第一章 青薔薇の罠

 
 ずきずきと痛む頭を押さえ、バイオレッタは起き上がる。
 なんだか不吉な夢を見ていたような気がする。
「ん……。ここ……、ど、こ……」
 のろのろと身を起こし、見慣れない景色に瞳を瞬く。……どこだろう、ここは。
 
 まっさらなシーツが手に触れる。
 そこでバイオレッタは、自分が天蓋付きの豪奢な寝台の上に丁重に寝かせられていることを知る。
 寝台は四本の黄金製の支柱で支えられていた。ベッドの周りを覆うのは、無垢な印象を与える純白のカーテンだ。シーツの上には薄紅色の花びらがはらはらと散らされている。
 
 と、そこでバイオレッタはわずかに首を傾げた。
 なぜだろう、首筋に何かが纏わりついているような気がする……。
 そんな違和感に気づいたバイオレッタは、自身の華奢な首を彩る銀の枷に小さく息をのんだ。
「なっ……!?」
 重たい鎖が首筋から伸びて、寝台のヘッドボードに繋がっていた。冷たい拘束具の感触、そしてそんなものを嵌められたという絶望で頭が真っ白になる。
(なんで……、どうして……!? わたくしはただ、クロード様と一緒に薔薇園にいて――)
「……お目覚めですか、私の姫」
 薄闇の奥から聞き慣れた声がする。揺れる手燭の灯りとともに、彼は姿を現した。
「……クロード、さま……?」
 バイオレッタはしばし彼の顔に見入った。その双眸を覗き込む。
 普段と何ら変わらない様子のクロードは、ぎし、と音をさせて寝台に腰かける。ナイトテーブルの上に手燭を置くと、ゆったりと微笑した。
「ようこそ、私の城へ……。いえ、檻と呼んだ方が正しいでしょうか」
「お、おり……?」
 不審な響きに、バイオレッタは思わず掛布を引き上げる。
 そこで思いもよらない感触にぎくりとし、掛布の下を見た。
 ……クロードとの逢瀬のために選んだ可憐なドレスはすでに剥ぎ取られ、素肌に薄手のシュミーズとドロワーズが申し訳程度に着せられているだけだ。
 たっぷりとあしらわれたはしごレースと細いリボン、そして透けるレースの縁取りが愛らしい純白の下着は、どう考えても自分の選んだものではなかった。
(まさか……)
 クロードが着替えさせたのだろうかと思い付き、バイオレッタの心に疑念が沸き起こる。
 彼女は青ざめた顔で、なんとか乱れた呼吸を整えた。
 いつも髪や背などに愛おしげに触れるクロードの指先が、まさか自分の肌の上を不埒に這ったなどとはどうしても考えたくない。
 否、そう思いたくないのだ。彼がそんな荒っぽい、まるでけだもののような真似をするはずがない――。
 
「この前私が言ったことを覚えていらっしゃいますか?」
 さほどバイオレッタの様子を気に留めずに、クロードが問うた。
「貴女を私の妻にすると申し上げたでしょう。早速支度を整えさせていただきましたよ。純白のシュミーズも、無垢な白百合も……。ここはすべてが貴女のための世界……。どうぞくつろいでください、姫」
 くつろげなどと言われて、素直にうなずけるはずもない。第一、ここは一体どこなのだろう……。
 ナイトテーブルに活けられている白百合を、クロードは一輪取り上げる。
 むせかえるような甘い香りが立ち込めて、バイオレッタの脳髄がじんわりと痺れた。
 乙女の象徴である白百合。その花弁に、クロードは唇を寄せる。唇で花弁を挟むと、隙間から覗く白い歯でそっと噛んだ。
「……過ちを犯すななどと言われて、一体どれほどの男が耐えられるのでしょうね? 目の前の白百合はまぎれもなく私に手折られることを望んでいるというのに……」
「……!」
 なんとも倒錯的な光景に、バイオレッタはかあっと頬を赤らめた。
 ふいに、つ……と指先が素肌を滑る。露わになったデコルテをなぞられ、バイオレッタは戦慄した。
「やっ……!」
 勢いよくクロードの手を払いのけ、シュミーズとドロワーズを纏っただけの身体を掛布で覆い隠す。
「まだ混乱していらっしゃるのですね。無理もない……。この箱庭に貴女を招待するのに、だいぶ強力な術式を使っています。お体に多少の悪影響はあるのでしょう」
 一人で勝手に納得し、クロードは芝居じみた動作で立ち上がる。
「さて……。このお部屋は気に入っていただけましたか? 私たちの愛の営みのため……そして貴女のために設えさせていただいた特別な場所なのですが」
 バイオレッタはつられて室内を見渡した。そこにあったものは――。
 
(わたくしの……肖像画?)
 
 いつか宮廷画家に描いてもらったものとそっくりだ、とバイオレッタはしばし絵画に見入った。
 確か王宮のギャラリーにも同じものがかけられているはずだが、これは一体どういうことなのだろう。
「ああ、やはり美しい画ですね……。温かな微笑み、扇を持つしぐさのたおやかさ……、飽くことなくずっと眺めていられるほどです。ですが、これからはその必要もありませんね……、貴女はもう私の腕の中にいらっしゃるのですから。ほら、こうやって抱きしめることさえできる……」
「……!」
 身体をゆっくりとクロードの両腕に包み込まれ、バイオレッタは身じろいだ。
「……どうしてなのです、クロード様? 一体どうしてこんなことに――」
「覚えていらっしゃいますか……? その青薔薇を」
「……なんの、ことですか」
 つぶやくように問い返し、バイオレッタはクロードの視線の先にあるものを見た。
 神秘的な青薔薇が一輪、玻璃のオブジェの中に閉じ込められている。
 あの禁じられた薔薇園で触れたものと似ている。否、もしかしたら全く同じものであるのかもしれなかった。
(そうだわ、魔術――)
 あの時、青薔薇から走った不思議な閃光。あれがもし、自分を捕らえるための魔術だったとしたら? 
(じゃあ、あの時の声は、もしかしてクロード様の――)
 そこまで考えて、バイオレッタはすべてが腑に落ちたような気がした。
 クロードは魔導士だ。「異能力者」としてこの世の理のすべてを知り尽くしており、なおかつそれを捻じ曲げるような術さえ扱うことができる男だ。
 他の男には無理でも、彼ならバイオレッタを捕らえることができる。
 ……心ばかりか、身体までも。
 
 バイオレッタは思わず声を張り上げた。
「わたくしを、罠にかけたのですか!?」
「罠などと。貴女の意思は尊重して差し上げたはずですが。貴女はあの時、確かに私の妻になりたいと言ってくださいましたよ。美しいすみれ色の瞳を、嬉しそうに潤ませて……ね」
「……!」
 ……言質を取られたのだとすぐに気づいた。
 あれはすべて事を有利に運ぶための芝居でしかなかったのだと。
 バイオレッタは美しいおもてをくしゃりと歪めた。
「ち、違います……!! わたくしは……、わたくしはこんな形で結ばれるのなんていやです……!! 酷い、酷い……っ!!」
 弱々しくもがけば、喉の奥だけで愉快そうに嗤われる。
「残念ですよ、姫。喜んでいただけるかと思っていたのに。喜んで身も心も私に預けてくださると信じていました」
「ちがう……、ちがうのです……! わ、わたくしはこんな……!」
 急に舌足らずになったバイオレッタを、クロードはどこか微笑ましそうに見る。愛おしくてしょうがないといった顔――さらに言うなら、やっと自らの手中に収まった少女をどう手懐けるか思案している顔で。
「恐らく、心身ともに疲弊していらっしゃるのでしょう。温かい紅茶をお持ちしましょうか」
「いりませんわ……。お願い、一人にして……!」
 また何か罠を仕掛けられたらと思うと恐ろしくて、彼の与えようとするものすべてを拒絶したくなる。
 紅茶の一杯にだって、何か仕込もうと思えば仕込めるのだ。
 例えば、身体の自由を奪う薬。そんなものを飲まされたら、クロードの思うつぼだ。
「では、そのように……」
 ほのかに笑い、一旦は踵を返したクロードだったが、おもむろに振り返ると寝台まで戻ってくる。
 そしてバイオレッタの頬を両手で挟みこみ、覆いかぶさるようにしてその瞳を覗き込んだ。
「やっ……!?」
 強引にバイオレッタの視線を絡めとり、彼は凄みのある顔で告げた。
「忘れないでくださいね、姫。貴女のすべては私のもの。貴女は私にそう約束してくださったのです。今のところは大目に見ますが、ここにいらっしゃる以上、いずれは私の相手をしていただきます。それまでどうか、その無垢な輝きを失わないようにして下さい」
「……!」
 バイオレッタはかたかたと震えだす。
 彼女はもはや、羽根を捥がれた小鳥も同然だった。
 
 
 胸に不穏な痛みを覚えて、バイオレッタは身体を折り曲げる。
「うっ……」
 胸に添えた指先は血の気を失っており、自分でもぞっとするほど凍えていた。
 
 ……ここに連れてこられて幾日か経過したものの、クロードはまだ一度もバイオレッタに触れてはこない。
 その余裕ある態度がかえって恐ろしく、不気味ですらある。
 最初は、一体いつになったら王城に帰してもらえるのだろうと淡く期待もした。クロードのことだから、「ほんの冗談ですよ」と言って案外あっさりと解放してくれるのではないかと思ったのだ。
 しかし、クロードは解放するどころか全く真逆の行為に及んだ。
 甲斐甲斐しくバイオレッタの世話を焼き、雛鳥にするように食事を口元まで運ぶ。顔色が悪いと言っては温かな飲み物を供し、湯浴みの時間になれば浴室まで抱き上げて連れていく。
 そんなことでほだされると思っているのかと、バイオレッタはその都度クロードを弱々しくねめつけてやるのだが、彼は一向に気にする気配はない。むしろとても楽しそうに面倒を見続ける。
 
(あんなのはおかしい……! クロード様らしくもない……、一体どうしてしまわれたというの!?)
 
 バイオレッタにとってのクロードは、こんな非道徳的な行いをする人物ではなかった。
 冷たい一面こそあるものの、普段は温厚で優しい青年といった印象が強く、まかり間違ってもこんな突飛な行動に出るような人物では断じてない。
 
 ……だが、あれは本気の目だった。あれは本気で自分を服従させようとしている目だ。
 そして、こうして鎖でヘッドボードに繋がれている以上、すでにバイオレッタは彼にねじ伏せられているも同然だった。
 
(わたくしは……ここで乙女としての価値を失うのね……。純粋な気持ちを寄せていた、あの方の罠の中で――)
 
 嘘だと思いたい。嫌なのだ……、こんなところで意思も自由もおかまいなしに、ただ無残に散らされるのは。
 だが、クロードは本気になればいつだってそうするだろう。薔薇を慈しむあの指先で、ただ好みの薔薇を摘み取るような気軽さでバイオレッタの純潔を奪うのだ。
 もうバイオレッタの中に、クロードへの恋情は残っていなかった。
 ただひたすらに「怖い」、と思った。
 一体いつまでこんな監禁生活を強いられるのだろうという恐怖が、胸の奥底に強く植え付けられて離れない。
 寝台の上から見上げるクロードの瞳は、もう優しくなどなかった。どこか獰猛ですらあった。あれが、ずっと自分が恋をし続けてきた男の本性だというのか。
 
 ……自由を奪われた上、虎視眈々と純潔まで狙われている。
 そんな今の状況は、喩えようのない苦痛に満ちていた。
 バイオレッタは両手で顔を覆った。すみれ色の瞳をきつく閉ざしてつぶやく。
「わたくしはずっと、『仮面』に描かれた顔だけを見てきたのだわ……」
 優しそうな寵臣の顔。頼りになる兄のような顔。熱っぽくバイオレッタの愛を求める、恋人としての顔――。
 すべてが偽りの顔だった。それらはたかだか仮面の部分でしかなかったのだ。
 そして今、クロードは仮面を外した素顔をバイオレッタに晒した。なんの役割も持っていない男としての素顔を。
「寵臣」でも「頼れる存在」でも「恋人」でもない、ただの一人の男の顔。
 それは、夢見がちなバイオレッタが直視するにはあまりにも迫力がありすぎた。
 言葉遣いこそ丁寧だが、クロードは確実にバイオレッタの純潔を欲している。そんな欲望を目の当たりにして、怯えずになどいられなかった。
「いや……!」
 バイオレッタはまた両手で強く視界を覆う。
 ……もう何も、見たくなかった。
 
 
***
 
 数刻後。
「お食事をお持ちしましたよ」
 寝台の上で丸くなっていたバイオレッタは、びくりと身を震わせた。
 そろそろと起き上がると、寝台の脇にクロードがやってきているのがわかる。
「いつも半分も食べていただけませんので、今回はあまり味付けの濃すぎないものにいたしました。召し上がれますか?」
「……出て行ってください。クロード様のお顔を、今はどうしても見たくないのです。ごめんなさい」
 クロードは食事の乗ったトレーを無言でナイトテーブルの上に置いた。
 寝台脇の椅子を引き、ゆったりと腰を下ろす。
 そして静かに脚を組むと、悠然とバイオレッタの様子を眺めた。
「……」
 まるで視姦されているかのような、無遠慮な視線が全身を這いまわる。じろりと睨むと、より執拗に視線だけで嬲られた。
 きらめく黄金の瞳が、怯むバイオレッタから余裕を奪う。
 今すぐどこかへ逃げ出してしまいたいのに、枷と鎖に阻まれる。それをいいことに、剥き出しになった手足も怯えた瞳も、すべてを余すことなく見つめられる。
 敷布をきゅっと握りしめた指先。動揺でせわしなく上下する胸。きつく噛みしめている赤い唇。
 クロードは瞳の動きだけでそのすべてを堪能した。視線を愛しの姫の身体のいたるところにさまよわせ、時折愉悦の笑みを浮かべてみせる。
 
 視線の交わし合いはしばらく続いた。
 クロードのまなざしに瞳を射貫かれた刹那、バイオレッタはとうとうぎくりと背を強張らせる。
(いや……、怖い。この方が、恐ろしい――!)
 このままでは、心まで覗かれてしまう。征服されなくてもいい部分まで征服されてしまう。
 沈黙に耐え切れなくなったバイオレッタは思わず叫んでいた。
「全部、嘘だったのでしょう!? わたくしに従順な振りをしてみせたのも、愛していると言ってくださったのも、全部……!!」
「……ふふ」
 クロードは至極上品に――けれどもおかしそうにくすくすと笑いだした。
「な、何がおかしいのです」
「貴女は子供そっくりだ。空想に囚われ、目の前の現実を見ようともしない。……では、貴女が恋していたのは私ではないのでしょう。それは貴女の期待に応えるべく用意された、ただの妄想オブセッションだった。だからいきなり本物の私が現れても貴女は愛せないのです。何故なら貴女は、私を愛していたわけではないから。ただ恋をしているご自分に酔っていらしただけだからです」
 
 クロードは突如がたんと椅子を立ち、バイオレッタとのあわいに横たわる距離をつぶした。
「いや……っ!」
 バイオレッタは本能的に危機を察し、広い寝台の縁ぎりぎりまで逃げた。
 だが、腰を引き寄せられて無理やりクロードに抱きしめられる形となる。
「はなして……、いやっ!」
 がむしゃらに暴れるバイオレッタの手が、図らずもクロードの白い頬を掻く。
 彼はその手首さえ捕らえて、バイオレッタに深く口づけた。
「……んぅっ!!」
 暗がりの中、バイオレッタの四肢が息苦しさと嫌悪感で小さく跳ねる。
「ん……! んむ……っ」
 どうあっても逃れられないと悟り、バイオレッタは引き締まった胸板を弱々しく叩く。
 なんとかクロードを押しやってしまいたいのに、彼はより一層激しく唇を貪りだした。
 舌が頬の内側を辿り、小さな白い歯を舐め、逃げ惑うバイオレッタの舌を捕らえる。そのざらついた熱い感触に、ぞわりと肌が総毛だった。
「んんっ……!!」
 余計な手心など一切加えず、クロードは思うさまバイオレッタの唇を味わい出す。そのつど物慣れないバイオレッタは羞恥と嫌悪の狭間で揺れ惑う羽目になった。
 息苦しさと奇妙な感覚に翻弄され、しだいに眦から透明なしずくが溢れてゆく。その滴りさえも、クロードは貴重な甘露をすくい取るように残さず舐めとった。
 胸を叩き、舌を柔く噛み、時にはその肌に爪を立てさえする。
 だが、ささやかな抵抗はことごとく退けられ、バイオレッタはただ彼に抱かれながら強引なキスを甘受するしかなかった。
 思う存分口腔内を蹂躙すると、クロードはやっとバイオレッタの唇を解放した。
「……っ」
 情けなくもバイオレッタは、クロードの胸にすがりつくよりほかなかった。どういうわけか、身体に全く力が入らない。
「……酷い方。全部隠して、わたくしを騙して……っ!」
 息も絶え絶えに責めるが、クロードは表情一つ変えなかった。
「私が何かを隠したことなどただの一度もありません。貴女に対してだけは、正直な気持ちを述べるよう努めてきました。綺麗な部分しか見ようとしなかった貴女が悪い」
「そんな……!」
「つまり貴女は、私を男として見る覚悟ができていなかったから、今頃になって『恐ろしい』などと思うのでしょう。よくある話ではありませんか」
「ですが、こんなのはいやで――」
 皆まで言わせず、クロードは脱力したバイオレッタの夜着に手をかけた。
「……!」
「私は貴女を前にしてただ陥落を待つつもりはない。陥落しないなら陥落させればいいだけのこと……。そうでしょう? 姫」
 その指が真珠の釦をゆっくり外しにかかっていることにも気づけないまま、バイオレッタはこくりと息をのんだ。
「そ、んな……」
「男がお嫌いならばそれでもかまいません。私が慣れさせて差し上げる……。この手で、ゆっくりと……」
「いやっ!!」
 バイオレッタは身体を反転させて逃げようとしたが、クロードの方が素早かった。
 華奢な身体を拘束して前身ごろの釦をすべて外し、バイオレッタの背からシュミーズの紐を滑り落とすと、むき出しになった背骨を手ですっと撫で上げる。
「あ……っ」
 そうこうしているうちに、背後から腕や肩口に執拗なキスが降ってきた。
「……逃げようとしたところでたかが知れているでしょう? 貴女は寝台に繋がれている……。もはやとりこも同然だ」
 片手で平らな腹を支えながら、クロードは怯える王女の柔肌を存分に味わった。その度に、バイオレッタの唇から断続的にくぐもった悲鳴が漏れる。
「や、やめ……、っ……!」
「素直におなりなさい。じっとしていれば酷いことなどしませんよ」
 クロードはそう言って肩甲骨の辺りに強く唇を押しつける。
 獣じみた所作でシュミーズが剥かれて、とうとうバイオレッタは泣きだした。
「なん、で……? なんで、こんなことするの……?」
「貴女が私を誘うのが悪い」
「誘ってなんか、ない……!!」
 身体を丸めて、バイオレッタはむせび泣いた。
 
 わけがわからない。いきなりこんなところへ閉じ込められて、状況も呑み込めないまま豹変しきった恋人を愛せと言われても、それは土台無理な話だ。
 それはクロードだってよく理解しているだろうと思っていた。これまではそうだった。二の足を踏むバイオレッタを、クロードは辛抱強く待っていてくれた。
 なのに。
 煮えたぎっていた頭が急速に醒めてゆき、後に残るのはただ惨めさだけだった。
 
「……わたくしを、城に帰して」
 両手で自らの身体を抱いたまま切り出すと、クロードはただ一言「いけません」と言った。
「どうして……っ!?」
「姫はここにいるべきです。穢れの充ち満ちた世界など、貴女は知る必要がない。私の手の中でだけ、貴女は綺麗でいられるのです」
 まるで話にならないと、バイオレッタは彼を振り仰ぎ、ソプラノの声を張り上げる。
「あなたの言うことなんか、聞きませんわ! こんなことをされてまで、好きでなんかいられない……っ!」
「……では仕方ないですね」
 バイオレッタの額に手が伸びてきたかと思うと、彼女の視界は一瞬にして闇に包まれた。
「――!」
「しばらく眠っておいでなさい。どのみち用があるのは貴女ではないのだから」
 バイオレッタはそこで完全に意識を手放した。
 
 
 

 

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