バイオレッタはぱちぱちと瞬きをした。
次いで、部屋の入口に仁王立ちしている少女を見つめる。
人の部屋にこうして勝手に上がり込んでくるなんて一体どういうつもりなのだろうか。
いや、それよりもこの少女は一体何者なのだろう……。
先日の一件で疲労困憊していたバイオレッタの頭はすぐに混乱を極めた。
突然の事態についていけず、おどおどと戸惑う。
「ええと……」
慌てるバイオレッタをよそに、ピヴォワンヌが動いた。
「玉蘭!」
その呼びかけに、赤紫の髪の少女が険しい表情を一瞬だけ緩める。
「香緋ったら、探したんだから! 第三王女のお世話なんてもういいでしょ? ちゃんとわらわのお部屋にも遊びに来てくれなきゃ嫌よ! 心配したんだからっ」
ピヴォワンヌはばつが悪そうな顔で彼女に詫びた。
「……ごめん。でも、今のあたしの仕事はこの子の面倒を見ることなのよ。あんたの居住棟へはまた今度遊びに行くから、今は許してちょうだい」
「何言ってるの!? 貴女だって疲れてるはずなのに、どうしてそんな子の面倒を見なきゃいけないの? おかしいわよ、理不尽だわ」
そんなことを言う彼女の口を、ピヴォワンヌはさっと手で塞いだ。小声でたしなめる。
「そんな言い方をするのはやめて! バイオレッタは今とっても傷ついているんだから」
しかし、少女はその手を勢いよく引きはがした。
「いいえ、譲らないわ。だって、貴女は今回の件における一番の功労者なのよ? もっと労われて当然じゃないの! その子は自分がのこのこ男について行って痛い目を見ただけなんだから、貴女がそんな風にかまう必要なんてどこにもないわよ! だってその子――」
「やめて、玉蘭!!」
「な……!」
話を遮られる格好となった少女は、つまらなさそうに朱唇を捻じ曲げる。
大きな翠色の瞳が、今にも泣き出しそうに潤んだ。
彼女は長裙の裾をさばきながらつかつかとバイオレッタに歩み寄った。
「……わらわの名は神玉蘭。この薔薇後宮に逗留中の劉の第二公主よ」
……なるほど、劉の姫だったのか。
それも、どうやら薔薇後宮に滞在している最中らしい。
それならば色々と合点がいく気がした。
恐らくこの玉蘭という少女こそ香緋が剣術を教えていたという例の公主だろう。
だから二人はこんな風に気の置けないやり取りをしているのだ。
(劉の公主様ならぜひご挨拶をしなくては……)
バイオレッタは急いで立ち上がった。
「あ、わたくしはスフェーンの第三王女、バイオレッタ・エオストル・フォン・スフェーンと申します。よろしくお願いいたします、玉蘭様」
握手のために差し出した手をさりげなく振り払われ、バイオレッタは瞳を瞬かせる。
「……え」
「呆れた。こんなのろまな王女が香緋の姉姫だなんて」
玉蘭はキッと瞳を吊り上げると、小ばかにしたように吐き捨てた。
「とんだ期待外れだわ。こんなぼんやりした子が香緋の姉様? 冗談でしょう」
ふんと鼻を鳴らされ、腕組みをしながらきつくねめつけられて、バイオレッタはうっと詰まる。
すると、そこでピヴォワンヌが急いで二人の間に割って入った。
「……玉蘭! あんた、何をしてるのよ! バイオレッタは病み上がりなのよ!? どうしてそんな――」
「香緋は黙ってて」
玉蘭はそこで値踏みするようにじろりとバイオレッタを見た。つんと顎を反らして言う。
「だってこの子、戦わなくて済む女の目をしてるわ。大方これまで周囲に流されるままのんべんだらりと生きてきたんでしょうね。そういうのって、その人の目を見れば大体わかるの。この子の目は平和ボケした人間のそれだわ。戦意も矜持もまるでなさそう。本当にがっかりよ」
眉宇をひそめると、玉蘭は腕を組んだまま挑むように言った。
「香緋の姉様だっていうからどんなに立派な王女かと思えば、ただの木偶じゃないの。貴女の姿はまるで意思のないお人形のようだわ。ほんと、期待外れもいいところ」
傍らでそれを聞いていたピヴォワンヌが、心底怒った様子で彼女の肩を掴む。
「玉蘭、やめて!」
しかし、玉蘭はピヴォワンヌの手を振りほどきながら柳眉を逆立てた。
「いいえ、やめないわ。わらわはこんな子が貴女の一番近くにいるなんて嫌よ! こんな王女、香緋とは絶対に釣り合わないわ! だってこの子、貴女の足を引っ張ることしかできないような子じゃない! こんな子の一体どこがよくて一緒にいるのよ!」
バイオレッタはその言い分を、どこかピヴォワンヌの恋人のような口ぶりだと感じた。
実際、彼女がバイオレッタにピヴォワンヌを横取りされて不機嫌になっているのは間違いなさそうだった。
それは傍で見ていればすぐにわかることで、玉蘭のピヴォワンヌを見る目つきは明らかに友情以上の何かが籠ったものだった。
『私の大事なものを盗らないで』
そう必死で訴えている目だ。
そこで玉蘭はきっとバイオレッタをにらみ据えた。人差し指を突きつけると、声高に叫ぶ。
「わらわはこんな腑抜けの王女を助けるために彩月を貸したわけじゃないわ!! こんな、世間知らずで一人じゃなんにもできないようなお姫様、香緋のお荷物になるだけだもの!!」
「ご、ごめんなさい……」
とっさに謝る。
すると、玉蘭はますます怒った。
「なぜわらわに謝るの!? 貴女が謝るべきは香緋でしょ!? 自分が大勢の人に迷惑をかけたってちゃんとわかってるの!?」
ものすごい剣幕に、バイオレッタはきょとんとした。
正直言って「すごい子だ」、と思う。他人にこんなにまっすぐに意見をぶつけられるなんて。
自分にはできない、と思いながらも、どうしても目が逸らせない。その表情やしぐさにいちいち惹きつけられてしまう。
「そ、そうですね、そう思いますわ、わたくしも……」
おどおどしながらやっとそれだけ言うと、玉蘭はまたしても眦を吊り上げた。
「わかっているなら直したら!? ……はあ、なんて行動力のない姫なの。これでスフェーンの第三王女? 王女が聞いて呆れるわよ!!」
何を言っても叱り飛ばされてしまい、バイオレッタはとうとう身を縮こまらせる。
(うう……、駄目だわ、こんな調子じゃ全然お話できそうにない……!)
そう思って若干しょげたバイオレッタだったが――。
「まあ! 玉蘭ったら……!」
「おうおう、もうおっぱじめてやがる。さすがは姫さんだぜ……」
そう言ってドローイングルームに現れた見知らぬ少女と青年に目を奪われる。
バイオレッタは薄く唇を開いて二人の姿を見やった。
少女は玉蘭と同じ異国風のドレスに身を包んでいた。
そして、頭のてっぺんで二つの輪を作るようにして赤紫の髪を結い上げていた。頭頂部には金の飾り櫛を挿しこみ、二つの髻にもいくつもの宝珠のピンや簪を挿して艶やかに飾っている。
顔立ちや髪色がそっくりなところからして、恐らく玉蘭の血縁者だろう。
だが、こちらは表情が幾分大人びている。目元は下がり気味で口元にも柔和さがあった。
そして、玉蘭とは異なり一つ一つの動作に落ち着きと余裕が感じられた。
彼女はおろおろと玉蘭を止めに入った。
「玉蘭、何をしているの」
「姉様」
やはり血縁者だったのか。それもどうやら姉妹らしい。
だが、勝ち気な玉蘭はそんな姉にさえ食ってかかった。
「姉様、止めないでちょうだい。わらわは今この王女と話しているんだから」
「だけど玉蘭、王宮に戻ってきたばかりの王女様に対して、その口の利き方は――」
「いいのよ。だってこの子、これくらい言われなきゃどうせわからないわ。一度しっかりこの平和ボケを直してやらないと」
あまりに酷い言われように、バイオレッタはほんのり傷つく。
しかし、すべて真実であるだけにどうにもうまく言い返せなかった。
少女はこちらに駆け寄ってくると、ぺこりと頭を下げた。
「妹の玉蘭が失礼をいたしました。わらわは劉の第一公主、神宝蘭と申します。よろしくお見知りおきくださいまし」
ゆっくりした口調でそう話しかけられ、バイオレッタは緩くかぶりを振る。
「あ、いえ……そんな。わたくしは気にしていませんわ」
宝蘭はにっこり笑うとすっと繊手を差し出してくる。
とっさに握手をすると、「よろしくお願いします、バイオレッタ姫」と美しい微笑を向けられた。
「おー、あんた、目ェ覚めたのか」
そう言って声をかけてきたのは、宝蘭と一緒に部屋に入ってきた紅い髪の男性だ。
「ど、どなたですか……?」
誰何すると、彼は木賊色の瞳を細めてにやりとした。
「俺ァ喬彩月。劉の姫さんたちについてきた従者だ。ま、香緋ちゃんの元同僚ってトコかな」
「香緋……ピヴォワンヌの……?」
バイオレッタは単純に驚いた。何度か劉の話は聞かせてもらっていたが、まさかこんな野性的な男性と知り合いだったなんて。
(なんだか豪快な殿方ね……。こんな方にはあんまり会ったことがない、かも……)
襟足を残して短く刈った紅い髪、雄々しくもどこか挑発的な口元。
はだけた胸元からのぞく、がっしりとして無駄なく引き締まった屈強な体躯。
そして、必要以上に自分を飾らないさっぱりとした態度……。
上品で物腰柔らかなクロードや洗練された伊達男であるアベルなどとは全く違うタイプの男性だった。立ち姿からしてすでに男らしく、どこか豪放磊落な感じがする。
喋り方も独特だ。いささか横柄な口調だが、かといって驕った感じでもない。
ざっくばらんとでもいえばいいのだろうか、とにかく不思議な魅力のある男性だった。
彼はバイオレッタの肩をぽんぽんと叩き、口角を上げてニッと笑ってみせた。
「ま、ひとつよろしく頼むわー。あ、ついでに言うと、気絶してるあんたを背負ったの、俺様」
「ええええっ!?」
「ははははは! まあまあ、いいじゃねェの。なーに赤くなってんだか。あれ? もしかしてそういうことされたの初めてとか言わねェよな?」
「……初めて、です」
だって、気を失っていたのだから仕方がないではないか。
そう目で訴えると、何を思ったか彩月は底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ふーん。香緋ちゃんと同じでなかなかに初心だなァ。これじゃあいつが手ェ出したくなるのも道理か」
「お、おかしなことを言わないでください……! 初心とか、手を出すとか……!」
必死に反論してみるも、彩月は楽しそうだ。
「褒めたんだからいいじゃねェの。女は素直なのが一番だぜェ?」
「そんな、本当に褒めたのですか? なんだかからかわれたような気がして嫌なのですけれど……!」
彼は「こりゃあいいわー」と言ってどっと笑った。
彩月の印象はどことなくピヴォワンヌと似たものがあった。
からりとしていて物事に執着がなく、それでいて面倒見はよさそうな雰囲気だ。
バイオレッタはいささかほっとして彼を見上げる。
「ええと、ピヴォワンヌのお友達でいらっしゃるのですよね? よろしくお願いします」
「……オトモダチ? あー、そうだったっけか? 俺様としてはこう、もうちょっと大人の関係っつーか、男と女ってカンジの色っぽいのを期待してるんだけどなァ……。まァ、香緋ちゃんは色気がねえからオトモダチに見えちまってもしょうがねえか、ははっ!」
「ちょっと彩月!! なんなのよあんたは!? おっ、おかしなことばっかり言わないでちょうだい!! 引っぱたくわよ!!」
彩月は「おー、怖」などと言いながらさも楽しげにピヴォワンヌから逃げている。
その様子につい和んでしまい、バイオレッタはくすくすと笑い声を上げた。
するとその時、面白くなさそうに玉蘭が割り込んできた。
「ほんっと嫌な女っ。今度は彩月にまで言い寄るつもり!?」
彼女はぶすっとした表情で薄紅の唇を尖らせている。
「まあまあ。元はといえば話しかけたのは俺様なんだから、そう怒鳴りなさんなっての」
彩月が耳を塞ぐ仕草をしつつたしなめるが、玉蘭の怒りは収まらない。
「うるさいわね、彩月は関係ないんだから引っ込んでて! わらわは今この子と話してるのよ」
「へえへえ……、ったくおっかねー姫さんだぜ」
玉蘭はそうやってありったけの怒りをまき散らすと、こちらにぴしりと指を突き付けてくる。
「わらわは認めない。あなたみたいな子が香緋の今の一番の友達だなんて」
「玉蘭!」
ピヴォワンヌが割って入るが、玉蘭はくしゃくしゃな顔で声を張り上げた。
「認めない……っ!! だって香緋の一番はわらわであるべきだもの!!」
「玉蘭? 何を……!」
突然自分の名前を持ち出されたピヴォワンヌは唖然としている。どうしていきなり自分の話になるのかまるでわからないといった様子だ。
彼女を顔をちらちらとうかがい、玉蘭はもどかしそうにきゅっと唇を噛みしめる。
そしてとうとうその激情を吐き出した。
「だって……香緋が劉を出ていってしまってから、わらわはやっと気づいたんだもの! 貴女がいてくれたから毎日がきらきらしていたんだってことに……。香緋に剣を教わるの、楽しかった。剣術の時間が終わると、いつもすごく残念な気持ちになったわ。貴女がもっと宮城にいてくれればいいのにっていつも思ってた。だけど、どうしてもそんなこと言い出せなくて……。だから貴女が教えに来るのを指折り数えて待ったわ。貴女はわらわに、初めて等身大でぶつかってきてくれた子だった……」
玉蘭は切なげに肩で息をする。
ようやく呼吸が落ち着いてきたところで、彼女はバイオレッタのおもてを睨みながらきっぱりと告げた。
「こんな子に横取りされるのなんかまっぴらごめんよ……! 駄目。この子だけは絶対に許せない。貴女を渡すわけにはいかない」
「玉蘭様……」
バイオレッタが思わずつぶやくようにその名を呼ぶと、玉蘭は目を三角にして怒鳴った。
「うるさいわね、そんなふうに名前を呼んでいいと言った覚えはないわ!! 部外者は黙っていらっしゃいよ、部外者は!!」
「す、すみません」
確かに今この場では自分は「部外者」だろう。
そしてなんとなくわかってしまった。玉蘭はきっと、ピヴォワンヌが好きなのだ。
……それも、ただの「友人同士」としてではなく、たった一人の「大切な存在」として。
「ちょっと……、どうしちゃったのよ玉蘭ったら」
ピヴォワンヌはそんな風に声をかけながら、いきり立つ玉蘭をなだめようと必死になっている。
そこで彩月がぼそりと言った。
「ウチの姫さんは一度ヒス起こすと長ェから、あんたはとりあえずどっか行ってた方がいいぜ。あんただって無駄なとばっちり食らいたくねェだろ」
バイオレッタは悩んだ末、こくんとうなずく。
「では、わたくしは少しだけ外に出てきます」
「おう、そうしとけ。こりゃあ当分収まらねえぞ」
バイオレッタはそのまま居住棟の外へ出ようとした。
すると……。
「ならば、わらわも御供いたしましょうか?」
おっとりと微笑んで宝蘭が申し出てくれたので、バイオレッタは素直にその好意に甘えることにした。
「では宝蘭様、お願いできますか?」
「ええ。もちろんです。参りましょうか、バイオレッタ様」
宝蘭によって部屋の外へ連れ出されたバイオレッタは、ひとまず彼女に菫青棟の庭を案内してやることにした。
花壇に咲く色とりどりの花に目を留めた宝蘭は、そこでふわりと笑った。
「まあ……、可愛いお花がたくさんありますのね。あら、これはなんでしょう。とても面白い形をしているけれど……」
「あ、それはわたくしが育てている薔薇で――」
「ばら……? ああ、薔薇ですわね。劉でも女性にとても人気のある文様です」
薔薇の鉢植えを見てにっこりした宝蘭。
バイオレッタはきょとんとしつつも「そうなのですか?」と訊ねてみる。
すると、宝蘭はまたしても穏やかに微笑んだ。
「ええ。わらわは手仕事が好きで刺繍や縫物などを色々とたしなんでいるのですが、薔薇も一度だけ刺したことがあります。わらわが刺したのはこんなに花弁がたくさん連なっているものではなく、月季花――庚申薔薇でしたが」
「まあ……、素敵な趣味をお持ちなのですね」
思わずそう言うと、宝蘭はなんともいえない顔つきになった。
「わらわは、本当は武芸は不得手なのです。わらわがまともに扱えるのは弓術くらいのもの。玉蘭のように剣を持って真っ向から相手に立ち向かうような真似はどうしてもできません。だから苦手なのです」
そこで彼女はうっとりと両手の指先を組み合わせる。
「でも、手仕事は大好き。誰のことも傷つけないから。いいえ……、人を傷つけずに完結させられる世界だから」
……人を傷つけずに完結させられる世界。
確かにそうかもしれない。
武芸では必ず勝敗というものが決まってしまう。そればかりか勝手に優劣もつけられる。
ならば最初からそうした戦いの場には踏み込まずにいようと宝蘭は思ったのかもしれない。
劉では公主たちを競わせ、最も強い公主を次の女王として擁立するのだという。
宝蘭はきっとそうした風習が嫌なのだ。
というより、傷つけたり傷つけられたりするのが嫌なのだろう。
それはある意味正しい感覚だろうとバイオレッタは思う。
誰かと反目し合うのが好きな人間などいない。
ましてや実の妹と技量を競わなければならないともなれば、尻込みして当然だろう。
「宝蘭様は、人を傷つけるのが怖い方なのですね……。わたくしとちょっとだけ似ているかもしれませんわ」
そこで宝蘭はふいににこりとした。儚げな、それでいてどこかこちらの心を探りたがっているような不思議な目で。
「先ほどは妹が失礼をいたしました。恐らくあの子は不安なのです。あなたという存在が現れたことによって、これまで築いてきた香緋との関係が壊れるのではないかと」
「……わたくしもピヴォワンヌが好きですけれど、あれほど強い感情を彼女に対して抱いたことはありません。玉蘭様の想いはよほど強いものなのだと思いますわ……」
宝蘭はわずかに蛾媚を寄せた。苦痛をこらえているような顔つきだ。
「……わらわは、姉として玉蘭をとても愛おしく思います。本来妹とは姉が守るべきもの。血は水よりも濃いのです。それはこのスフェーン大国でも同じなのではありませんか?」
その迫力に気圧され、バイオレッタはしどろもどろになる。
「これは、脆弱なわらわに課せられた宿命なのです。たとえ女王になれずとも、王となったあの子をそばで支えてやることくらいはできるはず。わらわがどんなに非力な公主でも、あの子の苦しみや痛みを共有することくらいはできるはずです」
「……それは、そうですわね」
そこで宝蘭はバイオレッタをじっと見つめた。
静謐すぎる翠の瞳から、何かが溢れ出てくるようだった。
「玉蘭が香緋を想うのはあの子の自由です。ですが、その感情を打ち砕くような障害が現れるのなら、わらわは阻止したいのです。あの子の純粋な気持ちだけは、姉として守らねばなりません。あの子から大切なものを奪うような存在が現れるのであれば、わらわがそれを退けなくては……」
「……それはもしかして、わたくしに言っているのですか?」
恐る恐る訊ねると、宝蘭は切なげに言った。
「貴女を責めるつもりはないのです。ただ、あの子が貴女を障害だと……敵だと思うようなことがあれば、わらわも貴女に容赦しません。どうか道を違えないでくださいましね、バイオレッタ様……」
その言葉は、バイオレッタの心にずしりと響いた。
彩月や公主たちが帰ったあと、バイオレッタはなんだかどっと気が抜けてしまった。
玉蘭には「親友の心を煩わせるお荷物」として目の敵にされ、そればかりか宝蘭にまで「妹を悲しませたら許さない」と釘を刺されてしまった。
これは一体どうしたものだろう……。
バイオレッタは憔悴した頭のまま夕食を摂り、軽く湯浴みをしてからピヴォワンヌとともに寝室へ入った。
「ああ……、久しぶりにちょっとだけ疲れた……」
ネグリジェに着替えながらそう独りごちると、ソファーに寝そべっていたピヴォワンヌが申し訳なさそうに言う。
「ごめん、バイオレッタ。あの子があんなこと言うなんて思ってもみなくて……」
「だ、大丈夫よ、気にしていないわ」
立ち上がったピヴォワンヌはバイオレッタのそばまで歩み寄ってくる。
そしてそっと両手を合わせて頭を下げた。
「……本当にごめん。王宮に帰ってきたばっかりのあんたが必要以上に傷つけられることがないよう、あたしも気をつけるわ」
「そんな……、ピヴォワンヌったら」
まるで自分がすべて悪いのだと言わんばかりの口調だ。
バイオレッタはネグリジェのリボンを結びながらそっと息をついた。
ようやく王宮に帰ってこられたと思いきや、またしても一波乱起きそうだ。
(だけど、そうしたものから逃げていては駄目よね。前を向かなきゃ。……戦わなきゃ)
こうしている間にも自分を取り巻くすべてのものが刻々と移り変わってゆく。緩やかに姿を変えてゆく。
しかし、そうしたものから逃げるわけにはいかない。
今度こそしっかりとこの身で受け止めなければ。誰かに守ってもらうばかりではなく、自分が立ち向かっていかなければ――。
およそひと月ぶりに自分の世界を味わいながら、バイオレッタは静かな決意に胸を逸らせていた。