第六章 東国からの使者

 
 
「玉蘭っ……!? どうしてここに……!?」
 狼狽するピヴォワンヌに、彼女は――玉蘭はほっとしたように笑った。
「ああ、よかった……! よかった、香緋……、元気そうで……!」
 ピヴォワンヌが振り返って真正面からその顔を覗き込むと、玉蘭はますます強く抱きついてきた。
 ぎゅうっとしがみつかれ、ピヴォワンヌはよろめく。
 とっさにその背に腕を回すと、玉蘭はピヴォワンヌの胸で花がほころぶように可憐な笑みを見せた。
 
 この少女は名を神玉蘭しんぎょくらんという。
 彼女こそがピヴォワンヌが劉で剣術を教えていた公主だ。
 劉の指導者である芙蓉女王を母に持つ勝ち気な公主である。まだ十六歳だから、ピヴォワンヌとは同い年だ。
 ピヴォワンヌは嬉しそうに身を預けてくる玉蘭を前に、ふと怪訝そうな顔になる。
 玉蘭は現在姉とともに劉国次期女王として目されている。腰に提げた翡翠の玉佩が何よりの証だ。
 試験の勝敗が決まるのは半年後で、それまでの間に姉公主と武芸や教養の腕前を競い合うことになっている。
 スフェーン同様、劉では来春に新たな指導者を選出することが決まっているのである。
 
 当然のことながら、二人とも今は剣術や勉強にいそしむ時期だ。
 半年後に女王候補としての優劣が決まってしまうという状況でスフェーンにやってくるなんて、どう考えても不自然だ。
 
「また会えてよかったわ、香緋。元気そうで嬉しい」
 ドレスの胸に頬をすり寄せてくる玉蘭を一旦引きはがし、ピヴォワンヌは問うた。
「なんで……なんであんたがここに……? 宝蘭ほうらんはどうしたの?」
 姉公主の名を持ち出してそう問いただすピヴォワンヌに、玉蘭は無防備な笑みを向けた。
「実はね――」
 
「……玉蘭公主」
 硬い声に思わず振り向く。
 すると、そこには大勢の女官を引きつれたベルタが立っていた。走ってきたらしく息を切らしている。
「ご案内の途中でお姿が見えなくなったので心配いたしましたわ。そちらは薔薇後宮へ向かう遊歩道。公主様の貴賓室ではございません」
「わかっているわ、女官長ベルタ。わらわは馬鹿じゃないもの、一度教われば理解できるわよ。大体、この遊歩道がわらわの貴賓室に見えるわけないでしょ? 目がついてるんだもの、それくらいわかるわ。随分頭の固い女官長ね」
 つんと澄まして揶揄する玉蘭に、女官たちがくすくす笑い出す。玉蘭に言い負かされたベルタを笑っているのだ。
 が、そんな彼女たちのことさえ玉蘭は「馬鹿みたい」と一蹴した。
「はあ……。スフェーンの女性たちって皆こうなの? 劉とはまるで正反対の国だわ。劉の宮城じゃ、母様はなんでも好きにさせてくれたわよ。後宮に女を閉じ込めたりなんかしないし、公主がちょっと羽目を外したくらいで目くじらを立てたりもしなかったしね。そもそも、劉じゃ後宮に囲われているのは母様のお気に入りの男妾たちだけだわ。どうしてこんな、鳥籠に鳥を閉じ込めるような真似をするんだか……」
「……では、劉にお帰りになられませ。貢物の献上が済み次第、すぐにでもその宮城とやらにお帰りになればよろしいでしょう」
 悔しげに応戦するベルタに、玉蘭は片眉を持ち上げてせせら笑う。
「あら、そんな口を利いて大丈夫なの、貴女? わらわは貴女とは違う……、劉という大国の公主なのよ? 一介の女官ごときに帰れと言われておとなしく帰るくらいだったら、わらわは最初からこんなところにいないわよ」
 玉蘭は意地悪く――そして好戦的に笑った。
「そんな不遜な態度を取るんだったら、女官長が公主相手にぞんざいな口を利いたって国王陛下に報告するわよ。わらわは生憎この国の女性たちと違って気が強いの。貴女ごときにいやみを言われて泣き寝入りするような性格じゃないんだから、覚えておきなさい」
 ベルタがひっと息をのむ。
 
 その時、追い打ちをかけるようにベルタの左肩に背後から手が置かれた。
「玉蘭の言う通りですわ。公主であるわらわたちを批難するような行いは誰であろうと許しません」
 おっとりとした……だが凛とした声音でその少女は言い、旅装のフードを落としてみせた。
 かすかな音とともにフードが落ち、赤紫の波打つ髪がふわりと広がる。
 ……彼女の名は宝蘭公主。玉蘭の姉だ。
 彼女はベルタを見据えて言う。
「わらわはもちろんのこと、妹の玉蘭のことを貶めるような行いをなさったら、いかなわらわとて容赦はいたしません。劉の次期女王候補に対する侮辱は、我らが国母、神芙蓉しんふようその人への侮辱と同義……。どうか口を慎まれませ」
 きっぱりと言い切ったかと思うと、宝蘭はおもむろに居住まいを正した。
 胸に片手を添え、ほのかな微笑をそのおもてに湛える。
「女官長の……ベルタ様でしたわね? お名前は覚えました。妹ともども、滞在中はどうぞよろしくお願いいたしますわね……?」
 旅装に身を包んだ彼女は、そう釘を刺してにっこりと笑ったのだった。
 
***
 
 翌日。
 ピヴォワンヌは第四王女として≪星の間≫に呼び出されていた。
 劉からやってきた使者――すなわち例の公主たちのことだ――が国王リシャールに拝謁するというので、王女として列席することになったのである。
 
 今、ピヴォワンヌは紅玉棟の化粧室で身支度をしているところだった。
 デコルテに繊細なレースが並んだソフトピンクのドレスを着つけられながら、ピヴォワンヌは息をついた。
 ふわふわと柔らかなドレスに身を包むと、どういうわけか少しだけ気持ちが落ち着いてくる。着飾ることにはまだ慣れないものの、上質な天然素材を使ったドレスのうっとりするような肌触りだけは心地よかった。
 
(綺麗なピンク……)
 
 謁見用のドレスはピヴォワンヌの肌にしっとりと馴染んだ。優しげな薄紅色に、ピヴォワンヌの心がだんだんとほぐれてゆく。
 どんなに気持ちが荒んでいても、こうした女性らしい衣服で装っているとささくれだった心が少しばかり癒されるような気がする。
 このいかにもふんわりした手触りがそうさせるのかもしれない。
 
(こんなのがあたしに似合うわけないってずっと思ってきたけど……出来上がりが楽しみだわ。バイオレッタがいないときに不謹慎ではあるけど)
 
 胸のふくらみを持ち上げる補正下着や腰を締め付けるコルセットの類はやっぱり苦手だが、盛装そのものはさほど嫌いではなかった。
 ドレスやローブといったものも、言うなれば一種の甲冑のようなものだ。
 女は武器を取らない代わりに綺羅で装って強さを示す。
 その美しく研ぎ澄まされた姿勢そのものが、何よりの武器となる――。
 
 みなぎる臨戦態勢はそのままに、ピヴォワンヌは乙女らしく甘やかなドレスでその身を飾った。
 凛とした表情がソフトピンクのドレスでほどよく中和され、強気でありながらどこか可憐な王女の姿ができあがる。
 ドレスは謁見式にふさわしく素晴らしい仕立てだった。
 胸元には涙型のコンクパールが雨だれのように行儀よく連なっており、胸の中央にはカーネリアンオニキスと天然真珠を用いた大ぶりのブローチが留められている。耳飾りも同じ細工物で、長い芍薬色の髪をまとめる花の髪留めはピンクダイヤモンドとディマントイドガーネットが使われた特別製だ。
 靴は柔らかな絹サテンのミュールで、靴下は光沢のある絹だ。太もものところでガーターで吊るタイプになっていて、生地全体に花や蝶の銀刺繍が舞っている。
 
「可愛い……」
「よくお似合いですわ。髪が紅くていらっしゃるから、ピンクが最高に映えますわね」
 着付けを終えたダフネがにっこりと笑う。
 彼女はそのまま女主人を化粧台へ連れていった。
 ダフネによって丁重に化粧を施されながら、ピヴォワンヌはつぶやいた。
「はあ……。それにしてもびっくりだわ。まさかあの二人が直々に朝貢にやってくるなんて……」
 粉白粉を冷たい水で溶き、ダフネは化粧筆を使ってピヴォワンヌの顔に乗せた。
「ですが、劉は鎖国状態にあるとはいえれっきとした隣国ですわ。何も不思議はないかと」
「普通公主が出向いたりしないでしょ。普通であれば使者を寄越すものじゃない。どうしてわざわざ公主たちが……」
 ぶつくさ言いながらも、ピヴォワンヌはダフネのされるがままになる。
 ダフネは頬紅をたっぷりとブラシに取ると、白粉でなめらかに整えられたピヴォワンヌの頬にそっとひとはけした。艶を出すパールのパウダーも取り、頬骨の辺りにさっさっと刷いてゆく。
 磨くようなしぐさでパウダーをはたかれると、そこだけ瞬く間につやつやしてくる。
 ピヴォワンヌは文句を言うのをやめて思わず鏡の中の自分に見入った。
「すごい……。いつも思うけど、あたしじゃないみたい……」
 ダフネは微笑み、次々と化粧を施していった。
 きらきらしたベージュブラウンのシャドウで目元を彩り、まつげを上向かせて化粧料でくっきりさせる。
 最後に細長のリップスティックを取り、ダフネは王冠を模した形のキャップを開けた。
 次いで、その中身を紅筆で擦り取る。
 そしてその珊瑚色の紅をピヴォワンヌの唇に丁寧に伸ばしていった。
「……さあ、できました。よくお似合いですわよ、ピヴォワンヌ様」
 自信に満ちた台詞の通り、ダフネの化粧は素晴らしかった。
 健康的な肌色といい、ほのかに色づいた花弁のような唇といい、どこを取っても非の打ち所がない仕上がりだ。
「ダフネの化粧ってすごいわ。あっという間にお姫様の顔になるんだもの」
 ついそんなことを口にするピヴォワンヌに、ダフネは化粧筆を携えたままころころと笑った。
「あら。女性はみなお姫様ですわよ? 本人が気づいていないだけで、誰にもその素質はあるのですわ」
「またそんなこと言って」
「わたくしは嘘など申しませんわ。わたくしに言わせれば、ピヴォワンヌ様だってじゅうぶん魅力的なお可愛らしい御婦人です。貴女様の場合、もしかすると姉君のバイオレッタ様よりさらに女性らしい女性におなり遊ばすかもしれませんわね」
「嘘。バイオレッタより女の子らしくなんてなれるはずないわ。あたしはあの子とは正反対よ、わかってるでしょ?」
 だが、ダフネは苦笑いするばかりで答えてはくれない。
 渋々ピヴォワンヌは問い詰めるのをやめた。
 
 
 
 
 リュミエール宮に着いた二人は、いつものように玉座の置かれた≪星の間≫に向かった。
 騎士らの手によって恭しく扉が開かれ、ピヴォワンヌとダフネは≪星の間≫の中に足を踏み入れる。
 そこにはすでに翡翠の髪の王女の姿があった。
 一足早く≪星の間≫に到着していた第二王女のミュゲ姫だ。
 今日はコバルトグリーンのローブ・ド・クールを着込み、手には真っ白な百合の花が描かれたレースの扇を携えている。
 長い裳裾にはたっぷりと銀糸の刺繍が施してあってなんとも美麗だ。
 腕にかけたゴブラン織りの小ぶりのレティキュールも目を引いた。模造宝石ビジューをはめ込んだ口金がついていて、黄金の細いチェーンで繋いである。色はくっきりとした漆黒だ。表面には庭園で見つめ合う男女の姿が描き出されている。
 ミュゲのたおやかなたたずまいに、自分などよりこちらの方がよほど姫君らしいではないかとピヴォワンヌは思った。
 
 が、当の本人はといえば面白くもなんともなさそうに立ち尽くしていた。
 怒っているようでもないが、かといって楽しそうな顔つきでもない。
 要するに面倒そうなのだ。
 
 ピヴォワンヌはそろそろと彼女の隣に並んだ。
「……全く。どうしてこんな時期に公主様がお出でになるのかしら」
 ミュゲは呆れたような顔で言い、いつものように物憂げなため息を漏らす。
 昨日の召集のせいで緊張が解けずにいるらしく、整った顔にはわずかに疲労の色が滲んでいる。いかにもやる気がなさそうな態度だ。
「劉の公主なんて、わたくしは興味がないわ。貢物の献上をするところを見るだけなのだから、わたくしなんて別にいなくたってかまわないでしょうし」
「あんたって意外とものぐさよね」
「早く帰って横になりたいのよ。たかが客人のためにこうして呼び出されるなんてまっぴらだわ。昨日あんなことがあってまだ疲れているっていうのに……」
 ピヴォワンヌは幾分投げやりなその台詞に、やっとミュゲの本質を垣間見たような気がした。
 
(いつも宮廷人たちの前で見せてる顔とはだいぶ違うわね。案外この子って、面倒くさがりでいい加減なところがあるのかも……)
 
 舞踏会や晩餐の席などではいつも隙のない装いと化粧で現れるミュゲだが、意外にもその素顔は普通であるらしい。
 ということは、この「早く帰って寝たい」などという台詞もまごうことなき本音なのだろう。
 もっとも、二日続けて王に召し出されて疲労を感じない人間などいるはずがない。昨日のリシャールの剣幕を考えれば気が重くなるのは当然のことだ。
 ミュゲの顔色はあまりよいとは言えず、頬は白すぎるほど白かった。時折、広げた扇の影であくびを噛み殺している。
 
 それにしても、バイオレッタに対してのあの八つ当たりのような仕打ちは一体なんだったのだろう。
 ライバル同士とはいえ、同い年の少女を女狐めぎつね呼ばわりとはなんとも穏やかでない。
 それに、ミュゲがバイオレッタを敵対視しているのは明白だ。
 バイオレッタの前でだけ、ミュゲは苛烈で刺々しい顔をのぞかせる。ピヴォワンヌにはそれがなんとも不思議な感じがした。
 
 いよいよ謁見の時間になり、公主たちは従者とともに≪星の間≫に姿を現した。
 侍女によってスフェーン流のもてなしを受けた二人は、目もあやなドレスに着替えさせられていた。
 といっても、随所に劉の意匠を取り入れたものなので違和感はない。前でゆったりと掻き合わせるカシュクールのドレスで、胸のすぐ下で大ぶりのリボンを帯のように結んでスフェーン風にしている。
 二人はドレスに極彩色の房飾りをあしらい、頭部には金簪や飾り櫛をいくつも挿して装っていた。
 スフェーンの貴婦人たちの視線は興味深げに二人の装いに注がれた。
 
 ……絹でできた花や、貴石が垂れ下がるきらびやかな簪。飴色に輝くべっ甲の櫛。
 色彩豊かで個性的な化粧に、ぱっと目を引く一風変わった形の髷。
 まだ見ぬ異国の文化をそっくりそのまま運んできたかのような二人の公主の姿に、女たちの間から感嘆の吐息が漏れ始める。
 
 やがて、「国王陛下のお出ましです」という声とともに、≪星の間≫の奥からリシャールが姿を現す。
 一同は深く頭を垂れて国王の発言を待った。
「おもてを上げよ」
 リシャールの言葉を受けて、公主二人は毅然と顔を上げた。
 どこか検分するようなリシャールの視線にも、公主たちは全く怯まなかった。むしろ堂々と彼を見つめ返す。
「ほう……。さすがは女王国の公主たちだな。この僕の視線を真っ向から受け止めるとは」
 リシャールは国王らしく落ち着き払った態度で言った。
「しかし驚いたな。そなたらの国は国交を持たぬと聞いておる。次代の女王候補二人がこうして直々にスフェーンにやってくるとは、なんとも興味深いことが起こったものだ」
「陛下。今は謁見式の最中ですよ。客人であらせられる公主様に発言を許さないというのは不敬に当たります。そろそろ引見を行いましょう」
 苦笑しながらクロードがたしなめると、リシャールははっとしたように彼を見上げた。
「あ、ああ……、そうだったな。やはりお前がいてくれると助かるな、クロード。引き続き僕の補佐を頼むぞ」
「御意……」
 居並ぶ官僚たちがあからさまに顔をしかめたことにも気づかずに、リシャールはクロードにいかにも親密そうな笑みを向けた。
 
 クロードは何事もなかったかのように宮廷に出仕していた。
 リシャールが落ち着きを取り戻しているのは、もしかしたらクロードのせいなのかもしれない。
 自分を支えてくれる近臣の存在というのはやはり何物にも代えがたいものなのだろう。
 そのためか、リシャールはもう癇癪を起こさなかった。
 もうすっかりいつもの「国王の顔」に戻っている。昨日の荒んだ様子が嘘のようだとピヴォワンヌは思った。
 
 クロードの諫言を受け、リシャールは公主たちに発言を促した。
 玉座に座すリシャールを前に、最初に言葉を発したのは妹の玉蘭であった。
「国王陛下に拝謁つかまつります。わらわは劉国公主、神玉蘭。劉国女王が神芙蓉の娘でございます」
 流暢な大陸語に、リシャールが眼を剥いた。
 劉の公主がわざわざ謁見にやってきたことはもちろん、彼女の大陸語が思いがけず堪能であることに驚きを隠せないようだ。
 次いで、玉蘭の隣に立つもう一人の少女が首を垂れる。
「わらわの名は神宝蘭。玉蘭の姉でございます。どうか、よろしくお見知りおきくださいまし」
 そう言って淑やかに拝礼した宝蘭に、宮廷人たちの視線が一斉に集中する。
 それもそのはずだ。彼女は美醜にうるさいスフェーン人たちが見ても思わず息をのむほどに見目麗しい容貌をしていた。
 気の強い玉蘭と決定的に異なっているのは、そのおっとりとしたたたずまいだろう。
 白い肌はどこまでも雪のように澄み渡り、頬には蓮の花を思わせる淡江の頬紅が載せられている。
 ふっくらとした唇は艶やかに紅く、緩く波打つ赤紫の髪は大きな髷に結われていた。
 そして何より目を引くのは、彼女のその翠玉の双眸だ。
 磨きぬいたエメラルドのような二つの瞳は頼りなげに潤み、きらきらと輝いている。髪の鮮やかな紅色と相まって、たとえようもないほどに魅惑的だ。
 何かを乞うようにうっすらと開いた唇がその清楚な美貌にさらなる拍車をかけていた。
 
 ……東の大国から舞い降りた天女。異国の香りを纏った麗しき蘭の姫。
 男たちはそうやって彼女を褒めちぎりだすに違いない。
 そして、長年の劉に対する偏見を改めざるを得なくなるだろう。
 
 そんな二人の様子を、ピヴォワンヌはため息をつきながら眺めていた。
 
(どうしたっていうの、こんな時に。まさか、芙蓉様に何かあったとか……?)
 
 二人の母親である芙蓉女王は、ピヴォワンヌのかつての主に当たる。自分の選んだ国としか国交を持たず、文化や特産物を必要以上に異国に流出させることを好まないやり手の為政者である。
 ダフネの言葉通り、現在の劉は鎖国状態だ。「東の大国」、「未開の地」などとも呼ばれており、イスキア大陸の中でも特に神秘性の高い国とされている。
 大陸の中には虎視眈々とその広大な領土を狙う者もいるらしく、芙蓉自身も緻密な策を講じていた。
 
 まず、余計な宗教思想を国内に入れないこと。
 これは他の五大国との軋轢を避けるための措置でもある。
 ある時期から、劉では竜神と呼ばれる水の神獣を国の祖とする教えが広まり始めていた。国を築いたのは女神などではなく竜神だというものである。
 清流を司る女神ヴァーテルは水の眷属だから、これは別段おかしな思想ではない。
 しかし、五大国の王たちはそれをよしとしなかった。
 誰か一人でもヴァーテル教の教えを覆そうとすれば大陸の国々の足並みが乱れてしまう。
 だからこそ過去の劉の女王は早々に五大国の協定から離脱したのだ。 
 
 そして次に、物資を他国へ流通させないことによって民の暮らしを豊かにすること。
 これは言葉通りの意味で、劉の民そのものの生活を安定させるための政策だ。
 劉はもともと大陸で最も広大な領土を持つ国だ。下手に国交を持たずとも、国の統治を正しく行うだけでじゅうぶん民たちは暮らしてゆける。
 加えて他国から人を入れないとなれば当然政も行いやすくなる。統率が図りやすくなるからだ。
 
 最後に、他国の人間をむやみに迎え入れないことによって劉独自の文化を維持すること。
 他国の文化や風習が入ってくれば、どうしても国は混乱する。
 時には余計な諍いの火種となるし、劉が持つ本来の伝統文化が廃れていってしまう。
 鎖国状態にあるということは、少なくとも従来の劉の文化が守られるということ。そして下手に他国に介入されない分、独自の進化を遂げる可能性を秘めているということだ。
 つまり劉は、一時的な発展よりも長きにわたる安寧を選んだのだ。
 
 だが、そんな劉とて貿易を一切行わないわけではなかった。
 芙蓉自身が気に入った国はうまく味方につけるし、一度信用した国はどこまでも大切にする。
 劉の風習や文化が廃れぬ程度に、ほどよく諸外国の様式も取り入れてゆく。
 つまり、安易に自国の売り込みをしないことで、逆に希少価値を上げるというわけだ。
 
(確かに、芙蓉様が自分の認めた相手としか国交をしないとなれば、他の国は焦る。何とかして大国である劉と関係を築きたいと望む。実際はそこまで大した国ではなかったとしても、大陸中で噂が広まれば、劉はその実力以上に大きな存在に映る……)
 
 東の果てに何があるのだろう、どんな人間が住んでいるのだろう。そんな妄想を人々に掻き立ててやればいい。
 どのみち劉の守りは万全で、異国人は簡単に足を踏み入れることができないようになっている。
 海上をゆくにしろ、山脈を越えるにしろ、よほど旅慣れた人間でなければ踏破するのは難しい。
 それに加え、劉はその領土がとんでもなく広大な国だ。
 荒野に住まう狩猟民族に、山脈の麓に村を作っている者。肥沃な土地で豊かな自然とともに暮らす者。都市部で商いをする比較的裕福な者……。
 さまざまな民族が寄り集まって暮らす国ではあるが、統率の仕方さえ間違わなければ人の暮らしに問題はない。食料も資源も有り余るほどあるから、他国の支援を頼らずとも民の暮らしは問題なく成立する。
 芙蓉がきちんと民たちの手綱を握ってさえいれば、下手に国交などしなくともじゅうぶん安泰なのだ。
 こうした優良な環境を持つ劉という国はまさしく山海の守護を受けた聖域であり、潤沢な物資に恵まれた桃源郷だった。
 そしてうかつな侵入者を寄せ付けぬ孤高の大国であるともいえた。
 これもひとえに代々の女王の手腕が優れていたおかげだろう。
 
(だけど、こんな時期に劉が朝貢を寄越すなんて……。一体どういうことなのかしら)
 
 まさか本当に芙蓉女王の身に何かあったのだろうか……。
 
「国王陛下、一つだけお願いごとをしてもよろしいでしょうか」
「なんだ、神玉蘭。申してみるがよい」
 ピヴォワンヌは玉蘭とリシャールのやり取りに、のろのろとそちらを見た。
 玉蘭はリシャールの顔をしっかりと見つめて懇願した。
「わらわの部屋は香緋……、いえ、ピヴォワンヌ姫の居住棟の近くにしていただけないでしょうか」
 
(えっ……!?)
 
 ピヴォワンヌは仰天した。
 異国からの使者たちは普通、リュミエール宮の貴賓室をあてがわれるものだ。
 なのに、それをわざわざ薔薇後宮の一室に変えてほしがるとは一体どういうつもりなのだろう。
 
 リシャールが思案顔になる。
「ふむ。かまわぬが……それは何ゆえだ、玉蘭公主」
「わらわと彼女は劉にいた頃は親友同士でした。同郷のよしみもございますし、久しぶりに積もる話をしたいと考えております」
 はねつけられるに違いないと踏んでいたが、意外にもリシャールは鷹揚にうなずいた。
「かまわぬ。……紅玉棟のそばに空いた居住棟がいくつかあったな? 状態のよいところを選んで案内してやれ」
 侍従の一人をさしまねいてそう指示するリシャールに、玉蘭は満面の笑みを浮かべて再度頭を垂れた。
「ありがとうございます、国王陛下!」
 
 

 

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