第十五章 みんなでお茶会を

 
 従者二人とアンナが協力してお茶会の支度を始める。
 すべすべした大理石のテーブルに真っ白なクロスを敷き、レースのドイリーをかけてティースタンドを据える。
「本日はキューカンバーサンドウィッチとプティフール各種をご用意いたしましたわ。プリュンヌ様のお好きなピュイ・ダムールとミルフィーユは少し多めにお持ちしました」
 バイオレッタはアンナの手によって並べられる豪華なプティフールの数々に瞳を輝かせる。
「わあっ……!」
 小ぶりな黄金の器を満たすのはパステルカラーのドラジェ。大きな銀の皿には焼き立てのスコーンが載せられている。
 薔薇のつぼみをあしらったルリ・ジューズ、林檎のカラメル煮を載せたパイ。季節のフルーツのタルトレット。
 ココットにこんもりと盛られたブラン・マンジェやスフレ。珍しいところではラズベリーを閉じ込めた薄紅色のジュレ、すみれ色のシャーベットなどもある。
「お、美味しそうなお菓子ばかりね……」
「ほんと。これ、あたしたちまでご馳走になっちゃって本当にいいの? あんたたちが食べようと思ったものなんでしょう?」
「いえ。わたくし、ぜひお二人と一緒にいただきたいのです。わたくしにはあまり同じような年頃の知り合いというのがおりません。こうしてお二人のご無事を知ることができて、気さくにお話ししていただけて……本当に嬉しいのですわ。ですから、遠慮せずにどうぞお召し上がりになってください」
 照れたように笑ってクララが言う。
「じゃ、じゃあ……、いただきます」
 控えめに言い、食前の祈りを短く唱えると、バイオレッタは銀のカトラリーを取る。
 ひとまず手近なところにあった林檎のパイを引き寄せ、フォークで切り崩して口に運んだ。
 一口咀嚼し、目を見開く。
「……!」
 これまでに味わったことのないような、濃厚な甘さだ。高価な砂糖や乳製品をたくさん使っているのだろう、豊かでこくのある味がする。林檎のカラメル煮も絶品で、歯を立てる間もなくほろほろと溶け崩れてゆく。
 
(おいしい……!)
 
 城下での暮らしが長かったバイオレッタには、この味わいは抗いがたいものがあった。
 マリアもよくコンフィズリーでショコラやキャンディを買って食べさせてくれたが、ここ数年はそうした菓子にも全く縁がなかった。時たま出される薄い甘みのビスケットをかじるだけで、あとはほとんど粗食だったのだ。
 
 久しぶりに口にする菓子の味は、バイオレッタを瞬く間に夢中にさせた。
 出されたプティフールを、しばし無言でぱくぱくと平らげる。テーブルに咲き乱れる彩り豊かな茶菓の数々に、思わず目移りしてしまいそうだ。
 
 そんな中、向かいの席のクララがおずおずと訊いた。
「……バイオレッタ様、お口に合いますか?」
「はっ……、あ、え、ええ……!」
 我に返り、ナフキンでパイ屑がこびりついた唇を拭く。
 アンナが小さく笑って、「紅茶もお召し上がりください」と言ってくれた。
 バイオレッタはかあっと頬を火照らせる。紅茶がすでにサーブされていたことにも気づけないとは、情けない……。
 
 だが、見れば斜め向かいのピヴォワンヌや隣のプリュンヌも黙々とカトラリーを動かしているから、どうやら自分だけではなかったようだ。
 
「これ、スコーンっていうのね。へえ……、こんな風にクリームを添えて食べるなんて面白いわね」
「すみれのシャーベットも美味しいです~。冷たくてひんやりですね!」
「へえ、ひんやり? そんなお菓子もあるのね。ちょっと食べてみたいわ」
「どうぞ、ピヴォワンヌお姉様! こっちのババとマカロンもいい味でした!」
 “お姉様”などという呼ばれ方に、ピヴォワンヌが仰天する。
「なっ、なんなのよそれ! 普通に呼べばいいじゃない!」
「う? でも、お姉様はお姉様ですよ?」
「えー、なんかイヤ! だってあたし、バイオレッタのこともお姉様なんて呼ばないのに!」
 
 バイオレッタはぽかんと口を開けた。
(ピヴォワンヌがはしゃいでる……。王宮じゃいつもつまらなさそうにしているのに)
 和気あいあいと菓子を勧め合って他愛のない会話に興じる二人。普段警戒心の強いピヴォワンヌも、今日だけは純粋な笑顔を浮かべている。
 もしかすると、てらいのないプリュンヌの笑顔がそうさせたのかもしれない。
 その様子になんだかとてもほっとして、バイオレッタはクララに微笑みかけた。
「こんな風に同じ年恰好の子とお茶をするのは初めて。でも、なんだか楽しい……」
「それはようございましたわ。どうぞお楽になさって、くつろいでくださいませ」
 バイオレッタはうなずき、出された紅茶をこくこくと飲む。
 城下では滅多に飲む機会に恵まれなかった代物だが、こうして実際に飲んでみると思いのほか優しい味がしておいしかった。
 
「バイオレッタ様、ミルクとお砂糖はお使いですか?」
 アンナに問われ、瞳をぱちぱちと瞬く。
「ええと、もしかして使うものなの?」
「そういうわけではありませんが、使われる御婦人も多いのです。味がまろやかになっておいしいですよ」
 興味を引かれてミルクと砂糖を控えめに足すと、確かにこっくりと柔らかな味になって、これもまた美味だった。
「まあ……、不思議な飲み物ね」
「エピドート国から伝わったもので、かの国では日に何度かお茶の時間を愉しむといいます。とはいえこのスフェーンではまだ高価なので、実際に出されるのはサロンや女性同士のお茶会くらいのものです」
 クララの説明に、バイオレッタは感心する。
「そうなの。誰もが気軽に味わえるようになればいいわね」
「そうですね。このようなよい嗜好品はもっと知れ渡るべきですね」
 聞けば珈琲というものもあるらしいのだが、こちらは苦みが強すぎてあまり好まれないそうだ。
 
「あれ? この子、何してんのかしら」
 ピヴォワンヌの言葉に、バイオレッタは隣を見た。
 プリュンヌが必死で小さな手を伸ばしている。ティースタンドに向けて、彼女は一生懸命身を乗り出していた。
 が、あと一歩のところで届かないようで、キューカンバーサンドウィッチの皿に伸ばした手がぶるぶる震えている。
「もしかして、サンドウィッチを召し上がりたいのですか?」
「は、はい……」
 バイオレッタの問いかけに、プリュンヌは恥ずかしそうにうなずく。バイオレッタはティースタンドに手を伸ばすと、皿ごと引き寄せてプリュンヌに差し出した。
「どうぞ、プリュンヌ様」
「! あ、ありがとうございますっ」
 えへへ、と笑み崩れると、彼女はサンドウィッチをつまんでぱくぱくと食べ始める。
「わあ、キュウリのサンドウィッチ、おいしいです~」
「サンドウィッチ、お好きなのですか?」
 バイオレッタが訊ねると、プリュンヌはこくりとうなずく。
「はい! 大好きです! プリュンヌ、本当はなんでも好きなのです! スコーンもダコワーズも、ドラジェやボンボンだって大好きです。でも、実はあんまり食べさせてもらえなくて」
 バイオレッタは軽い衝撃を受けた。育ち盛りの姫君が好物さえろくに食べられないとは、一体……。
「あの……。実はプリュンヌ様は軟禁されていらっしゃるのですわ」
 クララがためらいがちに教えてくれる。
「軟禁……?」
 そこで、バイオレッタは王宮に来たばかりの頃、リシャールが教えてくれたある話を思い出す。
 彼は忌み子の王子と姫を軟禁していると言っていた。異教徒たちに付け狙われて利用される恐れがあるからと。
「プリュンヌ様は髪と瞳がルビーのように紅くていらっしゃるでしょう? 陛下はそれを懸念されていらっしゃるのです。滅多に宮廷にお出でになれないのも、ひとえにそのためです。命を狙われたりそそのかされたり……、そうした危険にさらされてはいけないからと……。あとはもう一つ、やむにやまれぬ事情もおありなのですけれども」
 プリュンヌはサンドウィッチをごくりと飲み込んだ。口元のパン屑をぱっぱっと手で払うと、唇を噛みしめてうつむいた。
「お父様もお母様も……、プリュンヌのことはもう忘れてしまったかもしれません。プリュンヌは髪も瞳も紅い忌み子だし、何より不義の姫です。お父様たちにとっては見たくないものの一つなのだと思います。仕方がないですけど……」
 バイオレッタは思わずカップを置いた。
「え……? 不義の、姫……?」
 ピヴォワンヌもまた眉をひそめる。
「どういうことよ、それ」
 クララは切れ長の瞳で二人に交互に見つめながら、真摯な表情で唇を開いた。
「お二人はまだご存知でなかったのですね。ですが、無理もありませんわね。第一王女オルタンシア様、第二王女ミュゲ様、第五王女プリュンヌ様の三人は、シュザンヌ妃が不義密通の末にもうけた姫君たちです。きっかけは国王陛下が王妃であるご自分に無関心だったからとか、お気に入りの官僚や騎士とねんごろになりたかったから、など、色々とささやかれているのですが……」
 
 異国人のクララが知っているのだから、きっと宮廷では有名な話なのだろうと思われた。
 が、バイオレッタは驚きを隠せなかった。
 
(ずっと王女様だと思ってきた方が、まさか私生児だったなんて)
 
 王女たちに憧れ、羨望で胸をいっぱいにしていたバイオレッタにはにわかに信じがたく、どうしてもクララの顔をまじまじと見つめてしまう。
 
 だが、クララは淡々と続けた。
「陛下はオルタンシア様、ミュゲ様、プリュンヌ様の三人をご自分の王女として養育されていますの。ただしそれは、本当の御父君を知ろうとしないこと、シュザンヌ妃の不貞を隠蔽し続けることと引き換えに、ですけれど」
「そんな……!」
「じゃあこの子は、一生自分の本当の親の顔も知らないまま生きていくってわけ!? 塔に閉じ込められたまま……!?」
 プリュンヌは一瞬、ピヴォワンヌの剣幕にびくりとする。
 が、それが自分自身を責めるためのものではないことに気づいたのか、すぐにへらりと笑った。
「いいのです。プリュンヌはもう、今のままでかまわないと思っています。わがままを言ってお父様やお母様を困らせるつもりはありません」
 口ではそう言いながらも、プリュンヌの笑顔は寂しげだ。そして十三の少女とは到底思えないほどに大人びていた。
 
(この方は、ご自分が勝手な真似をすればシュザンヌ様のお立場が危うくなるとわかっていらっしゃるのだわ。不貞は姦通という立派な罪……。ヴァーテル教会でも激しく罰せられる行為の一つだわ。だからこそ姫君たちはシュザンヌ様の過ちを露呈させてはいけない。場合によっては国を追放されてしまう……)
 
 大陸でも珍しい措置ではあるが、最悪の場合、国外追放に加えて何らかの刑罰を与えられることもあるそうだ。
 そしてもう一つ、三人の姫たちが実父の身元を明らかにしないように言い含められているのは、恐らく国王であるリシャールの立場を尊重してのことだろう。正妃に不義密通を働かれたなどと知られては、王である彼の威厳に傷がつく。
 国王夫妻の軋轢を回避するためにも、シュザンヌの姫たちはそうした制約の中で生きていくしかないのだろう。
 
(お可哀想なプリュンヌ様。いいえ、もしかしたらオルタンシア様やミュゲ様だって、同じような苦しみを抱えていらっしゃるのかもしれないわね……)
 
 あの二人のことだ、あえて表には出さないようにしているだけかもしれない。
 だが、二人は世継ぎの姫として宮廷で人目に晒される機会も多い。不義の姫と呼ばれながら生きていくのは辛いだろう。
 
「じゃあ、何よ。あの王は不義の姫のこともあたしたちと同じように扱おうとしてるってこと?」
 ピヴォワンヌの言葉に、クララはうなずく。
「はい、恐らくは。バイオレッタ様たちは側妃――愛妾の王女様であらせられますが、立場や血統といった意味ではあの方々よりも遥かに上位です。何故なら、シュザンヌ妃には不貞を働いたという負い目があるうえ、その王女様方に王の血は一滴たりとも流れておりません。アウグスタス家そのものは、さかのぼれば微弱ながら王家の血を引いています。ですが、それだけでは後嗣として認められません。王位を継ぐのはれっきとした王の血を引く者でなければならないのです」
 
 この国では愛妾の子は庶子とみなされる。バイオレッタの母は第二王妃、ピヴォワンヌの母は第三王妃だ。本来であれば王位継承権など与えられるはずがない。
 だが、庶子というのは一応は王の血を引く王女ということで、当然私生児よりも立場は上になる。王の血が流れているかどうかの違いだが、そういう意味ではバイオレッタたちは有利だろう。
 王位継承順位からしても、私生児よりは庶子の方が、玉座を与えられる可能性は高い。これはどう考えてもバイオレッタたちの方が優位だ。
 
「けど、どうしてあの二人が女王候補として推されているのよ。別に王位に興味があるわけじゃないけど、おかしいわ、そんなの。あんただってさっき、あの二人のことを『後嗣としては認められない』って言ったじゃない」
 ピヴォワンヌが憤然と言う。
 それは確かにそうだ、とバイオレッタはぼんやりと考えた。
 全く王の血の流れていない王女が、王位継承権を与えられている。これは不自然だ。
「……もしかして、アウグスタス家の顔を立てるため……?」
 ぽつりとこぼすと、クララがうなずく。
「はい。その通りですわ、バイオレッタ様。正妃が不貞を働いたという事実を隠蔽している以上、あのお二人もまた陛下の子としてみなされてしまう。つまり、『王の血を引く姫君』として扱われなければならないのです。陛下はあのお二人をご自分の娘として遇しているのですから、お二人が王位継承争いに加われるのも必定というわけなのです」
 複雑な話だが、やっとすべてのからくりが解けたような気がした。
 国王が外戚の顔を立てるのは当然だろう。正妃であるシュザンヌの面目を潰さないための配慮であるともいえる。
 ピヴォワンヌははあっ、と息をついた。
「でも、考えてみればすごい待遇ね。母親の不貞を罰せられないだけじゃなく、玉座にのぼる権利までもらえちゃうなんて」
「アウグスタス家は陛下のお母君のご実家ですから」
「けど、それだけで優遇なんてできるものなの? 自分の子ですらないのよ? あたしがあの王なら無理かも」
 王妃がよそで子を作ってきた時点で、リシャールの男性としての矜持は踏みにじられている。
 それでもその私生児を養育するなんて、彼はもしかしたら意外と懐の広い人物であるのかもしれなかった。
 
 
「それにしてもびっくりしました。まさかエリザベス様の王女様にお会いできるなんて」
 ピュイ・ダムールとスコーンを交互に口に運びながら、プリュンヌがふにゃりと笑った。笑うと真っ白な歯がこぼれてさらに愛らしくなる。
「プリュンヌも小さい頃にエリザベス様にお会いしたことがあるのですが、綺麗な方でした。長い金の髪がきらきらして、まるで飴細工みたいで……。その時にはもうだいぶお加減が悪そうだったのですが、プリュンヌの頭を撫でて、手にボンボンを握らせてくれたの、よく覚えています」
 バイオレッタたちは思わずくすっと笑った。なんとも無邪気な回想だ。
「ボンボンですか、まあ」
「あんた、甘いものが好きなのねぇ。大方、お菓子をくれたからよく覚えてるんでしょ」
「う……、はい……」
 プリュンヌはもじもじと言い、照れたように紅くなった。クララが扇の陰で上品に笑う。
「プリュンヌ様は本当はお菓子が大好きなのですものね」
 プリュンヌは髪をくるくると指に絡めてはにかんだ。
「その時は綺麗なお妃様だなぁって思っただけでしたが、後になってマルグリートが教えてくれたのです。エリザベス様はお父様に代わって政をやっていらっしゃる、とても素晴らしい方なのだと」
 ……王妃が政を?
 バイオレッタは首を傾げる。
「……どういうことなのですか?」
「陛下は、少年のお姿のまま身体の成長を止められてしまっているのです。ですので、七年前まではエリザベス様が政治を取り仕切っていらしたと言っても過言ではありません」
 クララの言葉に、ピヴォワンヌがカトラリーを動かす手をぱったりと止めた。
「は……、あんた今、なんて……」
 クララは問い返されるのを覚悟していたかのようにきっぱりと答えた。
「国王陛下が年を取れない御身体だと申しました。そのため、あの方に代わって第二王妃のエリザベス様が長らく政治をなさっていたのです」
「なっ……!?」
 バイオレッタは思わず身を乗り出す。
「ど、どういうことなの……? お父様がそんな御身体で、だからお母様が代わりに政を……?」
「……詳しいことは魔導士館の術者たちにしかわかりません。ですが、王宮ではもはや知らぬ者はおりません……『時知らずの奇術』という、前代未聞の魔術のことを」
 二人が目を見張ると、クララは痛ましげに続ける。
「あの方は本来であれば成人した王子を持つにふさわしい御歳であらせられます。すなわち、お二人のお父君として違和感のないお姿であるはずなのです。わたくしは従者を使い、過去に何度かこの城に関して秘密裏に調べさせました。この先スフェーンで生きていく以上、国や人間について一つでも多く情報を集めねばならないと思ったからです」
 
 エリザベスの死去によって「蛮族の捕虜」として生きていくことを強制されたクララは、従者二人に命じて王宮の人間関係や仕組み、官僚同士の繋がりなどを徹底的に調べさせたという。
 異国の王女として多少なりとも知恵をつけ、要らぬ苦労を増やさぬための行動だった。
 後ろ盾として彼女を守ってくれていたエリザベスが亡くなって、いよいよたった一人きりで生きていかねばならなくなったからだという。
 
「あの頃は、少しでもスフェーンのしきたりに馴染もうと必死だったのですわ。そこで思いがけず浮上してきたのが陛下の御身体の謎です。どうしてあのように幼いお姿をしていらっしゃるのか、わたくしも最初は不思議でなりませんでした。お妃様方も何もおっしゃらないので、わたくしは初め奇病の一種かと思ったほどです。ですが……」
 クララの沈黙に、バイオレッタたちは黙り込む。
(つまり、あのお姿は呪いによるものだということね)
 それならばあのやけに子供っぽい言動にも納得がいく。
 そしてシュザンヌとの間に溝が生じるのも当然だろうと思われた。相手は女盛りの王妃だが、自分は年を取れない体なのだ。劣等感もあれば引け目もあるだろう。
「では、このままでは政ができなくなるかもしれないのね?」
「……ええ。奇術がどこまで身体に影響を及ぼすのかは全くもって未知数です。ただ時を止めるだけなのか、それとも寿命まで縮めてしまう類のものなのか……、それはご本人にしかわかりません。……ですが、もしかしたらあの方はすでにご自分の行く末を知っていらっしゃるのかも」
「どういうこと?」
「だって……おかしいとは思われませんか、ピヴォワンヌ様。外見の成長を止めるだけなら、何も問題はないはずなのです。今まで通り政も続けられるでしょうし、このように早急に世継ぎを選ぶ必要もありません。それが、一体何故こうも次期女王の選出を急がれるのか、わたくしには不思議でしょうがないのです」
「……」
 
 もしかして、リシャールは自らの死期を悟っているのだろうか。だからこそ、死ぬ前に一度娘の顔が見たくなって捜索を急がせたのかもしれない……。
 それを思うと目頭が熱くなった。
 
(わたくし……、お父様のこと、もしかしたら何も知らないのかもしれないわ。あの方が何を思ってわたくしたちを城に帰還させたのか、今どんなことで苦しんでいらっしゃるのか。そういったことをわたくしは何一つとして理解できていないのですもの……)
 
 いきなり王宮に連れてこられて、様々な酷い目に遭わされて理不尽だとさえ思っていた。
 だが、彼にも彼なりの辛苦があるのかもしれない。
 リシャールはバイオレッタを「わが妃にそっくりだ」と言った。もしかしたらあれは単なる比喩ではなく、一抹の希望を籠めた言葉だったのではないか。彼女の娘であるバイオレッタに、何らかの光を見出そうとしたのではないか――。
(お父様)
 ぎゅっと胸が締め付けられるような痛ましさを覚え、バイオレッタは両手を組み合わせた。
 
「……ありがとう、クララ。色々教えてくれて」
「いえ。知っていることをお話しただけですので」
 バイオレッタは微笑し、遠方にたたずむリュミエール宮を見つめる。
 姦通の末生まれた不義の姫に、魔術の茨に取り巻かれた少年王――。
 この王宮でどう行動していくべきかはまだわからないけれど、できる限りのことはしていかなくてはならない。……このスフェーンの王女として、次期女王候補として。
 
(どうかわたくしをお導きください、お母様……)
 バイオレッタは細い指先を組み合わせると、見たこともない母妃の姿を思い描き、静かに祈りを捧げた。
 
 

 

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