……エテ宮、《舞踏の間》。
今宵は王女たちの復権を祝して、大規模な舞踏会が催されている。
ぜひ懇意になりたいという廷臣たちによって姉のバイオレッタと引き離されてしまったピヴォワンヌは、浮かれ騒いでいる宮廷人たちを尻目に、早々に壁の花を決め込んだ。
「……バイオレッタは馬鹿だわ。どうしてあんな貴族たちにのこのこついていくんだか」
懇意になりたいなどとはうまく言ったものだ。あのだらしのない目つきを見れば、その言葉が単なる建前にすぎないことくらいわかりそうなものだが。
「ああもう、嫌な男どもだわ。下心が見え見えじゃないの」
しかも滑稽なくらいに飾り立てて、あれでは粋を通り越していっそ下品だ。
羽根をこれでもかとあしらったトリコルヌ、ウェーブをかけて毛先を巻いた長い髪は女のようにリボンで結わえ、ひどい男性になるとくっきりと黒いつけぼくろなどもしている。
色の使い方も奔放で、男たちの衣服を見ているうちにピヴォワンヌは段々と吐き気がしてきた。
彼らは本当に男性なのだろうかという疑問が頭をもたげる。少なくとも強健な劉の男たちは絶対にしない着飾り方である。この国の男たちはみな優美で軽薄で、おまけに淫奔だ。
ピヴォワンヌは手で口元を覆い隠すこともしないまま、ふああ……、と大きなあくびをした。
「……舞踏会ねぇ。一体、何時までやってるのかしら。もう帰りたい……」
十時過ぎから始まった宴は一向に終わる気配がなかった。この分だともしかすると深更まで帰れないかもしれない。
ピヴォワンヌは退屈のあまり、その場で何度か足踏みをした。
今夜は件の第一王子が来ている。例の『忌み子』と呼ばれる王子である。
ピヴォワンヌはまだきちんと対面していないのだが、遠巻きに彼の金の髪をちらりと確認することくらいはした。
リシャールにそっくりの美しい金髪の持ち主で、おまけに随分背が高い青年だった。自分よりもかなり上背がありそうだとも感じた。
退屈しのぎにもう一度その姿を探す。第一王子は彫像を思わせる仏頂面で女官たちと話をしていた。
他の男性たちとは異なり、へらへら笑ったり、鼻の下を伸ばしたりはしない。女性だからといって特別扱いをせず、まるで官僚を前にしているかのような態度で冷静に話している。
それだけでピヴォワンヌにはじゅうぶん好印象だった。……少しばかり愛想はないが。
が、肝心な紅の要素はどこにも見受けられず、首を傾げる。
「あれで忌み子? 一体どこがって感じだわね……。あたしなんかもうしょっちゅう言われてるのに、変なの」
ピヴォワンヌがそう独りごちた時。
「ごきげんよう、ピヴォワンヌ様」
背後から甘く響いてくる、このやけに艶のあるテノールは――。
(げっ……!)
振り返ると、案の定クロードだった。
酒杯も持たず、優雅に腕など組んでたたずんでいる。いつの間にここまで接近してきていたのだろう、足音がしなかったところが逆に不気味だ。
彼はピヴォワンヌを嘲るようにくつくつと笑った。
「……退屈そうなお顔ですね」
話したくもない相手にやけに楽しそうに近寄ってこられ、ピヴォワンヌは警戒する。
つかつかと近づいてきたクロードは、静かにピヴォワンヌの傍らに立った。何事かと思っていると、小声でささやかれる。
「よろしいのですか? せっかくの舞踏会だというのに壁の花で……」
幾分むっとして、ピヴォワンヌは少しだけ距離を取る。
この男は嫌いだ。ただ「苦手」というだけではなくて、「嫌い」なのだ。
(父さんを殺したあのリシャール王の寵臣なんて、悪い人間に決まってるわ)
養父が処罰を受けた日、彼はあの場にいた。それも、ピヴォワンヌを傷つける側の人間として。
ピヴォワンヌはそのことで未だにクロードを憎んでいる。リシャールの仕打ちに加担し、自らの心に深手を負わせた人物として嫌悪している。
普段からバイオレッタに媚びるような態度を取っているのも気に食わず、ピヴォワンヌはすげなく彼を突っぱねた。
「いいわよ、あたしはこれで。こんなところで呑気に踊ってる場合じゃないもの。それより、あんたの顔を見てると気分が悪くなってくるから寄らないで」
「おやおや……。これでも宮廷の御婦人方にはいつも誉めそやしていただくのですがね」
クロードはそう言って自信たっぷりに笑ってみせる。
(やっと本性を現したわね)
この男には「仮面」という言葉が似合う。恐らく、いくつもの「顔」を巧みに使い分ける人間なのだろう。自分の都合のいいように立ち回るのがうまいのだ。
そうでなければ、いきなりこんなふてぶてしい態度を取れるはずがない。
だが、バイオレッタはクロードに対して好感を持っているようで、最近では薔薇後宮の敷地で語らっている姿をしばしば見かける。
その様子たるや、まるで本物の恋人同士のように仲睦まじげで、気軽に声をかけるのもはばかられるほどだ。
しかし、ピヴォワンヌだけは知っている。クロードがそうやってどの貴婦人にもひどく甘い顔をしてみせていることを。
(なんて嫌な男なの。優雅っていえば聞こえはいいけど、単に思わせぶりで軟弱なだけじゃないの……!)
大方バイオレッタは優しげな男を演じるクロードに騙されているだけなのだ。なんて馬鹿な姉なのだろう。いくら恩人であるとはいえ、男の上っ面しか見ようとしないなんて。
そう思ったら苛々してきて、ピヴォワンヌはぴしゃりと言い放った。
「バイオレッタに近づかないで。あの子は純真で、人を疑うことを知らない子よ。あの子のそんな心につけこんで傷つけたりしたら、あたしはあんたを許さないから!」
それまで余裕だったクロードの双眸に、一瞬複雑な色が浮かぶ。彼はピヴォワンヌの瞳を探るように見つめてきた。
「貴女は……。いえ……」
「何よ。何か文句があるなら言い返してみたら?」
ピヴォワンヌが挑発すると、彼はすっと彼女の前に立った。ワルツを愉しむ宮廷人たちから見えないように、その背でピヴォワンヌの表情を覆い隠す。
「……この私にそのようにまっすぐに言葉をぶつけてくる貴女の強さ。気に入ってしまいました。その気丈さ……、好ましいですよ……、とても」
上質な白手袋で覆われた手が腰に回されて、ピヴォワンヌは思わず後ずさろうとしたが、すでに抱き寄せられたあとだった。見かけによらずたくましい胸板を押したがびくともしない。
「……冗談やめてよ! あんたが好きなのはバイオレッタなんでしょう! ……やっ……!」
吐息が耳朶に触れ、ピヴォワンヌはクロードに強い嫌悪感を抱いた。
なんて男だ。バイオレッタを愛するふりをして他の姫にまで手を出そうとするなんて。
身じろぎするピヴォワンヌの背を指先が這いまわったかと思うと、芍薬色の長い髪をすくいとられる。
「本当に美しい御髪ですね。スフェーンではとても珍しい緋色で……。そして宮廷の女性たちが歯噛みしそうなほどのこれほどの芳香とくれば……」
「放して!」
「バイオレッタ様が私のものとなった暁には、貴女を私の愛妾にして差し上げましょうか。貴女とて、大好きな姉姫と離れるのはお嫌でしょう? 私は他の魔導士の方がたのように領土こそ賜ってはおりませんが、それなりに奢侈を尽くした暮らしをさせて差し上げますよ」
笑いを含んだ声音に、理性よりも感情が先に動いた。
ピヴォワンヌはクロードの胸板を渾身の力で押しやると、彼の頬を平手で打った。広間に乾いた派手な音が響き渡る。
「ふざけるのもたいがいにして!! この陰険男っ!!」
楽師の音色がぱったりと止み、踊っていた宮廷人たちが動きを止める。
「あの子を侮辱したら、いくら王の寵臣だろうが許さないわよ!!」
広間にピヴォワンヌの甲高い声がこだまする。
(こいつ、何をのたまっているのよ……! 最低! バイオレッタを悲しませるような真似だけは絶対にさせないんだから!)
クロードはしばらく張られた頬に手を添えていたが、軽く笑うと何事もなかったかのように背筋を伸ばした。こちらの様子をうかがう宮廷人たちに向き合い、深々と辞儀をする。
「お騒がせして申し訳ございません、皆様方。どうか、そのままワルツをお続けに……」
楽師たちが再び音楽を奏で始め、宮廷人たちはまたそれぞれの相手の熱に酔い痴れ始める。
クロードはピヴォワンヌに向き直ると、白い喉を反らせて艶然と笑んだ。
まさに傲岸不遜、と表現するのが正しい表情だった。これがこの魔導士の真実の顔なのだろう。
「……なんと手の早い姫君でしょう。公衆の面前で男の頬を張るとは」
「先に仕掛けてきたのはあんたでしょう」
「そうですね。ですが……気に入りましたよ。ゆめゆめお忘れなきよう。バイオレッタ様の御心が手に入り次第、私は貴女のことも手に入れます」
「この……っ!」
ピヴォワンヌは手を振り上げたが、その手を掴まれてぐいと壁際に押しつけられた。《舞踏の間》全体に惜しげもなく使われている高価な鏡が、ひやりと背に触れる。
「今化けの皮が剥がれて困るのは貴女の方なのではありませんか? なんと野蛮な姫だと後ろ指を指されますよ」
「……放して!」
「……ふふ」
彼は意味深長に微笑む。次いでぱっと手を放すと、こちらを見もせずにクロードは去っていった。
ピヴォワンヌは今すぐにでもクロードの触れた部分を洗い清めたい衝動に駆られた。むしゃくしゃしてたまらない。
(一体なんなのよ!)
***
……月光に濡れるバルコニー。
物憂げな面持ちで、バイオレッタは冷たい手すりに肘をついた。
「ふぅ……。なんだかすごく疲れてしまったわ」
廷臣に引っ張られて渋々会話の輪に加わってはみたものの、思うような受け答えなど全くできなかった。
アルバ座から来たというのは本当か、とか、今人気の女優は誰か、などといった話から始まって、挙句の果てには聞きたくもない卑猥な話まで展開されてしまった。
高貴な男性もそうした露骨な話題を好むのだということを、バイオレッタは知らずにきた。
だからこそ余計にショックが大きく、欲望を剥き出しにする彼らに嫌悪感すら抱いてしまったのだ。
(あれはわたくしが聞いていいようなお話ではないし、まして一緒に混ざっていいような類のものではないものね……)
どこそこの女優の体つきはこうで、とか、公爵夫人のベッドでは……、などという話題は、正直年頃の娘には耐え難いものだ。
バイオレッタ自身そうしたことには免疫がないこともあって、とてもあの場には居続けられないと感じた。
「……逃げてきて正解だったわね。あんな話、とても聞き続けられないもの。あのままだと多分、殿方に夢を見続けられなくなっていたと思うし……」
……いや、こうまでされればむしろその夢も醒めてしまうというものだが。
「風、気持ちいい……。あっ、エテ宮の庭園の薔薇が見える……! 綺麗……」
大理石の手すりにもたれて庭園の薔薇を眺めていたバイオレッタは、背後から近づいてくる靴音に気づくのが遅れた。
靴音が自身の背後ぎりぎりに迫ってきたとき、彼女はやっと他人の存在に気づいて顔を上げた。
(……誰?)
振り返ると見知らぬ初老の男性がいた。グレーの頭髪を上品に流してまとめ、深紅のリボンで結わえている。サファイア色の瞳は細く、つり上がった形をしていた。
長髪を一つに束ねた髪型はクロードを彷彿とさせたが、冷酷そうな表情やまなざしはクロードのそれとは全く酷似していない。それだけクロードの第一印象は穏やかで優しかったのだ。
まるで射貫くように見つめられ、バイオレッタは慄いた。
「あの……」
「国務大臣のシルヴェストル・ラピエールと申します。第三王女殿下、お会いできて光栄です」
ラピエールは狡猾そうな顔に笑みを刷いた。
「あ……ええ。わたくしもですわ、ラピエール様」
「全く……。貴女様のような麗しい姫君を十四年の間も行方知れずにしておくとは……。これぞまさに王室最大の失態でしょうね。それに、貴女様を庶民などと一緒に劇場に住まわせていたとはなんと嘆かわしいことでしょう。ある意味宝物の損失とも呼べますよ」
「……そのような」
バイオレッタはどう切り返してよいのかわからなかった。
眼前の男は巧妙に本心を隠している。うかつに口を出せば、怒りを買ってしまうかもしれない。
ラピエールは怯えるバイオレッタに気をよくしたのか、短靴の踵を鳴らしてさらに近寄ってきた。
獲物を捕らえる肉食獣を思わせる双眸でバイオレッタを見据えた後、小ばかにするように言う。
「……貴女をここまでお連れしたのは、確かあのクロード・シャヴァンヌでしたね。ふふ……。あのような恐ろしい男と一緒だったとは、さぞやお辛かったことでしょう」
「……え?」
「おや、まだあの男の正体をご存知でないのですか? お可哀相な第三王女殿下。あの男はこの宮廷では異端視されているのですよ……、『年を取らない化け物』だと」
「え……」
宮廷人の軽口にしては度が行き過ぎていると感じた。
だが、このラピエールという男がクロードを敵視しているなら、こういった悪評を流すこともあるのではないだろうか?
(……恩人のクロード様がこんな風に言われるのは我慢できないわ)
もちろんバイオレッタとて、未だにクロードのすべてを信用しているわけではない。
彼自身については、まだ理解していないことの方が圧倒的に多い。
けれど、本人のいないところでこんな風にこそこそと批判するのはどう考えても卑怯だ。それもクロード本人にぶつけるのではなく、第三者であるバイオレッタに話して聞かせようというやり方が、なんだか浅ましい気がしてしまう。
表面上はバイオレッタを褒め称えるようなことを口にしながらも、彼がしたいのはつまり気に入らない相手の陰口を叩くことなのだ。
はっきり言って品格がないと感じた。
バイオレッタは冷静に、けれどもしっかりと言い返した。
「あの方はそんな人ではありませんわ」
事の真相を知らない以上、どこまでクロードを擁護していいのかわからなかったが、恩人が悪しざまに言われていることに納得がいかず、バイオレッタはラピエールを睨んだ。
だが、ラピエールはおかしそうに笑うばかりだ。
「姫君……。その純粋さは美徳でしょうが、あの男は綺麗な顔に似合わず汚らわしい男ですよ。あの男が陛下にお仕えしだしたのは今から十八年前のことになりますが、その時から容姿は一切変化せず――」
「――妄言はそこまでにしていただきたいものですね、ラピエール卿」
ぴしゃりとした一喝に、ラピエールが目を剥く。そこにはクロードが立っていた。
「クロード・シャヴァンヌ……!」
ラピエールは一歩後ずさり、醜いものでも見るような目つきでクロードをねめつけた。
が、クロードも負けてはいない。強く視線をぶつけながら、二人のあわいに割って入る。
バイオレッタをさりげなくかばいながら、彼はラピエールと対峙した。
「この御方は陛下の御息女であらせられます。そして私は寵臣として陛下に全幅の信頼を置かれている身……。あなたのような野蛮な男の手から、姫君がたをお守りする義務がございます」
「野蛮だと!?」
「事実では? 純真な姫君に嘘を吹き込み、陛下の片腕である私の評判を下げようとするなど」
「言わせておけば、この男……っ!!」
ラピエールはクロードを忌々しげに睨んでいたが、すぐにバイオレッタに目をくれた。
せせら笑い、吐き捨てるように言う。
「はっ……! 化け物ごときに誑かされるとは、そこの娘も相当愚鈍なようだ! 親切な廷臣の諫言よりも、宮廷に巣食う悪魔の言うことを鵜呑みにするとは!」
「それはあなたの負け惜しみですか、ラピエール卿? くだらない噂ごときで姫の心を掻き乱し、歪んだ認識を植え付けようとするなど、宮廷人の風上にも置けませんね」
「事実であろう! 負け惜しみを言っているのは貴殿の方ではないのか!? 寵臣の位を授かっただけでは飽き足らず、城下から戻ってきたばかりの王女相手に今度は一体何をしようとしている!?」
バイオレッタは険悪な雰囲気に二人を交互に見やる。
「お、お二人とも、どうかもうおやめくださ――」
「……その辺りでやめぬか、見苦しい!」
辺りを威嚇するステッキの音が響き渡る。近づいてきたのはリシャールだった。
バイオレッタがほっとしたのも束の間、彼はつかつかとラピエールに歩み寄った。そして印章指輪を嵌めた右手をその胸に這わせる。
その手をふいに首筋に伸ばしたかと思うと、クラヴァットごと胸倉を強く掴み上げた。ラピエールの顔を引き寄せ、ぞっとするような声で嘲笑する。
「……そなた、一体何を勘違いしておる? 僕の寵臣を辱めるばかりか、エリザベスの産んだ第三王女にまで暴言を浴びせるとは、一体どういうつもりなのだ?」
くっ、と低く嗤った後、リシャールはラピエールの身体を強く押しやった。ふらついた彼に言い放つ。
「自惚れるでない!! 僕は僕に従順な人間には寛容だが、逆らう者には一切容赦せぬぞ!! それがたとえお前であってもだ!! 覚えておけ!!」
「ひっ……!!」
……ラピエールが恐れをなし、大慌てで逃げ出した後。
幾分憔悴した様子で、リシャールはのろのろとこちらを見た。
「クロード、バイオレッタ。あのような無粋な輩にかまうでない。ああいった手合いはこちらがかまえばかまうほど疲れるものだ」
「申し訳、ございません……」
バイオレッタたちが殊勝に頭を下げると、彼はぐらりとよろめいた。クロードがすかさず抱き留める。
「陛下、もしや酔っておいでですか? すぐにやすめる場所へお連れして――」
「……よい。急に大声を出したから息苦しくなっただけだ。今宵はもう、イヴェール宮へ戻ってやすむ」
「酒の類はほどほどになさって下さい。そのお身体には毒ですよ」
リシャールはクロードにもたれかかったまま、ほの昏い笑みを浮かべた。
「……まこと無様なものよ。朝が始まり、夜が終わり……、一日が幕を閉じる。そのたびに僕は確かに年を取っているというのに、この体は一切変化せぬ……。ただの無力な子供の身体だ」
「魔導士たちが動いておりますゆえ、すぐに術者を突き止められましょう。何もそのように急くことは……」
「だがっ!! 僕はこの身体のせいで失ってばかりだ!! 最愛の妃と同じように年を取ることも、人並みに生きてゆくことも……、すべて奪われたのだぞ!? はは……、異国からの使者たちが僕を何と呼んでいるか知っておるか? 姿の変わらぬ王、魔女の息子、呪われた少年王。この忌まわしき名はすべて、ほかでもない僕を揶揄するものだ……!!」
クロードは労わるようにリシャールを抱きしめる。
彼があやすように背を叩くうち、リシャールの手からステッキが滑り落ちた。
「ふっ……、う……!! クロード……、クロード……!!」
クロードに取りすがって泣きじゃくるリシャール。その姿はどこからどう見ても少年のそれであり、バイオレッタには彼が自分の実父だということがにわかには信じがたい。
(……でも、事実なのね)
ずっと自分を探し続けていたのも、自分を娘として――さらに言うなら王女として――遇しようとしているのも、間違いなくこのリシャールなのだ。
あまりに弱々しい姿に、どこか幼少期の自分の姿を重ねてしまう。
理解者がいなければ何もできなくて、本当は一人ぼっちで何かをするのも怖くて仕方がなくて。けれども弱いなりになんとか前を向いて生きていきたいと願っていた、昔の自分の姿を――。
ひとしきり泣き、レースのこぼれる袖口で強引に目元をぬぐうと、リシャールは踵を返した。
「……陛下。どちらへ」
「イヴェール宮へ戻ってやすむと言ったはずだ」
「お待ちを。今御供を――」
「よい。それよりもクロード、舞踏会が終わるまでバイオレッタの相手をしてやれ。こやつはまだ宮廷の作法に不慣れだ。ラピエール卿をはじめ、この宮廷には狡猾な輩が多い。しっかりと守ってやるがよい」
クロードは逡巡したものの、すぐに頭を垂れる。
「――御意」
そして、その姿勢のまま主が退出するのを見守っていた。