第二章 黒衣の魔導士

 
 ……王都アガスターシェの中央区繁華街に位置する劇場「アルバ座」。
 そこがルイーゼの暮らす場所だった。
 一流女優と謳われたマリアが突如病死した後もそれは変わらず、ルイーゼはアルバ座で下働きと稽古を続けていた。
 歌は相変わらず下手で、演技も同じ年の女優見習いたちと比べれば本当にお粗末だったし、下働き仲間からは「歌うよりも客をとるほうが向いている」などとさんざん当てこすられてはいたが。
 
 昼間は炊事、洗濯、簡単な料理などの下働きをして過ごし、時間が空けば稽古。舞台が上演される際は女優たちの手伝いや裏方に回る……、というのがルイーゼの今の生活だ。
 歌や芝居よりもそういった雑用の方が向いているとわかってからは気楽にこなしている。
 
 しかしながら悩みもあった。時折「マリアが面倒を見ていたという女優見習いはお前か」などと言われ、強引に客に迫られることがあるのだ。
 白銀の髪に触れられたり、酒臭い息を吐きながら口説かれることはしょっちゅうだ。彼らはルイーゼのいる大部屋に勝手に押しかけてきては付きまとってくる。
 
 本音を言えば、ルイーゼは男性が怖い。体格のいい男性とべたべた触れてくる男性が特に苦手だった。
 まだ若いルイーゼにとっては、女優たちの当てこすりよりも客たちのほうがずっと恐ろしかった。
 ここにいる限り、いつかは客の相手をしなければならない。仮に運よく女優になれたとして、パトロンなしで名を馳せるのは難しい。どうあってもその日はやってくるのだ。
 
(そう……。私にはこの先、女優になるか、誰かの妻になってここを出て行くかのどちらかしかない)
 
 なんとか役をもらって舞台に上がれる女優を目指すか。
 それとも、劇場の客の誰かに気に入られて愛妾になるか。
 そのどちらかしかないのだ。
 
 ――しかし、どうあってもルイーゼには自由はない。
 誰かに身も心も捧げて、守られること。
 身寄りがなく、特に秀でた才能もないルイーゼにはそうするよりほかないのだった。
 
『お前は早く身の振り方を考えるべきだ。あの中の誰かに気に入られれば、ここから出ていくこともできるかもしれないんだぞ』
 座長は口を酸っぱくしてそう言うが、その言葉の裏にある「見てくれで何とかしろ」という本音が透けて見えるようだった。
 
 ルイーゼは望まぬ客を取りたくはない。無理やり純潔を奪われるのは嫌だ。
 誰かの愛妾になるのだって、恐ろしい。贅沢かもしれないが、ただ裕福だというだけで好きでもない男性に身を任せるなんてぞっとする。
 かといって相談できる者もいない。誰かに相談すれば年若い女優たちに妬まれてしまう。
 
『マリア、どうして死んでしまったの。私を置いていかないで………!』
 心の中で時々そうつぶやいてしまう。
 ルイーゼは完全に、「一座の厄介者」になっていた。
 
***
 
 座長や座員たちと夜の演目について話し合った後、今日の洗濯当番であるルイーゼは粗末な部屋を一室ずつまわり、仲間のシーツや衣服を集めていた。
 と。
「あっ……」
 そこで通りかかった女優見習いの集団と思い切りぶつかってしまった。
 集めた敷布が廊下の上に散らばり、慌ててルイーゼは拾い集める。
「ご、ごめんなさい!」
 すると、少女が聞こえよがしにぼそりとつぶやいた。
「やだ、白髪頭とぶつかっちゃったわ」
 取り巻きもくすくすと嘲笑い始める。
「全く。いっつもぼけっとしてるわよね、あの子って。何考えてるのかわからないし」
「歌も芝居もできないなんて、なんのためにここにいるのよ。あれじゃ役なんか一生もらえないわね」
「男に媚びない限りは、でしょ?」
「あら、あたしはそんなことまで言ってないけど」
 きゃはは、という耳障りな声とともに、女優見習いたちが遠ざかってゆく。
「……」
 ルイーゼはしばらく固まっていた。
 呆然としてしまって、何も言い返すことが出来なかったのだ。
 しばしの逡巡ののち、彼女たちの背中を見つめながら、
「我ながら、馬鹿みたいね……」
 しみじみとつぶやきを噛みしめ、ルイーゼは再び黙って手を動かし始めたのだった。
 
 
「今日もいいお天気ね」
 廊下の窓から差し込む陽光に、思わず伸びをする。
 
 洗濯し終えるとしばらくのあいだは休憩時間になるので、ルイーゼはあてがわれた部屋に戻ってほつれた髪を結いなおすことにした。
 以前はマリアの私室で一緒に生活していたのだが、彼女が死んでからは大部屋に移ることになって、今では同世代の女優見習いたちと共に寝起きしている。
 大部屋は誰もおらず静まり返っていた。みんな稽古に行っているのだろう。
「もう少しまとまりやすい髪だったらよかったのに」
 仲間たちと共同で使う古びた鏡台の前に腰かけ、いったん結い髪を解いて、ブラシをあてる。さらさらと心地よい音がした。
 次いでそのまま髪を結いあげようとしたルイーゼだったが。
 
(この瞳と髪、みんなに変わった色だってよく言われるのよね……)
 
 なんだか面白くないと、試しに普段は両耳の斜め下で一つに結っている白銀の髪をおろしてみることにした。
 軽く指で癖をほぐしたあと、ゆっくりと背に流す。長い髪はかすかな音とともに細い背に広がった。
 ただそれだけのことなのに、鏡に映る姿はまるで別人のもののようだった。
 深い青紫色をした瞳は、陽光の眩しさにひどく優しげに細められている。
 さほど手入れが行き届いているとは思えない白銀の髪も、今日は心なしかきらめいているように思えた。
 
 ルイーゼはぱちぱちと瞬きをした。
(……確かに、このスフェーンでは少し珍しい色かもしれないけど)
 
 一房、自らの髪をつまんでみる。
 先ほど少女に「白髪頭」と呼ばれたことが気になっていたのだ。いくらなんでも、あんな言い方はないのではないか。
(全然美人じゃないということくらいはわかっているわ。……でも、やっぱり傷つくというか……)
 少ししょげてつまんだ髪をかざすと、色素の薄い白銀の髪は太陽の光を反射してきらりときらめいた。銀は銀でも、少しだけ青みがかった色をしている。
 スフェーンでは金や金茶の髪が一般的なので、変わった髪色であることは間違いないが……。
 
(そういえば、お城にはとても綺麗な髪のお姫様がいるのよね……、噂で聞いたのだけど……)
 
 第一王女は瑠璃のかけらを砕いて溶かし込んだような青い髪の美姫。その下の第二王女は新緑や翡翠に喩えられるような美しい緑の髪をしているという。
 王太后と王妃は縁者同士で、いずれも豊かな緑の髪をしている大層な美女だと聞いている。
 
 そこでふと、香緋と名乗った少女のことを思い出した。
「今朝会ったあの子も……綺麗な子だったわ」
 紅く綺麗な長い髪。大きくてあどけない瞳――。
 どうしてこんなに懐かしい気持ちになるのだろうか。たった一度会っただけなのに。
 
「……もう、しっかりしなきゃ」
 リボンで髪をまとめると、ルイーゼはなぜかそそくさと大部屋を出た。
 
 
 
 
「ルイーゼ!」
 部屋を出てしばらくしたところで、役者のトマスに出くわした。短く刈り込んだ褐色の髪が爽やかな青年である。
 彼は「よ!」と片手を掲げて笑ってみせる。
 トマスは人懐こく、客たち――主に年配女性のようだったが――に非常に人気のある役者の一人だ。
 若いものの、もう立派な花形と呼んで差し支えない。幼いころから共にこのアルバ座で稽古を続けてきた仲である。
「トマス。……どうしたの?」
「お前、今朝の礼拝さぼっただろ。見てたんだぜ」
 トマスはそう言って、ルイーゼの額を小突く。
「あ、うん……、そうだけど」
 肯定するルイーゼに、案の定トマスは破願した。
「はは、正直な奴だなあ、お前!」
 ……トマスは時々、客からルイーゼを助けてくれることがある。彼も忙しいので毎回というわけではないが、ほんの少し頼りにしていた。
 幼い頃から一緒にいたので男友達のような感覚だ。恋愛感情のようなものはない。だが割となんでも話してしまうのだった。
「そうそう、お前に客だぞ。王城から使いだって。またなんかやらかしたのかよ?」
「いいえ、そんなことはないと思うのだけれど。……なんだか変ね。どんな方だったの?」
「ん、いや。なんかさ、黒ずくめの男だったぜ」
 ルイーゼは首を傾げる。
(……黒ずくめ? そんな知り合いはいないはずだけど……)
 ルイーゼが思わず考え込むと、トマスはからりと笑い飛ばした。
「行かないと座長が怒り狂うぜ。今座長の部屋にいるんだけど、俺一緒に行こうか? お前、見てて放っておけないしさ」
「え? いいの?」
 トマスは片目をつぶってみせた。
「今さら気にするなよ、幼馴染殿! さ、行こうぜ!」
 
 
 質素な木製のドアを開け、ルイーゼはそろそろと声をかけた。
「座長、ルイーゼです」
「俺もいます。……ほら、入れよルイーゼ」
 トマスはきびきびと言って、ルイーゼの背を押して中に入るよう促した。
 
 ……アルバ座にあるたくさんの部屋のどれと比べても、座長の部屋は広い。
 マリアの私室も広かったが、座長の部屋は客を迎え入れたり劇の内容を練ったりする場所と言うこともあり、それなりに立派なものである。
 オリーブグリーンの瀟洒なカーテンに、シックなシャンパンベージュの壁紙。所々に置かれた歌姫たちの衣装や小道具、パトロンたちから贈られた贅沢品の数々……。
 そしてルイーゼの立つ位置からまっすぐ進んだところに、座長と客人が座るための二つのソファーがある。
 
 ルイーゼは、座長の真正面に腰かける黒衣の人物に目を留めた。
(この方かしら)
 後ろ姿で顔や表情はうかがえないが、トマスに聞いていた通り男性のようだ。艶やかな黒髪を紫紺色の上質そうなリボンでひとつに束ねている。着込んでいるのは漆黒の上着だった。背筋がまっすぐに伸びていて、後ろ姿がとても綺麗だ。
 
 部屋の奥、彼と差し向かいに座っていた座長は二人の姿を認めて声をかけた。
「ああ、トマスも一緒とはな。ご苦労だった。……ルイーゼ、お前にお客様だ」
 ルイーゼは思わずこくりと喉を鳴らした。
(やっぱり、私に、なの……? でもどなた?)
 白銀の髪を揺らして、ルイーゼは恐る恐る部屋の中に踏み込んだ。
 見れば、部屋の隅に甲冑を纏った騎士が数名控えている。
 彼女は、怯えつつも声をかけた。
「あの……」
「……貴女が、アルバ座のルイーゼ様……、ですね?」
 黒衣の人物は落ち着いた所作でソファから立ち上がった。
 振り向いた彼の、その黄金の双眸に、ルイーゼは何も言えなくなった。
 
(なんて綺麗な金色の瞳……!)
 
 彼は整った面差しに優美な笑みを刻んだ。
 闇の雫で染めあげたかのような見事な黒髪。男性にしてはやや長めのまつげ。伏し目がちな目元には優艶な色香が滲み、わずかに紅がかった黄金の双眸はルイーゼを捕らえて離さない。
 襟元を飾っている揺れるクラヴァットは繊細な白いレースと刺繍があしらわれた白絹のもの。恐らく最高級品だ。黒いコートの袖口にも同様のレースがのぞいている。
 クラヴァットに留めた凝った細工のタイピンには大粒のアメジストが嵌まっている。やはり高そうな逸品だ。耳元も同じアメジストのピアスで飾っていた。
 
 妖しいほどの美貌に気圧されたルイーゼが思わず後ずさると、青年はゆっくりと唇を開く。
「……ああ、申し訳ございません。あまりにお美しいので、言葉を忘れておりました。……そう、さながら、降り積もる雪の中、寒さに耐えて咲き誇る早咲きの菫を見つけたような……。なんと澄んだ綺麗な瞳なのでしょうか……」
 とてもまろやかで染みわたるような低音が耳朶を打った。
 
 青年は静かにルイーゼに歩み寄ると、彼女の前に膝をついた。
 傍らのトマスが呆然としている。
 
(え? ……な、何を……)
 
 青年貴族たちの見え透いた手管には慣れているはずなのに、なぜだか胸が高鳴ってしまう。
 黒衣の青年は狼狽するルイーゼを見上げて微かに微笑むと、その手を素早く取って唇を押し当てた。
「私がお仕えする、大切な愛しの姫君……。お迎えに上がりました」
「――!?」
 
(え……!? な、何が起こったの……!?)
 
 ルイーゼが慌てて炊事や水仕事でささくれた手を隠すと、彼はまたほのかに笑った。
「あ、あなたはどなたですか……? 私に用があるのでしょう? そう、うかがっております」
 ルイーゼが恥じらいながらも促すと、彼は立ち上がった。深々と頭を垂れる。間近で向かい合ってみて改めて思ったが、所作に無駄がない。
「ああ、これは……。ご無礼をお許し下さい。私はスフェーン国王リシャール様にお仕えする宮廷魔導士のクロードと申します。……いえ。第三王女『バイオレッタ』様。第二王妃エリザベス様の形見をお持ちですね……? 私は陛下のしもべでございます。どうか王宮へお越しになっていただけませんか?」
 
 そこで脇から出てきたトマスがルイーゼをかばった。
「は!? さっきからあんた何言ってんだよ!? ルイーゼが王女なわけないだろ。俺はこいつがガキの頃から知ってるけど、こいつは女優に拾われた、ただの孤児だぜ」
 クロードはちらりとトマスに目をやった。探るようにじっとねめつける。……どこか剣呑な光が、黄金の瞳に宿った気がした。
「座長殿、こちらの方は……」
「あ、ああ……、躾が行き届きませんで。役者のトマスです。ルイーゼとは昔馴染みというか、子供の頃から一緒にいるもので……それでついこんなことを言ってしまったのでしょう。どうか、お許し下さい」
 三人の間に割って入り、座長が取り繕うように言う。
 
 しかし、トマスはなおも食ってかかった。
「大体、ルイーゼが王女ってなんの冗談だよ。ちょっといい身分だからって、俺らをからかうのはやめてくれ。そういうのはこいつだってすごく嫌なはずだ。ただでさえいやらしい客連中に迫られてるってのに」
「トマス! やめて……! そんなこと言わないで!」
 クロードはルイーゼの前に立ちはだかったトマスを冷ややかに見つめていたが、やがてにこりと微笑んだ。
「そうでしたか。そうとは知らず、申し訳ございませんでした。ですが、そちらにいらっしゃるルイーゼ様が第三王女であるというのは、まぎれもない事実なのですよ。なぜなら、ルイーゼ様の育ての親であるマリア嬢がエリザベス様のネックレスをお持ちだったのですから」
 
 そこでルイーゼは、おずおずとトマスの後方から歩み出た。
「え……? でも、私はただのみなしごです……。小さい時に劇場に捨てられていたのを、マリアが見つけて拾ったって」
「いいえ……。貴女は捨てられたのではありません。……座長殿」
「……これだよ、ルイーゼ。マリアはこれを持っていたんだ」
 座長はテーブルの上に置かれていたものをしゃらりと掲げた。……繊細な金細工のネックレスだ。
 クロードはゆっくりと、座長の手に収まっている紫の石の使われたネックレスに視線を移した。
 静かに話し出す。
 
「貴女はまぎれもなく王女様であらせられます。その証拠としてまず第一に、貴女の御髪がスフェーンではあまり見ない白銀であること。そして次に、マリア嬢が鏡台の引き出しに入れていたという、このバイオレットサファイアのネックレス。これは台座裏の刻印から、陛下がエリザベス様に贈られた品で間違いないということです。なんでも、陛下が昔、エリザベス様の瞳のお色に合わせて贈られたものだとか。このバイオレットサファイアという石は希少価値がとても高いものです。申し上げておきますと、現在でも相当の権力者でなければ手に入れることのできない、非常に珍しい鉱石なのですよ。……最後に、貴女様の身分を決定づける品が、ここに」
 
 クロードは懐からシルクに包まれた黄金の懐中時計を取り出した。高価そうな品に目が眩む。
「こちらは陛下が特に大切になさっている懐中時計なのです」
 
 彼が蓋を開けると、文字盤を覆う薄いガラスのカバーの上に白銀の髪が一房置かれていた。
 ……それだけではない。蓋の裏側に、小さな肖像画が嵌めこまれている。
 白銀の髪とすみれ色の瞳の幼子。傍らには波打つ金髪の美姫。
(この子の髪や瞳の色……私とそっくり。ううん、これじゃまるで……)
 
 視線をずらしたルイーゼは驚愕した。
『わが最愛の娘 バイオレッタ』
 画の下に、そう彫り込まれていたのだ。
 
「え……、そ、そんな」
(嘘……。じゃあ、私の本当のお母さんは……。でも、そんな――)
「納得して頂けましたか? ああ、どうかご無理をなさらないで。大丈夫ですか……?」
 ぐらりと傾いだルイーゼの肩を、クロードが支えた。
 彼の腕にもたれながら、ルイーゼは大慌てで言う。
「あ、あの。私……、本当に何も知りません。マリアはずっと、私はみなしごだったと。あ……、あの、もしかして私は、第二王妃様の宝飾品を盗んだ罪で処罰されるのですか? でも、本当に私……」
「落ち着いて下さい。私めは先ほどそう申しましたか? 誤解ですよ。貴女様には是非とも王宮へ来ていただきたいのです。陛下が貴女様との再会を待ち望んでおられるのですよ」
 混乱して蒼白になったルイーゼを支えながら、クロードが告げた。
「お父……さん……? 私の?」
「ええ。陛下はもう長い間、貴女様を探し続けておいででした。にわかには信じられないでしょうが、これは事実なのです」
「待って下さい。私、国王陛下になんてお会いできません……! 私は女優見習いです。ただの庶民で」
「ルイーゼ、落ち着くんだ。お前の身分はもう、決まったようなものなんだぞ」
 座長が言うが、ルイーゼは震えが止まらなかった。
 もう頭が沸騰しそうだった。
 訳が分からない。まるで戯曲の筋書きのように出来すぎている。こんな信じがたい運命が自分のものだなんて。
 
(……どうして? マリアは何も教えてくれなかった……! どうしてこんな、今になって)
 
 クロードはルイーゼの腕を取ると、ゆっくりとソファへ座らせた。
 足元に跪くと、白手袋をはめた手でそっとルイーゼの頬を辿る。
「……知りたくはございませんか? なぜ貴女が劇場で育てられることになったのか」
 落ち着いた口調に、心が不思議と静まっていくのを感じる。
 ルイーゼは思わず訊き返していた。
「……教えて、下さるのですか」
「貴女がお望みになるなら、私はなんでもいたします」
「……聞きたいです。教えて下さい」
「では、十四年前のお話を……、昔話をいたしましょう」
 
 
 当時、第二王妃エリザベスは幸福を謳歌していた。
 彼女は三歳になったばかりの王女を大切にしていた。
 王女はエリザベスの柔らかで優しげな美貌をそっくりそのまま受け継いでおり、瞳の色は彼女譲りの薄紫、波打つように流れる髪はスフェーンでは珍しい白銀しろがね色だった。
 
 しかし、エリザベス妃は第一王妃や王太后と折り合いが悪かった。
 特に第一王妃で王族の血を引く名門アウグスタス家のシュザンヌは、敗戦国オルレーアからの『従属の証』……、すなわち「よそ者」の分際で王の寵愛を一身に受けているエリザベスを憎んでいたのだ。
 王女はある日、シュザンヌ妃の女官によって城下町アガスターシェへ連れ去られる。同時期に、エリザベスが宝物にしていたバイオレットサファイアのネックレスも宝石箱からなくなっていた。
 エリザベス妃が政策に立ち入りすぎたことが原因、つまり反第二王妃派による陰謀だと言われているが、実際は別に黒幕がいるらしいというのが王の見解である。
 女官は問い詰められた末拷問を受けたが、あくる日牢内で舌を噛み切って死んでいるのが発見された。
 王とエリザベス妃はひどく嘆き悲しみ、第三王女の行方を探させていたが、愛娘はとうとう見つからなかった――。
 
 
 クロードはルイーゼの膝の上にそっと手を置いた。
「陛下はエリザベス様亡きあとも、貴女を探し続けておられたのです。そうして貴女は見つけ出された。……貴族たちの間で噂が広まったのです。アルバ座にとても珍しい白銀の髪の女優見習いがいると」
「そうだったのですか……。ですが、宮殿は華やかな場所だと思っていましたが、そういった恐ろしいこともあるのですね」
「実際、エリザベス様とシュザンヌ様のお二人は長い間寵愛をめぐって争っておいででした。陛下は、お妃様を二人娶らねばならなかったのです。無論そこには、敗戦国オルレーアとの和睦をはじめとした政治的な思惑がございました。結局は先に男児を御産みになっていたシュザンヌ様が第一王妃、すなわち正妃の座に就かれ、エリザベス様は第二王妃となられましたが……」
「そう、なんですか……」
 クロードはうなずく。
「ええ。今さらこのようなことを言っても遅いでしょうが……、貴女の失踪に関しましては、エリザベス様に反発するシュザンヌ様側の人間が手を回した可能性は十分にあります。陛下はそれを悔いていらっしゃいます。そして、できることなら一日も早く貴女様と再会したいと」
「……お母さん、は……。……エリザベス様は、亡くなられたのですか?」
「ええ、七年前に身罷られました。陛下の嘆かれようは、見ていてあまりにお辛そうで」
 
 ルイーゼは唇を噛んだ。目まぐるしすぎて、クロードの話の半分も理解できない。
 だが、わかったことがある。王宮には実の母の痕跡が残されているのだということ。そして、実父は今も生きているということだ。
 そして、すぐには信じられないが二人とも王族であるということも覚えた。
 
(私の本当のお母さんが、暮らした場所……。実のお父さんにも会えるかもしれない。……なら)
 
「私が行くと、どうなるのですか」
「……陛下は、貴女を王女として養育されるとおっしゃっています。出来ることならこれからは王宮にいてほしいと。そして、十四年間貴女を保護してくださっていたこの劇場には相応の報酬を与えるとおっしゃられています。役者の方がたの暮らしもかなり……楽になられるかと」
 
 ……アルバ座が、これ以上落ちぶれなくて済む?
 それを聞いてルイーゼの心はほとんど決まったようなものだったが、念のため訊ねておく。
 
「……陛下は、私に会って下さるのでしょうか」
「もちろんです。そのために私はここに遣わされたのですから」
「それなら……」
 
(これ以上アルバ座のみんなに迷惑はかけられない。私が行くことで、経営が少しでも楽になるというなら、そうしたい……)
 
 ルイーゼはクロードの手に自らのそれをそっと重ねた。
「では、連れていって下さい、王宮に……。陛下に、お会いします」
 クロードは微笑し、深々と頭を垂れた。
「御意、私の姫……」
 
 黙り込んでいたトマスがそこで声を荒げた。
「おい! ふざけるなよ。なんで王宮に行く話に決まっちまってるんだ!? ルイーゼ、考え直せよ」
 罵声にクロードがすっと立ち上がる。唇の端をわずかに持ち上げて、トマスをねめつけた。
「……黙って聞いていれば、随分なおっしゃりようですね。このお方はもはや、あなたのよく知るルイーゼ殿ではございません。第三王女のバイオレッタ様ですよ。薄汚い口を慎まれてはいかがですか」
「何を……!」
 ルイーゼは二人の間に割って入った。いきり立つトマスをなだめる。
「トマス、ごめんなさい。私、陛下にお会いするわ。もう、アルバ座のみんなの負担にはなりたくないの。あなたも知っているでしょう? 私には何もないわ。歌や芝居の才能も、美貌だって持ち合わせていない。でも、クロード様のおっしゃるように、私が王宮へ行けばここの暮らしがもっと豊かになるというなら、私は迷わずそうするわ」
「だからってお前が犠牲になることないだろ!? そんなことされてまで助けられたくなんかないんだ! なあ、頼むから、王宮に行くなんて言うなよ。考え直せ、ルイーゼ」
「……ごめんね、トマス」
「……くそっ!」
 トマスは顔をゆがめて唇を噛んでいた。
 その顔つきに、彼が自分を本当に大事に思ってくれていたのだと悟る。
(……本当にごめんね。でも、ありがとう、トマス……。この劇場で最初にできた、私の大事な友達……)
 
 クロードはそこでやおらルイーゼに向き直った。
 じっと見つめられて困惑していると、彼は恭しく手を差し出してきた。
「……さあ、姫。参りましょう。表に馬車を待たせております。あまり上等なものでなくて申し訳ございません。しばらくの間耐えて頂ければ……」
 ルイーゼは目を剥いた。
 
(ひ、『姫』……)
 
 突然のクロードの変貌ぶりに狼狽する。
 だが、王宮へ連れて行ってほしいと言い出したのはルイーゼなのだから、恐らく彼は王の臣下としての仕事をしているにすぎないのだ。
 そう自分自身に言い聞かせ、ルイーゼは速くなる鼓動をなだめた。
 
(きっと、すごく真面目な方なのね)
 
 王城へ行ったことはなかったが、この王都アガスターシェの北区に位置していることは知っている。それほど遠い距離ではないはずだ。
 だが、ルイーゼは馬車になど生まれてこの方乗ったことがない。
 年上の女優たちはパトロンとの逢瀬によく利用しているようだったが、所詮見習いでしかないルイーゼにそれほどの贅沢はできなかったのだ。
 それに、まだ王女だと確定したわけでもないのに馬車に乗せてもらうのはなんだか申し訳ないような気がしてくる。
 逡巡の末、ルイーゼはおずおずと言った。
「あ、あの、私、歩いて行けます。馬車になんて乗れません」
 すると、今度は彼がうろたえた。
「いけません、姫を歩かせるなど……! とんでもないことです。どうかお聞き入れ下さい。それとも馬車はお嫌なのですか?」
「いやというか、乗ったことがないので……!」
「な……」
 クロードに何度か瞳を瞬かれ、ルイーゼは真っ赤になった。
(そ、そんなに驚かなくても……)
 ルイーゼはいたたまれなさに身を縮こまらせる。
 軽くくすくすと笑ってから、クロードはやんわりと瞳を細めた。
「そう怯えられずともよろしいのですよ。では、道中何かお話でも致しましょうか」
「あなたと……?」
「ええ。私などでよろしければ、喜んで姫のお話相手になりましょう……」
 
(……こんな方、今まで会ったことないわ)
 
 客である貴族の男性や青年達には、いつも一方的に迫られて身のすくむような思いばかりしていた。
 しかしクロードは、これまで出会ったどんな男性とも違っていた。
 身に纏う空気、まなざし、言葉遣い。全てが柔らかく落ち着いている。
 耳に甘く馴染む低音はずっと聴いていたような心地にさせられるし、そばにいても全く緊張せずにいられるのも不思議な気がした。
 何より優しく気遣ってくれるのが嬉しくて、ルイーゼは頬が熱くなってくるのを感じた。
 
(こんな男の人、初めて……)
 
 促すように手を差し伸べられて、ルイーゼは赤くなりながらもその手を取った。
 ……拳を握りしめたトマスが、熱を帯びた瞳で食い入るように彼女の顔を見つめているとも知らずに。
 

 

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