第二十四章 移り変わるもの

 
 ――その夜、主人であるリシャールのもとへ引き立てられたクロードは、≪星の間≫で彼と向き合っていた。
 左右を固めていた騎士たちが人払いを受けて退室し、今や広間にはクロードとリシャールの二人しか残っていない。
 天窓の向こうはすでに濃い宵闇に支配され、時折小さな星屑のかけらが儚げに瞬いている。
 
「……」
 二人はしばし無言で同じ色彩を宿す互いの瞳を見つめ合った。
 ……第三王女をかどわかしたうえ、自らの私邸へ連れ去って監禁する。
 こんなことをすれば、本来であれば逆賊のそしりを免れないところだ。
 普通の感覚を持つ国王ならば、寵臣がそんな蛮行に及んだ時点で厳罰を与えているに違いない。
 しかし、リシャールはクロードの犯した罪を咎めなかった。それどころか鷹揚に「許す」と言った。
 それはクロードがリシャールにとっての唯一無二の寵臣だからであり、これまで自らの公務に惜しみなく助力してきた協力者でもあるからだ。
 何より、クロードがいなくなればリシャールの身体を調べる人間がいなくなってしまう。
 呪いの進行具合を確かめる魔導士がいなくなるのは彼にとってはこの上ない打撃なのだ。
 
 だが、クロードにしてみればたったそれしきの理由でというのは不本意だった。
 リシャールにとっての愛の基準とはすなわち相手が自分にとって都合よく動いてくれるかどうかということなのだ。
 それは裏を返せば付け入る隙が多いということでもあるが、自分にとって都合のいい人間だから刑罰を軽くしてやるというのはクロードにとってはなんとも耐えがたいことだった。
 
(あなたは何もわかっていらっしゃらない……。たったそれだけの理由ですべての罪を許されるというのは、私にとっては屈辱以外の何物でもないというのに……)
 こんな王に下に見られているかと思うと吐き気がした。
 彼は自分にとって利用価値があるから許すだけなのだ。そんな尺度で測られてはたまったものではない。
 
 リシャールは玉座の上で泰然と足を組んだまま、肘掛けの上でぎゅっとこぶしを握りしめた。
「先ほども言った通り、お前の罪はすべて許そう。だが、一つだけ訊いておきたいことがある」
「……はい、なんなりと」
 リシャールは一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、ややあってから静かな声色で問うた。
「……教えてくれ、クロード。なぜバイオレッタを捕らえた」
 彼は薄闇の中、苛立たしげに癖のある金髪を振り乱す。
「お前は僕の一番の寵臣であろう。そしてあやつと仲を深めすぎるなと再三にわたって警告してきたはずだ。だのに、なぜあのようなことをした」
「……」
「答えよ、クロードッ!!」
 クロードはそこでとうとう唇を開いた。
「……私は、第三王女殿下をお慕いしておりました」
 その一言だけでリシャールが息をのむのがわかる。
「私はあの方を愛しております。あの方の愛が手に入るなら、私は何も惜しくはないのです。あの方と生涯を共にできるならば、それだけで……」
 眉宇をひそめて切なげに続けると、リシャールはたじろいだ。
「お前……っ」
「申し訳ございません、陛下。私はずっとあなた様を裏切っておりました。私は第三王女殿下をお慕いしております。私は、この世の何にも代えがたいほど、あの方を……バイオレッタ王女殿下を愛してしまいました。もとよりあなた様の罰は受ける覚悟でおります。どうか、お許しください」
 言い切った刹那、頬に強い痛みが走る。駆け寄ってきたリシャールが頬を強く張ったのだ。
「このっ……!! ふざけるな!! お前は僕の寵臣ものだろう!? 何のためにここまで取り計らってやったと思っておる!? お前は……お前は恩を仇で返す気か!!」
 昂ぶりに任せ、リシャールはクロードの胸をクラヴァットごと掴み上げた。
「このッ、裏切者がッ……!!」
 そのまま立て続けに頬を打たれる。
 否、打つというよりは殴るといった調子だ。
 リシャールが腕を振り上げるたび、指の印章指輪がこめかみや頬骨にめり込んで嫌な音を立てた。
 リシャールに幾度となく打擲されながら、クロードはただ静かに瞳を閉じていた。
 視界が絶たれた分だけより鋭敏に痛みを感じ取る。
 だが、リシャールの殴打が激しくなればなるほどクロードの心は快く昂っていった。
 ……痛い。苦しい。皮膚が熱い。
 だが、それを上回るほどの悦楽が全身の神経に行き渡る。
 ああ、まるで麻薬だ。
 罪も裏切りも、謀りさえ。
 バイオレッタにまつわるすべてのものが、この身体にこの上ない悦びをもたらす。
 痛みと快楽は常に表裏一体だというが、それはクロードにとっても同じだった。
 身体中を駆け巡る波濤のごとき感覚は、もう歯止めが効きそうになかった。
 眼裏にはバイオレッタの麗姿だけがただぼんやりと浮かび上がっていた。
 ……この責め苦の果てに彼女が待っているというなら、いくらでも耐えてみせよう。
 愚かな少年王よ。いくらでも手を上げるがいい。いくらでもこの肌を痛めつけるがいい。
 クロードは幾度もそうして心の裡で密かにリシャールを嘲笑った。
 リシャールはうなだれるクロードの髪を掴むと、その顔を強引に上げさせた。
「っ……」
 艶やかな黒髪を鷲掴みにされながら、クロードは薄目を開けてリシャールを見る。
 
「二度とこんなことをするでないぞ。お前だけは僕を裏切ってはならぬ。わかったな!?」
「は、い……」
「こんな真似をしたら、次はお前から宮廷魔導士の位をはく奪してやる。そうなればお前はまたただの浮浪者に逆戻りするしかない。それが嫌なら従え。この先もその命を懸けて僕に尽くせ。それができぬというなら、今すぐ城下へ放り出してやる」
「それだけはお許しを……!」
 そう言って媚びて哀願すれば、リシャールはすぐに機嫌を直した。
「ふん……。ならばまずはその罪を贖ってもらおうか。しばらくの間、お前には蟄居ちっきょを申し付ける。僕がよいと言うまで決して邸から出てくるな。もし言いつけを破るなら『無情の監獄カージュ』に放り込んでやる」
 クロードは痛ましく腫れた頬のまま一つうなずいた。
 
 
 主に退室を許されたクロードは、平坦な表情のまま廊下へ出る。
 そのまま中庭まで出た彼は、口内に残った血を勢いよく吐き捨てた。
 唇を拭うと、白い手袋にうっすらと血の赤が滲んだ。
 その色彩さえどことなく愉快で、彼はくすりと笑う。
「……は。たったそれしきで許されるのなら安いものだ。あの蜜月の日々を思い出しながらせいぜい謹慎の時間を愉しませていただくとしましょう」
 こうして処罰を受けるまでの間にも、クロードはずっとバイオレッタとの夜を反芻していた。
 あれからというもの、クロードは彼女と過ごしたあの夢のような日々を幾度も幾度も頭の中に思い浮かべては愉しんでいる。
 闇の中でしらじらと光る純白の夜着に、それに負けず劣らず白くてきめ細やかな陶器の肌。
 月光のように柔らかな輝きを帯びる白銀の髪、愛玩人形を思わせる細く形のよい両の手足。
 唇に残る、崩れそうに柔い素肌の感触。接吻で震える彼女の肢体、こちらを見て怯えるその仔兎の目まで――。
 その残像の数々は図らずもクロードの心を満たしてくれた。
 そうした彼女の艶姿を思い出すだけで、胸の奥がらしくもなく強く疼く。
 甘すぎるキャンディを口内で転がしている時のように、脳髄がどろどろに蕩けてゆく。
 そして、「自分はこのままこの空想の中で生きてゆくことができるのではないか」といったおかしなことまで考えてしまうのだった。
 何せ千年もの間耐えたのだ。今更一時の別離に耐えられないわけがない。
 何より彼女は生きている。
 クロードが手を伸ばせば触れられる場所に、ちゃんと存在している。
 クロードが望めば、いつだって言葉を交わすことができるのだ。
 それを思えば謹慎処分など痛くもかゆくもなかった。
「ああ……愛している。愛している、バイオレッタ。貴女と二人きりで作る未来が欲しい……。貴女の笑顔、貴女のぬくもり、貴女の愛……。貴女のすべてが、欲しい……」
 クロードは肩を揺らしてくつくつと嗤った。
「これで終わるはずがないでしょう、陛下。私相手に蟄居などという甘い処分を与えたことを、せいぜい後悔なさってください。この国は……五大国は、私が終わらせる。わが帝国の輝きを、必ずやこの地上でよみがえらせてみせる……」
 そして今度こそ永劫の楽園を創り上げるのだ。
 
***
 
 クロードの蟄居が決まってしばらくのち、ピヴォワンヌはバイオレッタを連れてリュミエール宮へやってきていた。
「ほんとに大丈夫なの? 無理しないでよね」
「大丈夫よ。お父様に顔をお見せするだけだもの。それに、たまには外に出なくちゃ」
 久しぶりにきちんと盛装したバイオレッタの姿を見て、ピヴォワンヌは「やはり美しい少女だ」と感じた。
 凛とした雰囲気を醸し出す藤の花色ウィスタリアのドレス。
 細い首筋には細密画ミニアチュールの嵌め込まれた天鵞絨ビロードのチョーカーが巻かれ、ドレスのボディスにはブリリアント・カットのダイヤモンドが大胆にあしらわれたコサージュブローチがいくつも留めつけられている。
 ドレスの動きに合わせてちらりと覗く靴には小粒のアメジストを乗せた銀のシューバックルが輝いていた。
 清楚で大人びた美貌のバイオレッタに、「愛くるしい」とか「可憐」などという表現は似合わない。
 寒色系のドレスをすっきりと着こなしていることからもわかる通り、彼女の雰囲気はやや硬質だ。
 近寄りがたいというほどではないが、どこか澄んだ玲瓏たる美貌の持ち主なのである。
 とはいえ甘さが全くないわけではない。
 おっとりと優しげな目元や朗らかな微笑を形作る桜色の唇といったものが、彼女の整った美しさに愛嬌や親しみやすさといったものを添えている。
 元気がよく溌溂としたピヴォワンヌとは異なり、彼女にはもともと淑女然とした気品と落ち着きが備わっていた。
 二人は父王リシャールに面会するため、並んでリュミエール宮の廊下を進んでいた。
 よく磨き抜かれた白亜のタイルを踏み鳴らし、ドレスの裳裾をするすると引きながら、≪星の間≫へ通じる通路をゆったりと歩く。
「お父様はお元気かしら」
「あんたの無事を聞いて、本当に嬉しそうだったわね。あいつがあんなに取り乱しているのを見たのは初めてよ」
 
 ……バイオレッタが無事王宮に戻ってきた日のこと。
 報せを受けてリュミエール宮の入口へ駆け付けたリシャールは、騎士の腕の中でぐったりしている愛娘の姿を見るや否や、勢いよく彼女に駆け寄った。
『バイオレッタ!!』
 そうやって娘の名を呼びながら必死で彼女の様子をうかがう姿は、どこからどう見ても一人の父親のそれだった。
 バイオレッタが健やかに呼吸を繰り返していることを知り、一旦は落ち着きを取り戻したリシャールだったが、やがて瞳いっぱいに涙をためて静かに泣きだした。
 バイオレッタの無事を知って気が緩んだのか、あるいは彼女の寝顔にエリザベスが亡くなったときのことを思い出したのか。
 彼の心境はピヴォワンヌにはわからなかったが、その歔欷きょきの声は周囲の者たちを圧倒するにじゅうぶんだった。
 同時に、少年の姿のままであり続けるしかない彼の境遇を、ピヴォワンヌは憐れんだ。
 バイオレッタと並ぶと、リシャールは傍目には彼女と同じ年代の華奢な少年のように映る。
 バイオレッタを守ってやれるような存在には到底見えないし、彼がバイオレッタの父親なのだといっても恐らく誰も信じないのではないだろうか。
 成人した男性にふさわしい屈強な胸やたくましい腕といったものを、彼は一切持ち合わせていない。
 バイオレッタを脅かす障害から彼女を守り抜けるだけの強さを、彼は肉体的にも精神的にも有していないのである。
 しかし、ピヴォワンヌは一瞬だけ強く願った。いつかリシャールの呪いが解けてくれればいいと。
 十七で時を止めてしまった彼の肉体年齢や精神年齢が、すべて元通りになってくれればいいのにと。
 
「全くもう。あたしよりあんたの方が待遇がいいんだから参っちゃうわ」
 そうぼやけば、バイオレッタはすぐさまころころと笑う。
「まあ。そんな。だけど、ピヴォワンヌは少し見ないうちに随分お父様と仲良くなったのね。わたくし、なんだかちょっと驚いてしまったわ」
「……まあ、色々あったのよ。あたしの中で、あいつに対する認識が大きく変わったっていうか……」
 バイオレッタは微笑んだままわずかに首を傾げたが、異母妹の様子が至極和やかなものだったせいか、すぐに追及をやめた。
「……こうやってみんな少しずつ変わっていくのね」
 ピヴォワンヌはなんともいえないバイオレッタの横顔にきょとんとする。
 彼女はぶつぶつとつぶやいた。
「そう、よね。万物というのは流転するものなのだもの、変わることを恐れていては駄目よね……」
「……?」
 どこか物憂げな様子が引っ掛かる、と思い、ピヴォワンヌはバイオレッタの顔を覗き込もうとする。
 ……するとその時、廊下の向こう側から軽やかな足音が聞こえてきた。
「お久しぶりです。バイオレッタ姫、ピヴォワンヌ姫」
 なんと、声の主はエピドート国の第三王子であるカーティスだった。
 彼はこちらを見て屈託なく笑い、携えた薄紫の薔薇の花束を揺らして駆け寄ってくる。
「ご無沙汰しています、姫君がた。久しぶりにスフェーンに滞在することになったのでご挨拶に参りました」
「まあ、そうだったのですね。お久しぶりです」
 彼はバイオレッタの微笑みを見て頬にさっと朱を上らせたかと思うと、何を思ったか、その場にすっと跪いた。
 バイオレッタが慌てる。
 一国の王子に騎士のような真似をさせるのは忍びないと思ったらしく、彼女は急いでカーティスを立ち上がらせようとした。
「いけません……! お立ちになって、カーティス様。わたくしたちの立場は互いに対等なものではありませんか……!」
「いいえ。これは僕が好きでしていることです。ですから、どうかもうしばらくこうやって貴女の顔を見つめさせてください」
「……!」
 どこか恍惚とした目つきで見上げられ、バイオレッタは目に見えてたじろいだ。彼の発言の意図するところを悟ったからだ。
「……僕に跪かれるのは嫌ですか?」
「いいえ、そんな……」
 そう答えながらも、バイオレッタはすでにどうしていいかわからないといった顔つきになっている。
 カーティスはそれでもその手を取って優しく口づけを落とした。
 やがて軽やかに立ち上がったカーティスは、抱えていた大ぶりの薔薇の花束をバイオレッタに差し出す。
「……こちらは?」
「僕の敬愛する≪白銀しろがねの君≫へ……薔薇の贈り物を差し上げようと思いまして」
 カーティスはそう言ってはにかむ。
 そしてバイオレッタに差し向けたスターリングシルバーの花束に視線を落とした。
「美しい色をしているでしょう? まるで姫の瞳のお色だ。穏やかで甘い薄紫色……」
 のんきすぎるほどのんきなカーティスの様子に、ピヴォワンヌはため息をつく。
 確かに顔合わせの舞踏会の夜には親しげに会話をしていたようだが、今はこんなことをしている場合ではないのだ。
 バイオレッタが失踪したことで王宮は混乱状態に陥っている。
 第一王女オルタンシアの昏睡事件すらかなりの衝撃だったというのに、今度は第三王女が忽然と姿を消したのだ。これは宮廷人たちにとっては恐るべき事態だった。
 バイオレッタが無事帰還したことで、リシャールをはじめとする宮廷の人間たちは一旦は落ち着きを取り戻した。
 だが、この失踪で王宮が乱れに乱れたことは確かなのだ。
 今はこんな恋愛ごっこにうつつを抜かしている場合ではないというのに……。
 しかし、バイオレッタはしっかりと花束を受け取った。 
「まあ、嬉しいわ。綺麗な薔薇をありがとうございます」
「いえ……、貴女に喜んでいただけるなら、この程度のことはいくらでもします。だって、貴女の笑顔が見たいから……」
 二人の会話は初々しすぎて、見ているこちらが照れてしまう。
 クロードは艶めいた冗談を巧妙に交えたやり取りを好んでいたが、こちらの青年はどうやら違うようだ。純粋すぎていっそ気恥ずかしくなってしまうような口説き方をする。
 そのせいか、バイオレッタの方もクロードといるときとは明らかに異なった対応をしていた。
 クロード相手ならいくらでも怒ったり喚いたりするバイオレッタが、カーティスの前では借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
 これはピヴォワンヌには衝撃だった。
 クロードはバイオレッタの乙女らしい部分をうまく引き出してやっていたのかもしれないと、今更ながらに悟る。
 そして、クロードの方がバイオレッタには似つかわしいなどと考えている自分に気づいて愕然とした。
 それほどまでにバイオレッタの言動は不自然でぎこちないものになっていたのだ。
 なんだか可哀想になってきて、ピヴォワンヌはつい二人の間に割って入ってしまう。
「あんたねぇ。状況をよく確認してみなさいよ。この子はついこないだ王城に帰ってきたばっかりなの、あんたの求愛に応じている余裕なんか全然ないわよ」
「えっ……? それはまたどうしてですか?」
 ピヴォワンヌはまたしても深々とため息をついた。
 どうせ一から説明してやらなければわからないのだろうと思い、彼女はかいつまんで事の顛末を話してやった。
 カーティスはそれをおとなしく聞いていた。時々うなずいたり肯定したりしながら、ピヴォワンヌの一言一句にしっかりと耳を傾けている。
 すべて説明し終えると、彼は痛ましげに眉根を寄せた。
「……なるほど。姫君は事件に巻き込まれて行方不明に……。そして今は帰ってきたばかりでとても疲弊していると……」
 バイオレッタはそこで少しだけ傷ついたような顔をする。
 クロードが自分を監禁したという事実を、彼女はまだ完全には受け入れられないようだった。
 それもそのはずだ。ずっと慕っていた相手にそんな残忍な一面を見せられて動揺しない方がどうかしている。
 カーティスはバイオレッタに向き合うと、控えめに声をかけた。
「今は休養すべき時期だと思いますので、どうかご無理はなさらないでくださいね。僕も滞在中は姫君の負担になるような行動は慎みたいと思いますので、お二人ともどうか安心してください」
 ピヴォワンヌはそこであら、と思った。
(ふーん。随分謙虚な男ねぇ)
 ここで食い下がってきたら本当に引っぱたいてやろうかと思っていたが、杞憂に終わってほっとする。
 恐らくこの青年は相手の心に寄り添おうとする能力が高いのだろう。
 そして自信がなさそうな態度をとる割に、彼は本当はそこまで自らを卑下してはいない。だからこそ悠々とした対応ができるのだろう。
 話によれば彼は庶子だというが、王や母妃に愛されて育ったのだということがすぐにわかる。
 ひねくれているのはむしろもう一人の王配候補ユリウスの方だろう。
 彼は何かにつけて周囲を牽制したがるし、自分が一番でなければ気が済まないといった態度を取りたがる。
 ああやって必要以上に周りを威嚇したがるというのはいただけない。
 舞踏会の場でもバイオレッタのことを散々振り回していたようだし、彼こそはあまり褒められた性格ではなさそうだ。
(だけど、こいつなら大丈夫かしら)
 あまり驕慢さのない男性ならば、バイオレッタを任せても安心かもしれない。
 そう思いついたピヴォワンヌは、バイオレッタの肘を引き寄せてささやいた。
「……ねえ。リシャールに顔を見せ終わったら、そのままこいつとどこかに出かけてくれば?」
「えっ!?」
「あんた、ここのところ全然元気がないみたいだし、たまには違う男と話をしてみるのもいいんじゃないの?」
「な、なにを……!」
 バイオレッタは頬を赤らめ、口をぱくぱくさせて慌てふためいている。
 しかし、傍らで話を聞いていたカーティスはすっかり乗り気だった。
「その……、姫君さえよろしければぜひご一緒させてください」
 バイオレッタはうろたえつつも承諾する。
「え、ええ、かまいませんけれど……」
 そこで彼女は「あっ」と声を上げた。
「あの、では……、先にお父様にお顔を見せてきますわね。きっと待っていらっしゃるでしょうし」
「あ、よろしければ途中までご一緒しましょうか?」
 さりげなく訊ねるカーティスに、バイオレッタが微笑する。
「わかりました。では、せっかくですから≪星の間≫のそばまで一緒に……」
 話をまとめてしまうと、二人は揃ってピヴォワンヌの方をうかがい見た。
 ピヴォワンヌは励ますようにバイオレッタに微笑んでやる。
「じゃ、あたしはこれで。頑張んなさいよ」
「ええ、ついてきてくれてありがとう。ピヴォワンヌ」
 バイオレッタの腕を掴み、ピヴォワンヌは微笑交じりにささやいてやる。
「あんた、せっかくだからこのまま新しい恋でもしたら?」
「え……っ、い、いやだ、何を言っているのよ、ピヴォワンヌったら!」
「あれ? あんたの好きな恋愛小説にもよく出てくるでしょ。昔の恋を忘れるには新しい恋、とかなんとか……」
 からかってやると、意外にもバイオレッタは顔をうつむける。
「……カーティス様はそういう方ではないわ。わたくし自身まだそこまで親しいわけではないし……」
 言葉少なに言い、バイオレッタは肩を落とした。
 だが、すぐにカーティスのそばに歩み寄って、そのエスコートに身を任せる。
「じゃあ、行ってくるわね」
「ええ。またあとでね」
 そうして二人は別れた。
 
 

 

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