたら絶対に許さないわよ、香緋」
「うん……。ごめん、玉蘭」
 しおしおと言うと、玉蘭はたちまち機嫌を直して腕にすがりついてくる。
「じゃあ仲直りねっ。困ってる香緋もとっても可愛いから、今回は特別に許してあげる」
 玉蘭はあっという間に笑顔になり、ぎゅうぎゅう腕にしがみついてくる。
 ピヴォワンヌはやれやれと苦笑いした。
 
 
「そうそう。香緋に会わせたい人がいるのよ」
 玉蘭は楽しげに言ってぴんと人差し指を立てた。
「はあ? 誰よ、それ。何おかしなこと言って――」
 三人から少し離れた場所……柳の木の下にたたずんでいる長身の男を、玉蘭は指さした。
 彼は朱塗りの煙管を咥え、しばらく物憂げにそれをふかしていたが、やがてこちらに気づいてニッと笑った。
「……よお、香緋ちゃん。会いたかったぜ?」
彩月さいげつ……」
 ピヴォワンヌは思いもよらない再会に、のろのろと彼に近寄った。
 
 ……喬彩月きょうさいげつ
 彼は劉の宮廷に仕える宮廷魔導士だ。芙蓉女王の覚えもめでたく、その夫である琅玕公ろうかんこうにも全幅の信頼を寄せられている。魔術だけでなく剣術も得手だからだ。
 
 彼は吸い口に芙蓉の紋が入った紅い煙管を再度咥えた。すう……と吸い込み、深々と煙を吐く。
 この朱塗りの煙管は主人である芙蓉女王に下賜されたもので、彼女の信頼の証だ。花街の妓女たちが愛用するものとよく似ているが、細部まで凝った作りをしていることからすぐに安物ではないことがわかる。
 髪はピヴォワンヌと同じ紅色をしており、襟足を残して短く刈っている。瞳の色は劉人らしく鮮やかな翠色だ。
 白い衣の前は大胆にはだけられ、男らしく引き締まった胸板がのぞいている。その上から色石のついた首飾りをじゃらじゃらと重ね、さらに丈の長い深紅のチュニックを着込んでいた。足元はゆったりした生成りの脚衣に包まれている。
 魔導士という概念は五大国共通だが、彩月の服装はこのスフェーンの魔導士たちのそれとは大きく異なっている。
 どちらかといえば優雅な身なりをしているクロードやアベルとは異なり、簡素で無駄のない衣服を着ているのだ。
 劉で過ごした時間が長いピヴォワンヌなどは彼の服装を「道士のそれによく似ている」とさえ思う。
 彼自身も特殊な護符を使って術を仕掛けることが多いから、余計にそう思うのかもしれなかった。
 
「彩月、あんたまで何しに来たの?」
 またゆっくりと煙管をふかし、彩月はふうっと紫煙を吐き出してみせた。
「何しに……って決まってンだろ。姫さんたちの護衛だよ」
「それはわかるけど」
「お前なァ……、もっと他に言うことねえのかよ。可愛くねえ奴」
 思わせぶりな言動に、しだいに苛々してくる。
(何よ。あんた相手に何を言えっていうの?)
 だが、自信たっぷりに見下ろされ、ピヴォワンヌはぐっと詰まる。
 
 彩月は昔から荒野の獣のようだった。それも、クロードとはまた違った種類の獣だ。
 剣の稽古で鍛えぬかれた身体に、数々の困難を潜り抜けてきたからこそ身についた洞察力。
 そして年の功とでも呼べばいいのだろうか、彼はとにかく読みが鋭い。二十七という年齢のためか、ピヴォワンヌなどよりよほど世の中が見えている。
 
 ピヴォワンヌにはそんな彼が疎ましく思えることが多々あった。
 年上ぶった物言いをしないところがかえって癪で、余裕の笑みでいなされるたびに馬鹿にされているような気がした。
 何よりこの瞳が苦手だ。
 クロードの艶めいたそれとも、アベルの陽気なそれとも違う、どこか醒めた瞳。
 この目でじっと見つめられると、なぜだか落ち着かない気分になってくる。悪いことなど何もしていないのに、自らの行いを咎められているような気がしてしまうのだ。
 
「そんな硬くならなくてもいいだろうが。もっと普通に腹割って話そうぜェ?」
 彩月に言われ、ピヴォワンヌは思わず身構えた。
「……あ、あんたとそんな風に話すことなんか、ないわ……!」
「つまんねえなぁ。相変わらず鉄壁の守りってか」
「だって、同じ宮城に勤めていたとはいえ、あたしたちはただの仕事仲間でしかなかったじゃない。あんたは魔導士、あたしは剣術指南役。それ以上でもそれ以下でもないでしょう」
「ふーん。つまり、姫さんたちと積もる話はしても、俺様と仲良くおしゃべりする気はねえってか」
「……別にそこまでは言ってないけど」
 ピヴォワンヌの視線がふらふらとさまよう。
 
 公主たちと違って彩月は男だ。それも、ピヴォワンヌなどとはまるで違う世界に住む男だった。
 公主二人とは同性同士ということもあっていくらでも話していられるが、彩月は違う。
 年齢も違えば性別も違う。おまけに纏う雰囲気に白刃しらはのような鋭利さがあって、地に足のついていない年若い娘とは簡単には相容れないのではないかという気がしてしまうのだ。
 おかしなことを口走れば嘲る調子で咎められるかもしれないし、うかつに意見すれば幼稚だといってからかわれるかもしれない。
 だから彼と何を話せばいいかなんて皆目見当もつかないのだ。
 
 二人はしばらく無言で互いの様子をうかがい合った。
 こんな風に再会してしまって一体何を話せばいいのだろうと思案していると……。
 
「おい」
 いきなり呼びかけられ、ピヴォワンヌはぎくっとした。
「な、何よ」
「お前……、親父さんどうした? こっちに来るとき一緒だったんじゃねえのか」
 ピヴォワンヌはそこで全身を強張らせた。
 
 
 ……彩月は以前から養父である陽春と仲が良かった。
 宮城勤めが終わると香緋の住んでいる地区に寄りたがり、招いてもいないのに勝手に邸の中にまで入ってくる。
 そして、陽春と酒を飲みかわしたり、二人で剣の稽古をしたりするのだった。
 酒が入ると彩月は普段以上にへらへらしたところを見せた。
 酔っていい気分になってくると、彼はひどく楽しげに笑う。そしてそのつど香緋に酌をさせた。
 
『いやァ、こうしてっと気分いいなァ。お前ってそんじょそこらの妓女よかダンゼン可愛いし』
『な、何よ! よりによって妓女と比べたりしないで!』
『ンだよ。可愛いって言ってンだから怒んじゃねェよ。あ、今度お前にそーゆー服買ってやろうか。一発で男落とせるような色っぽいの』
『いらないわよ!! っていうか、余計なお世話だからっ!!』
 
 そうやって自分の中の「女」を誉めそやされると、馬鹿にされているような気がした。
 お前はただ綺麗に着飾って笑っているだけでいいんだと……男と肩を並べるような真似はしなくていいんだと嘲笑われているような気がしたのだ。
 
 ある時、養父はそうやって喧嘩をする二人を見やって瞳を細めた。
『だが、彩月の言葉も一理あるな。お前もそろそろ嫁に行ける年だ。女らしさというのを学んでみるのも悪くないのかもしれないぞ』
 
 どうして養父がそんなことを言うのか、香緋にはわからなかった。
 どうして単なる仕事仲間の話をそこまで評価するのだろう。彩月の言うことなどただの戯言でしかないのに。
 彩月は悔しげに唇を噛む香緋を見てにやにやと笑っていた。
 酒杯を手で弄び、ひどく楽しげに鼻歌など歌いながら。
 
『お前はもうちょっと肩の力抜いてもいいかもしんねェなァ』
 そう言って彼は、むっつりと黙りこくる香緋の頭をぽんぽんと叩いたのだった。
 
 
 そして今。
 香緋は“ピヴォワンヌ・パイエオン・フォン・スフェーン”としてこのスフェーンにいる。
 陽春との日々を捨て、復権という道を選び、スフェーンの第四王女としてこの王宮にいる……。
 ピヴォワンヌは彩月の強い瞳を前に完全に言葉をなくした。
(どうしよう……、どうしたら――)
 あの楽しかった時間はもう戻ってはこないのだと、ピヴォワンヌは彼に説明してやらねばならない。
 それがなんだか辛くて悲しくて、やりきれなくもあった。
(だって、あんたはあんなに父さんを慕っていた。そのあんたに、まさか父さんが殺されたなんて言えるわけない……!)
 
 逡巡の末、ピヴォワンヌはなんとか声を振り絞る。
「……父さんは、死んだわ」
 思い切って打ち明けた刹那、彩月が煙草を吸うのをやめた。
「は……? 嘘、だろ……?」
「嘘じゃないわ。本当よ」
「な、んで……。なんなんだ、それ!! なんであの人が死ななきゃいけなかったんだよ!?」
「この国の王女になったとき、ここの王に殺されたの」
 そう言葉を紡ぎながら、ピヴォワンヌはぐっと耐えた。
 忘れたはずの痛みが、胸に重くのしかかってくる。
 自責の念と喪失感がないまぜになって襲いかかってくる――。
「……訳がわかんねェ。どういうこった、香緋。説明しろ」
 
 ピヴォワンヌはすべてを説明した。
 その昔、母・清紗がこの国の王に愛されて第三王妃の位についていたこと。
 養父である陽春はそれを理解していながら自分たちを迎え入れてくれたらしいということ。
 清紗が残した腕輪を頼りにスフェーンの使者たちが邸へ押し寄せてきたこと。
 そして、山脈と砂漠を超えてたどりついたこの国で、養父が惨たらしい刑罰を受けて殺されたという話まで、全部。
 彩月は煙管を手にしたままピヴォワンヌをじっと見た。
 
「……それでお前は今この国の宮廷でお姫様してるってわけか」
「うん……」
 次の瞬間、うつむくピヴォワンヌの耳朶を、彩月の冷たい声音が打った。
「ハッ……、とんだ茶番だぜ」
「……っ」
 静寂が容赦なく肌に突き刺さる。
 彼の沈黙は、まるでピヴォワンヌを非難しているかのようだった。
 思わずぎゅっとこぶしを握りしめる。
 
(何よ何よ……、まるで全部あたしが悪いみたいに……! あんたは何も知らないからそうやって馬鹿にできるんだわ……! あたしだって、助けられるものなら助けてた。≪星の間≫にたどり着くのがあと少しだけ早ければ、父さんは――!)
 
 口をつぐむピヴォワンヌを軽く睨むようにして彩月が問うた。
「お前、もう剣は取らないのか」
「えっ?」
「もう戦わないのかって訊いてンだよ」
 苛立ちをぶつけるように、彩月は勢いよく紫煙を吐き出す。
 その様子に怯えつつも、ピヴォワンヌはあたふたと答えた。
「女王選抜試験の時には戦うこともあるわよ。実技試験があるし……」
「だから、俺が言いたいのはそういうことじゃねェ。誰かを守るために動くのはやめたのかって訊いてんだ」
「守る……って、何を? だって、あたしの役割は王女であることよ。次期女王候補として、領主として、今のあたしにはしなきゃいけないことが山積みで――」
「――あっそ。じゃあお前、これから先もそうやってお綺麗なカッコして生きてくんだな? そうやって本当の自分を殺しながら」
「え……」
 ピヴォワンヌが怪訝そうな顔をすると、彩月はより強く睨んできた。
「お前、馬鹿かよ。戦う力をちゃんと持ってるくせにそれを生かそうともしねェで、こんな御殿みたいなとこに閉じ込められて、素直にはいはいって受け入れて。そんなのは俺の知ってる香緋じゃねェ。ただのお姫様だ。俺の知らねえどっかの国のな」
「あたしは別にそんな――!」
 彩月は煙管を口から外した。携帯式の灰入れを取り出すと煙管の先を押し付けて何度か叩く。
「戻れよ。話は終わったぜ、“ピヴォワンヌ”さんよ。お姫様はお姫様らしく公主サマたちと一緒にきゃあきゃあ言ってりゃいい。それが女の領分ってもんだろ」
「……!」
 傷ついたピヴォワンヌはくしゃりと顔を歪めた。
 彩月の胸を力いっぱい叩くと、声高に叫ぶ。
「何よ……、何よ、彩月の馬鹿!! あたしの気も知らないで!! あんたなんか大っ嫌いよ……!!」
「あっ……香緋!?」
 どこか慌てたような玉蘭の声がする。
 だが、ピヴォワンヌはかまわずその場を走り去った。
 
 溢れる涙で視界がみるみるうちにぼやけだす。
 優美なソフトピンクのドレスも、結われた髪も、丁寧な化粧も……。
 ……もう、すべてがぐちゃぐちゃだった。
 
「……馬鹿野郎」
 駆け出すピヴォワンヌの背を、彩月は醒めた瞳で見つめていた。
 
 

 

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