「な……、何を言っているのよ!! 父さんが処刑ってどういうこと!?」
ピヴォワンヌは、思わずドレスの腰に手をやった。……そこにいつもの長剣の柄の感触はない。まるで最初からすべて仕組まれていたかのように。
菫青棟の客間が侍女らのざわめきで満たされる。
ピヴォワンヌはそのささやき声を聞きながら、信じられない思いでぎりぎりとこぶしを握った。
(なんで……、なんで父さんが)
ありえない。
昨日、養父は王と話をしている最中だとベルタは言った。それがなぜいきなり処刑などという話になるのだ。
養父にやましい部分などあるはずもない。それはピヴォワンヌ本人がよくわかっている。
血の繋がりこそないが、ピヴォワンヌは養父である陽春を心の底から慕っていた。
(父さん……!)
ピヴォワンヌは実際九つまでこのスフェーンにいたのだが、あまりその頃の習慣というものは残っていない。
しかし、ただ一つだけ当時の教育の名残がある。それは彼女の完璧なスフェーン語だ。
一般的に旅人たちが解する「大陸語」は大陸共通の言語だ。事情などにより旅を繰り返す種類の人間たちというのはまず最初にこれを学ぶ。大陸のどの国でも通用するからだ。
だが、五大国の中でも劉とスフェーンだけは事情が異なっていた。
この二国は歴史が古すぎるために、ある一定の時期から特殊な言語や言葉が生まれるようになっていたのである。
母の清紗は日常生活では大陸語や劉語を話していたようだったが、幼いピヴォワンヌには教師がつけられ、徹底的にスフェーン語を勉強させられた。その時点で母妃とはそもそも話す言語さえ違っていたわけだが、今にして思えば、あれはスフェーン王女としての教育の一環だったのかもしれない。
清紗とともに離宮で生活した日々は何となくだが覚えている。清紗が、誰かに「息が詰まりそうだわ」とこぼしていたことも。
やがて清紗はピヴォワンヌを連れて故郷へ戻った。
ピヴォワンヌが十のとき、清紗は劉で陽春と暮らし始めた。
ピヴォワンヌは秦香緋という劉風の名を与えられ、それまでの事情をすべて隠す形で育てられた。
清紗が病死したことによって二人の幸福な時間はあっという間に終わってしまったが、陽春はピヴォワンヌを厭わなかった。
『お前は俺の娘だ。それはずっと変わらない。この家で一緒に暮らそう、香緋』
『……うん、父さん』
養父に剣術を習い、用心棒の仕事を手伝っているうち、公主二人の剣術指南役を任されることになった。
『すごいじゃないか。さすがは俺の娘だ。頑張れよ』
最初のうちは公主にいやみを言われることもあったが、ピヴォワンヌは養父の言葉通り頑張った。
彼のように強くなりたい。誰かを守れるような、立派な人間に。
そう思いながら生きてきた。
これからもずっと一緒だと思っていた。
なのに。
「嘘よね……!? 嘘だって言ってよ!! なんで父さんが殺されなきゃなんないのよ!!」
侍女たちがびくりとしたが、ピヴォワンヌはかまわず侍女の一人につかみかかった。
「きゃ……!」
悲鳴を上げて抵抗する侍女。
その前に立ちはだかり、ピヴォワンヌの手を受け止めたのはダフネだった。
「落ち着いてくださいませ、ピヴォワンヌ様」
「ダフネ……! なんで!? どうして……! どうしてあたしの父さんが」
「ピヴォワンヌ様! 落ち着かれませ! 今貴女様がすべきことは侍女を怯えさせることではありませんでしょう!」
ぐいとその手首をつかみ、ダフネが含めるように言う。ピヴォワンヌは悄然とした面持ちでだらりと両手を下げた。
溢れる涙を、手の甲で強引に拭う。
「……教えて、ダフネ。どうなっているの。今、父さんはどこで何をしているの」
「貴女の育ての御父君は、昨日より陛下とお話をなさっていました。わたくしは一介の侍女にすぎませんから、会話の内容までは存じ上げません。ただ一つわかるのは、近臣たち、そして陛下お気に入りの魔導士がお話に加わっていたことだけ……」
「……それが、何がどうなったら処刑なんていう話になるの?」
ダフネはまっすぐにピヴォワンヌの瞳を見つめた。
言い諭すような口調で答える。
「……よろしいですか、ピヴォワンヌ様。貴女はここスフェーンの第四王女であらせられる御方。まぎれもない王家の姫君なのです。そして陛下は恐らく、貴女様と第三王妃様が劉に行ってしまわれたことを、まだお認めになっておられません」
ピヴォワンヌは目を見張る。
(……え?)
ダフネの瞳を覗き込むようにしながら、ピヴォワンヌは訊いた。
「どういうこと……?」
「清紗様との暮らしを覚えておいでですか? あの方はエリザベス様の進言によって離宮をあてがわれ、異国人と後ろ指をさされないよう守られておいでだったとか。宮廷に姿を現せば中傷の的になるような時期も、少なからずおありだったのでは?」
「ええ……。だから母さんは、あたしを連れてここを出たのよ」
当時の記憶はおぼろげで、ただただ逃げるようにスフェーンを出たこと、そしてなんとか劉に身を落ち着けたことしか覚えていない。
「母さんはいつも苦しそうだった。よく覚えているのは、手を引かれてどこかの広い宮殿を出たときのことよ。母さんはもう綺麗なドレスなんか着ていなくて、舞姫の役をしてみせてくれるときと同じ格好で……」
ダフネはうなずき、ピヴォワンヌの肩をつかんだ。
「そうですわね。第三王妃様は恐らく、のしかかる重荷に耐えかねてここを出て行くことにされたのでしょう。幼い貴女様をお連れになり、故郷である劉へ。そうすれば、煩わしい生活からも、王妃という身分からも逃れることができる。貴女様には王女ではなく、もっと別の人生を生きてほしい。きっとそう望まれたのでしょう」
「そうよ……。まだ小さかったから事細かには記憶していないけど……、きっとそう思ったんだわ。母さんは」
「――第三王妃が王宮から姿を消した。幼い第四王女を連れて」
ダフネの染み入るような声に、ピヴォワンヌは無性に恐れ慄いた。おずおずとダフネを見上げる。
「陛下は今でもこのことを『出奔』としておられるのです。つまり、第三王妃様が出てゆかれたことを、本心ではお認めになっていないのですわ。陛下はわたくしに、貴女様に劉での暮らしをすべて忘れさせるようにとお命じになりました。これが何を意味するのか、もうおわかりですわね?」
「そん……な……! じゃあ、じゃあ父さんは……」
――王妃と王女をかどわかし、スフェーン王家に盾突いた謀反人として殺されるということなのか。
「父さん!! いやぁ!!」
がむしゃらに腕を振り回し、ピヴォワンヌはダフネから逃れた。
……聞きたくない。信じたくない。大好きな養父が、まさか自分の生い立ちのために殺されなければならないなんて。
「どうしたらいいの!? どうしたら助けられる!? ……教えて、ダフネッ!!」
声を張り上げると、ダフネは負けじと強い口調で言い含めてきた。
「こればかりは宮廷人にも……、民にさえ理解できないことなのです! 異国の平民女性が寵愛を受け、名門出身の王妃二人と並ぶ位についた。これだけでも大層な出来事になるというのに、彼女が寵をはねつけて王宮を出たのです、陛下の矜持はそれだけでもじゅうぶん踏みにじられているのですわ。陛下は貴女様の御父君を、到底許すことはできないでしょう」
「じゃあ……、じゃあどうすればいいのよ……。あたし、このまま父さんが処刑されるのを黙って見ているしかないの? そんなのは嫌っ!!」
ダフネは真摯なまなざしをピヴォワンヌに向けた。震えが止まらない彼女の身体を抱き寄せ、両手を握る。
「……まずは現状を確かめましょう。誤解を解くことができれば、御父君を救い出すことも可能なはず」
そこで黙って様子を見守っていたバイオレッタも歩み出てきて、ピヴォワンヌの肩に触れた。
「わたくしも一緒に行くわ。ピヴォワンヌ、貴女のことが心配でたまらないの」
「あんた……」
ピヴォワンヌはくずおれそうになる身体を叱咤すると、二人にうなずいてみせた。
「ええ……。絶対に助けるわ、父さんのこと。ダフネ、王のところまで案内してちょうだい」
「では参りましょう。……陛下のおわす所へ。リュミエール宮、≪星の間≫へ」
バイオレッタは、侍女たちにかしずかれながら異母妹とともにリュミエール宮へ急いだ。
訝しげな目を向ける見張りの老兵士を言いくるめて、王宮中心部へ続く遊歩道へ出る。
ダフネは剣を振るいやすいようにと、ピヴォワンヌを手早く劉の衣服に着替えさせていた。
そして紅玉棟の私室を出る折、一振の長剣を取り出して携えた。柄に美しい赤瑪瑙が嵌めこまれたもので、鈍く輝く赤銅色の鞘におさめられている。
これはピヴォワンヌが養父にもらった思い出の品で、彼女の愛刀である。初めて会った日、彼女が腰に佩いていたものだ。
「ベルタ様のお言いつけで仕舞わせていただいておりましたが、今の貴女様には必要かと存じます」
言葉少なにそれだけ言って、ダフネは長剣を絹でくるみこんで抱えた。ピヴォワンヌの背後にぴたりと寄り添い、静かについてくる。
バイオレッタは嫌な予感に身を震わせた。
(……もし国王陛下の怒りが解けなかったら、ピヴォワンヌのお父様は)
だが、ぐずぐずしている暇はなかった。
すぐにでも助けに行かなければ、彼は本当に処刑されてしまうかもしれないのだ。
黙って遊歩道を進み、バイオレッタたちは王城の中心部へ足を踏み入れる。
薄紅色の宮殿と群青色の宮殿に挟まれるようにして、白亜の立派な建物がある。これがリシャール城の中枢部分となる宮殿、リュミエール宮だ。
この宮殿は戴冠式や華燭の典、披露目などの式典を執り行ったり、他国からの賓客を出迎えるための場所として使われているそうだ。ちなみに、初日に身体を検められた王宮記録室もここにある。
「≪星の間≫って言っていたわね。そこはどんな場所?」
「王城の人間たちは謁見の間として認識しています。陛下にとっては謁見をし貢物を受け取る場所です」
「どこにあるの?」
「リュミエール宮の中心部です。この外階段を上がったところにある広間を抜ければすぐにたどり着けますわ」
広間を抜け、入り組んだ通路をいくつも進み、ようやく≪星の間≫の入り口に着いた頃にはすっかり息が切れていた。
≪星の間≫の中へと続く大きな扉を、甲冑に身を包んだ二人の騎士が守っている。ダフネは彼らに取りすがった。
「ここを開けてちょうだい。急ぎの用なの」
「なりません。陛下のご命令ですので」
「今すぐ中に入らないといけないのよ」
しかし、騎士たちはさらに守りを厳重にするばかりで聞く耳を持たなかった。
この様子では、中で何かが起こっていることは確かなようだ。
ピヴォワンヌは形のよい爪をぎりりと噛みしめた。
「どうしたらいいの、手遅れになったら大変だっていうのに……!」
思わず長剣の包みを見やった彼女に、ダフネがふるふると首を振る。ここで騒ぎを起こしては逆効果だとでもいうように。
バイオレッタは逸る胸を抑えながら、黙って扉を見つめた。
(……どうしよう。この中にピヴォワンヌのお父様がいて、今なら助けられるかもしれないのに……!)
このままでは、彼女の大事な人が永遠に喪われてしまう。それだけは避けなくては――。
――その時、こつり、という音がした。
振り返ると、銀のバックルを留めつけた漆黒の短靴が目に飛び込んでくる。
「……おや。もしや国王陛下に御用なのですか?」
バイオレッタはそろそろと相手を見上げた。
光沢を抑えた漆黒の上着とトラウザーズ。甘い顔立ちに華を添える、純白のレースとクラヴァット。
白くなめらかな額にかかる、艶やかな黒髪。形のよい唇。怜悧な印象を与える切れ長の瞳の色は黄金で、時折真夏の月のように赤味を帯びる――。
(クロード様……!)
彼はバイオレッタの姿を認めて低く笑んだ。上着の裾を翻すと、騎士に近寄る。
「開けて差し上げなさい、あなた方。私も陛下にお会いせねばなりません」
「は……、シャヴァンヌ様のご命令でしたら……」
サラの言っていた通りだとバイオレッタは思った。
王気に入りの魔導士で、元は浮浪者でありながらも現在は姓を与えられるほどの権力者。
身分は相当高いようだし、その権力も揺るぎないものなのだろう。
そしてそれは、王が立ち入りを禁じている区域にも簡単に入ってしまえるほどのものなのだ……。
騎士が退くと、クロードはギッ、と扉を押し開いた。
「……どうぞ、お入りください」
「あ、ありがとうございます、クロード様……! 本当に助かりましたわ」
小声で礼を言うバイオレッタに、クロードは喉の奥でくつりと笑った。
「……貴女には少々刺激が強いかもしれませんね」
「え……?」
意味深長な言葉に怯えながらも、バイオレッタは≪星の間≫に入っていった。刹那、はっと目を見張る。
「――!!」
……緋色の絨毯の上、力なく倒れ伏す壮年の男の姿がある。
見れば全身を深く斬りつけられており、そこから流れる真紅が絨毯にどす黒いしみを作っていた。
「父さんッ!!」
駆けだしたピヴォワンヌに、この男性こそが彼女の養父であることを悟る。
ピヴォワンヌは彼に歩み寄ると、急いでその体を抱き起こした。
「剣が持てなくなるくらい痛めつけられたのね!? なんて酷い……!!」
「香緋……、どうしてここに来た……! 来るんじゃ……ない……、逃げろ……」
喉からは喘鳴がひゅうひゅうと漏れる。ピヴォワンヌは養父の手をしっかりと握りしめると、彼の言葉を聞き取ろうと顔を寄せた。
「何……? なんなの? 何が言いたいの、父さん」
「香緋……、俺は……」
「早く帰りましょう、劉に……! あたしが今すぐこんなところから出してあげる!」
「それは無理、だ……。すまん、香、緋……。お前を連れて逃げることは……、できな……」
その時、体のあちらこちらに深く刻まれた刀傷に、ピヴォワンヌが血相を変えた。べったりと手のひらについた赤に、小さく震えだす。
脇腹、肩、足の腱。彼の体はどこもざっくりと斬りつけられていて、出血を止めることは不可能に思えた。
裂かれた衣服越しに、肉がぱっくりと大きく割れているのが見て取れる。薔薇色の傷口からひっきりなしに血液が流れ出ていることも。
「……この、血……。まさか、本気で父さんを殺そうと……!?」
だらりと下がった腕から、見る見るうちに鮮血が溢れ出して絨毯を染めていく。緋色の絨毯は多量の血を吸い込んだために大部分が赤黒く変色しつつあった。
ピヴォワンヌの養父は元は用心棒だったというから、もしかしたら油断した隙を狙って数人がかりで斬りつけたのかもしれない。
そうでもなければ剣士である彼がこうもたやすく傷つけられるはずがないのだ。
(なんて卑怯なことを……。 いいえ、でも、今はこの光景を見ているのが辛い……、恐ろしい……!)
バイオレッタはあまりに大量の出血に後ずさった。得体のしれない恐怖が背筋をのぼって這いあがってくる。
こんなに無惨な死に直面するのは初めてだった。目を覆いたくなる気持ちを、なんとか堪える。
ピヴォワンヌははらはらと涙をこぼしながら養父を抱き締めた。
「いや……。いやぁ、父さん……!! 死なないで……っ!!」
蒼褪めた顔と、糸の切れた人形のように力をなくした身体。……恐らくもう、彼が立ち上がることはない。
ピヴォワンヌがすごいのだと言って誇らしげに褒めていた父親――。彼女にとっては恐らく唯一の心の拠り所であったに違いない人物。
その彼が、こんなにもあっけなく息絶えようとしている。大切な愛娘を残して。
「あたしを一人にしないでぇ……っ!! 一緒に帰るって言ったじゃない……!! 酷い……、酷い……っ!!」
バイオレッタは痛ましげに眉を寄せた。
(ピヴォワンヌ)
……その光景に、あの「夢」が重なって見えた気がした。
そして、マリアの亡骸に取りすがる、過去の自分の姿も……。
バイオレッタは思わず駆け寄ってその肩を抱く。
「ピヴォワンヌ……!」
ピヴォワンヌは激しく嗚咽した。身も世もなく泣き伏し、悲痛な叫び声を上げ続ける。
「どうして、こんな……。酷い……!! 酷すぎるわ……!! どうして父さんが……!!」
彼女はそこで、美しい涙を流したままキッと顔を上げた。潰れた声を張り上げる。
「許さない……!! こんなことをしたのは誰なのよ!! 出てきなさい……、今度はこのあたしが相手よ!!」
「――その男は気に食わぬ。だから罰を与えてやったのよ」
凛とした声に、バイオレッタははっと顔を上げた。
(男の子の声……?)
それは、少年らしさの中に子供じみた響きを宿した不思議な声だった。
高く澄んだあどけない声音だ。
やがてその人物はくすくすと笑い始めた。
その声は広間の奥――玉座を覆う紗の帳の向こうから聞こえてくる。
無邪気な笑い方にかえって恐怖を煽られ、バイオレッタは慄く。
「……っ!! あんたは誰!? 姿を現しなさい!!」
「――やっと来たのか? ピヴォワンヌ・パイエオン・フォン・スフェーン。……いや、ここはあえて秦香緋と呼ぼうか?」
薄暗がりから迫る、少年のように甲高い声。バイオレッタはすみれ色の瞳を見開き、必死で思考を巡らせた。
その場所には階が設けられ、立派な玉座が据えられている。つまり、あの薄絹の帳を開けば、そこには今まさに王が座しているということだ。
だが、何かがおかしい。強烈な違和感が頭を支配する。
(……いいえ、そんなはずはないわ。だって陛下がこんなお声をしているはずがないもの……)
その声はあまりに若すぎた。十六、七の娘を持つ父親のそれとは到底思えないほどに。
だが、ピヴォワンヌはそれに臆することなくすっと立ち上がると、傍らのダフネに目配せをした。彼女はすぐに長剣を鞘ごとピヴォワンヌに差し出す。
すらりと刀身を鞘から引き抜き、ピヴォワンヌは静かに構えた。
「姿を見せなさいよ。そっちにその気がないなら、あたしから行くわよ」
「……七年ぶりに再会した父親に向かって、なんという口を利く。やはり劉人などにそなたを任せるべきではなかったか」
「あんたは一体誰!? 国王リシャールの影武者……!?」
彼は紗の帳の奥で高らかに笑った。
「はははははっ……!! 僕が影武者か。……よいよい、実に洒落た冗談を言う。その威勢のよさ、気に入ったぞ。ならば……その目で確かめてみるか? この僕の姿を」
「……!」
激昂したピヴォワンヌが玉座に向かって疾走する。腰の房飾りが勢いよく揺れた。
一つにくくった紅い髪がうねるようになびいたかと思うと、階を駆け上がった彼女は剣で紗のヴェールを断ち切っていた。
はらりという儚げな音がして、玉座の周囲を覆っていた薄絹の切れ端が絨毯の上に落ちる。
刹那、二人ははっと目を見開いていた。
(え――)
彼は組んでいた脚を下ろし、黄金の鋲が打たれた玉座からゆっくりと立ち上がった。
「これで満足か?」
……スフェーンで「禁色」の紫を纏えるのは、王族か、それに近しい者だけ。サラが事前に教えてくれた言葉が思い起こされる。
だが、眼前の少年は一部分どころか全身に惜しげもなく紫を用いていた。アビに、ジレに。ほっそりと若々しい両脚を包むキュロットに。……そして長く裾を引くマントに。
ややウェーブがかった飴色の髪。琥珀を思わせる黄金の双眸。細い顎に、少女と見まごうほどの華やかな顔立ち……。
――この少年がスフェーン王、リシャール・リュカ・フォン・スフェーン?
彼はくっ、と嗤うと、傲然と顎を上げた。
「……驚いて声も出ぬか? わが王女たちよ」