「さて、姫……。宴の席にただ戻るのでは、少々退屈ではありませんか?」
……エテ宮にしつらえられたバルコニー。
リシャールが去ると、クロードは適度な距離を保ったままで静かに訊いた。馴れ馴れしくべたべたと触れてこないあたり、さすが洗練された宮廷人といった感じがする。
バイオレッタはこくりとうなずいた。
広間に戻っても、恐らくもうほとんど心浮き立つようなことはない。廷臣たちや有力貴族などとの顔合わせもあるにはあるが、またラピエールのような男に捕まるかと思うと憂鬱だった。
「……実はわたくし、社交が苦手で。それでさっきも、新鮮な空気を吸いにバルコニーに出たくなってしまって……」
「ああ、なるほど。そういう事情がおありだったのですね」
「おしゃべりするのは疲れてしまうし、貴族の方とはあまり楽しいお話ができそうもなくて、困ってしまいましたの」
クロードは白手袋をはめた手を、やおらこちらに伸ばしてきた。何をされるのかと身構えていると、白銀の髪をくしゃりと撫でられる。
(わっ……)
温かい手が何度も頭を撫でる。彼は時折、髪の隙間に指先を差し入れて丹念に梳くことさえした。
「またそういったことがあれば、私のところへ逃げておいでなさい。助けて差し上げますから」
そう言って髪を梳く手つきはひどく優しい。温かさに安心しきってしまいそうだった。
「い、いけませんわ。クロード様だってお忙しいのですから、頼るわけには――」
「よろしいのですよ。困っている姫君をお助けできるということは、男にとってはこの上ない誉れなのですから」
クロードはゆっくり手を離すと、楽しそうにつぶやく。
「ふふ……。舞踏会から逃げていらした姫君を、どちらにお連れいたしましょうか……」
それではまるでバイオレッタが悪いことをしているみたいだ。けれど咎めるような口調ではなく、クロードはむしろ微笑ましそうにこちらを見る。
そこで思い切ってバイオレッタは提案してみた。
「わたくし、あの薔薇が見てみたいです」
バルコニーの下の薔薇のアーチを指さす。クロードはにこりとしてバイオレッタに手を差し出した。
「ええ。それでは参りましょうか。お手をどうぞ? 私の姫」
一旦《舞踏の間》に入り、外へと通じるドアを目指して進む。
回廊を行き、石段を下り、新鮮な外の空気が吸える場所まで出る。
夜気を吸い込みながら空を見上げると、月がのぼっていた。丸く満ちた月が、薄い膜を帯びながら柔らかく光り輝いている。
そんなバイオレッタの視線に気づいたようで、隣のクロードがふっと微笑する。
「よい月夜ですね」
「はい! 綺麗です」
「あの満月を、貴女なら一体何に喩えるのでしょう」
木立の向こうに浮かぶ月を指しながら、クロードが問うた。
バイオレッタは少し考え込んだあと、ゆっくりと答えた。
「シトリンやトパーズ……、猫の瞳もいいですし、カスタードクリームみたいにも見えますわね」
「お可愛らしい回答だ。姫の感覚は女性というよりは少女のそれなのですね」
「そ、そうでしょうか……」
少し子供っぽかっただろうかと、バイオレッタはしょげた。
「落ち込むことはございませんよ。ああ、言い方がよくありませんでしたね。ただ、年頃の少女らしくて可愛らしいと思ったのです。……そういえば姫、薔薇後宮には慣れてきましたか?」
「あ、はい。ピヴォワンヌやクララがいてくれるから、あんまり寂しくありませんの。年が近いのも嬉しいのです。色んなお話をして楽しめますから」
「なるほど」
そうこうしているうちに緊張がほぐれてきて、しだいに笑顔の方が増えてゆく。その後もクロードはバイオレッタが答えやすい質問を繰り返し、彼女を和ませた。
さくさくと芝生を踏みながら、バイオレッタは唇を開く。
「……一度は酷く罵ってしまったこともありますけれど、わたくし、本当は少しだけクロード様に感謝していますの」
「感謝……? それは一体なぜなのですか、姫」
バイオレッタはそこでちらりとクロードを見上げた。
呆れられる、もしくは浮ついた娘に見られそうで不安だったが、正直に言ってみる。
「わたくし、本当はあのままアルバ座にはいたくなかったのです。わたくしは雑用しか能のないただのお荷物でしたから、なんの役にも立てませんでしたし、いつも嫌なお客さんに付きまとわれて泣きそうでした。それにあのまま劇場にいたら、わたくし、きっと望まぬ結婚をさせられていましたわ。時には身体を売らなければならないこともあったかも……。そういうのは、嫌なのです。だってわたくし、自分が選んだ殿方と幸せになるのが夢なのですもの……」
クロードに笑われるかもしれないと、バイオレッタは今さらながら身構える。
だが、そんな子供っぽい夢にもクロードは馬鹿にするそぶりを見せなかった。
「なるほど。姫は、男に選ばれるよりも自分が選び取りたい。そう思っておいでなのですね。そして仮にあの劇場にい続けた場合、そういった年相応の夢は打ち砕かれていたかもしれないと……」
思案するように口元に指先をあてがい、クロードは真面目くさった顔でうなずく。
「あっ、あの……。別に渡りに船と思ったわけではなくて。ただ、クロード様がいらっしゃって、少しだけほっとしたのも事実なのです……。浅ましいので大声では言えませんけれど」
そこでクロードは振り返り、金の瞳を瞬いた。次いで、くすりと笑う。
「では、私は結果として貴女をお助けしたことになるのですね」
「ええ。まさか王宮での生活が待っているとは思いませんでしたけれど、わたくし自身は救われた部分もあるのです。アルバ座もあんなことになってしまいましたし、あのままあそこにいたら、もしかしたら火事に遭っていたのはわたくしだったかもしれません。そういう意味でも、やっぱりここに連れて来ていただいてよかったのかもしれませんわ」
クロードは一瞬だけ、なんとも言えない笑みを刷く。
だが、「光栄ですね」とだけつぶやくと、またおとがいに手をあてがって考え込んだ。どうやら考え事をするときの癖らしい。
「ふむ……。……ならば姫、いっそ女王を目指してみては?」
「えっ……」
思わずバイオレッタの足が止まる。
つられたようにクロードもまた歩みを止めた。
「陛下もおっしゃったでしょう。次期女王には自ら伴侶を選択する権利を与えると。見知らぬ異国の男に嫁ぐよりも、そちらの方が姫のご希望に添っているのではないかと思ったのです」
「それ、は……」
もごもごと口ごもる。
バイオレッタ自身、自分に女王が務まるとはとても思えないのだ。政略結婚で異国にやられてしまうのも嫌だけれど、結局そうするよりほかないのだろうという気持ちもある。
だがまさか、女王を目指すなんて――。
「貴女が玉座にのぼられた暁には、私が貴女をお支えしましょう」
大胆不敵に微笑み、クロードは指でそっとバイオレッタの頬の輪郭をたどる。
嬉しいけれど、どう答えればよいのかわからない。
確かにクロードなら、次期女王を補佐するだけの能力を持っているだろう。彼なら王がどんな人物であっても全力で支えるだろうし、たとえ己の仕える王が女性だとしても変わらず王家に忠誠を尽くすに違いない。
そつなく根回しをし、廷臣たちを操作することさえしてしまいそうだ。
(……そういう意味では、この間お父様が言っていらした入り婿にはとても向いているのでしょうね)
クロードには表舞台に立つことをそもそも重要視していない節がある。リシャールとのやり取りを見るにつけ、自分が必要以上に出しゃばろうとする思いが希薄であるように感じるのだ。
そのくせ執務は完璧にこなしていると評判だ。まさに女王の配偶者にふさわしいような気がした。
「姫が女王とおなり遊ばしたら、私は貴女の御代を全身全霊でお支えします。そのためにもどうか頑張ってくださいね」
「ま、まだわたくしが女王になると決まったわけでは……!」
クロードはくすくすと妖しく笑んだ。
その能力といい美貌といい、この男は完璧すぎていっそ人間離れしている。むしろ本当に人間なのかと勘ぐってしまうほどだ。
ようやく薔薇のアーチの下にたどり着いたとき、バイオレッタはふと疑問に思った。
(そういえば、さっきの言葉は何の比喩なのかしら)
『年を取らない化け物』だと、ラピエールは言った。そしてまたクロードも、会ったばかりの頃自らをそう揶揄した。
どういう意味なのだろうか。宮廷人たちはともかく、クロード本人までそう言うなんて、なんだか妙だ――。
逡巡の末、バイオレッタはとうとうその疑問を口にした。
「……クロード様。あなたが『年を取らない化け物』というのは、本当なのですか」
「……おや、気にかかるのですか?」
「はい。先ほどラピエール卿が言っていらしたでしょう? あれから少しだけ気にかかっていて……」
バイオレッタがそう言うと、クロードは愉快そうに口角を上げた。黒髪がさらりと落ちかかり、帳のように彼の右眼を覆い隠す。
「貴女は彼の言葉と私の言葉、どちらがより信じられるとお思いなのですか。貴女の返答次第では、私は答えをはぐらかしてしまうでしょう」
「そんな……! それではまるで駆け引きではありませんか」
大人の世界の駆け引きは、正直なところバイオレッタにはよく理解できないものだった。
なのに、クロードは狡賢く笑ってバイオレッタの様子をうかがってくる。
「そんな、わたくしの心を確かめるみたいに……」
「ですが、貴女は一度私を拒絶なさいました。そんな方だとは思わなかった、あまりに冷酷だとおっしゃって……。私はただ貴女の本心が知りたいだけなのです。私のことを信じるに値する男だと思っておいでなら、貴女にだけは私も本当のことをお話しましょう」
確かに一度はクロードを批判した。
だが、バイオレッタは以前よりずっとクロードのことが気になり始めていた。
穏やかで紳士的な顔と、ぞっとするほど冷たい非情な顔。一体どちらが本当の顔なのか、確かめてみたい思いもある。
クロードはゆっくりと距離を詰めると、もう一度バイオレッタに訊ねた。
「さあ、答えて。姫……。貴女は宮廷人の言葉と私の言葉、一体どちらを信用なさるのです?」
試すようにクロードは言い、バイオレッタの顔を覗き込んだ。
「……」
視線の交わし合いと、耐えがたいほどの長い沈黙に押しつぶされ、とうとうバイオレッタは唇を開いた。
「……クロード様です。わたくしは宮廷人の言葉なんて、本当のところどこまで信じればいいのかわかりません。それに、あなたは特別な方です。わたくしにとっては恩人でもあります」
「恩人……?」
「ええ。わたくしを城下まで迎えに来てくださいましたし、先ほどもラピエール卿の暴言から助けてくださいました。それに今しがた言ったとおり、新しい居場所を与えてくださった方でもあります。これほど優しい殿方に力になっていただけるなんて、今でも夢みたいですわ」
クロードは満足げに唇を緩める。
「……ふふ。姫はお上手でいらっしゃる。私はただ、彼と私、どちらが信用に値するかお聞きしただけですよ。なのにまさか、そこまでお褒めいただけるとは……」
「わ、笑わないでくださいませ! 全部本気の言葉でしたのに」
「そうなのですか? では、そちらも覚えておきましょう」
クロードは厚みのある唇を持ち上げて艶やかに笑った。
バイオレッタは妙に心臓が落ち着かなくなるのを実感していた。瞬く間にうまいこと望む言葉を引き出されてしまって、なんだか蜘蛛に捕食される蝶にでもなった気分だ。
……そう、クロードはバイオレッタから自らの望んでいる言葉を巧みに引き出した。宮廷人よりもあなたの方を信頼していると、バイオレッタの口から言わせたかったのだ。
その上思いがけず賛辞の言葉まで贈られたのだ、彼としてはこの上なく満足だろう。
バイオレッタの心を試すような駆け引き。瞬く間にこちらの本音を引き出してしまう巧妙な問いかけ。大人の男性らしい、余裕たっぷりの言葉遊び……。
アルバ座で初めて会ったときには見えなかった一面が、確かにのぞいていた。それも、≪星の間≫で垣間見た冷ややかさともまた違う、少しだけ茶目っ気のある部分が。
(い、意外と意地悪な方なんだわ……)
今夜のクロードはただ優しいだけの男ではなかった。初心なバイオレッタを楽しそうにからかい、意地悪く巧みに本音を引き出そうとしてくる。
かといって冷淡というのとはまた違っていて、どこか妖艶な雰囲気さえ漂っている。
出会った日も色香の凄まじい男だと思ったが、こうした大人の会話を交わしているときにはそれがより一層濃密になるようで、バイオレッタは本当にどうしていいかわからなくなった。
……月明かりにしっとりと輝く黒絹の髪も、二粒の琥珀を思わせる双眸も。美しい、と思った。
(綺麗な殿方だとは思っていたわ、でも……)
そこにあるのは、一匹の黒豹を思わせる、美しくしなやかな男の姿だった。
禁欲的な顔はうわべだけ。ひとたび二人きりになれば魔性そのもので、何も知らないバイオレッタを誘惑しようとさえする男だ。
寵臣という役柄から解き放たれた今、彼はただただまっすぐに好意を向けてくる。
漆黒の上着の中、男性らしい力強い熱が息づいているのを感じたような気がして、バイオレッタは妙にどぎまぎした。
緊張とはまた違った意味で胸がばくばくするが、その正体がいまいちわからず、ひたすらにうつむく。
「……いかがなさいました? もしやご機嫌を損ねてしまったでしょうか」
「……いえ。お、お約束ですわ……、クロード様。あなたのお話をお聞かせください」
クロードは夜風に長い黒髪を遊ばせたまま、静かに息をついた。
「そう急かされずとも夜は長い……。あちらに座ってお話しましょう」
そしてさりげなくバイオレッタの手を引いて、庭園の四阿へといざなった。
舞踏会用のドレスをするりとたくし上げて椅子に腰掛けると、クロードはバイオレッタの手を握ったままでぽつぽつと話し出した。
「……私がこの宮廷に出仕しだしたのは十八年前。貴女がお生まれになる少し前のことになります」
その頃のクロードはまだ浮浪者だったのだそうだ。
城下をさまよい、あてどなく都をふらつき歩いていたのだと彼は語る。
「恥ずかしながら、このような洗練された装いに身を包んだこともなければ、ろくに身づくろいをしたことさえありませんでした。そのようなことを考える余裕がなかったのです。昼間は盗んだ黒パンや野菜の切れ端で空腹を満たし、夜は路傍で眠りました」
「まあ……!」
自分が置かれていた状況よりもさらにひどいではないかと、バイオレッタは痛ましげに眉をひそめる。
こんなに華やかなクロードに、まさかそんな時期があったなんて。
「生まれたときにはすでに身寄りがなかったのです。そのため、そのような生活を送らざるを得なかった。ですが、ある日そんな生活も一変します。陛下が――リシャール様が城下へ行幸にいらしたのです」
いつものように城下町をさまよっていたクロードは、フードを被った小柄な少年とぶつかった。
『痛っ……! そなた、どこを見て歩いておる!』
クロードは思わず頭を下げて道を開けた。見るからに育ちがよさそうな少年だったからだ。
フードからこぼれる黄金色のきらきらした髪に、同じ色の大きな瞳。質素な衣服で装ってはいるが、髪も肌も手入れが行き届いてつやつやしている。きっと名家の出だろう。随所から高貴さが滲み出ている。
これは関わり合いにならないほうがよさそうだと、クロードはその場を立ち去ろうとした。
が、次に視線が交わったとき、なんと少年の方から距離を詰めてきたのだという。
『待て!』
『……!』
『ほう……? 僕と同じ黄金の瞳か。美しいな』
じろじろと無遠慮に眺めまわされ、そうした行為に慣れていないクロードは思わず後ずさった。
口を閉ざして黙り込んでいると、彼は興味深そうにクロードの全身を見やった。
『……なんでしょうか』
『そなた、随分細いな。もしや城下に住まうという浮浪者か?』
図星を突かれ、クロードは声を上げた。
『だったら何なのですか! あなたには関係のないことです』
『……む? そなた、浮浪者のわりによい言葉遣いをするのだな。これはおかしなこともあったものだ』
少年はそこで、首を傾げながらふう、と息をついた。
『今、城では魔導士が不足していてな。困ったものだ……、優秀な魔導士がおらねば都合が悪いというのに』
そこでクロードはああ、と思った。
彼はきっと城に仕える小姓か何かだろう。この整いすぎた言葉遣い、偉そうな態度。城で働く小姓であるならば理解できないこともない。恐らく王宮勤めが楽しくて浮かれているのだ……。
少年はなおも詰め寄ってきた。
『そなた、名は?』
『名など……ありません』
ご立派な小姓に教える名などないと、クロードは突っぱねた。
だが、少年は食い下がる。
『そうか。それでは都合が悪いな。ならば僕がつけてやろう』
少年はうーん、と考え込んだのち、ぱっと顔を輝かせた。
『クロードだ。僕の先祖から命名してやったぞ。ありがたく思え、クロードよ』
『……!』
狼狽するクロードをよそに、少年は勝手に話を進めた。
『では行こうか』
『なっ、待っ……!』
そうやってぐいと手を引かれたクロードは、ひたすら訝しむことしかできなかったという。
ただ容姿が似ているというだけで城に迎えられるなど、どう考えてもおかしい。この少年は自分を謀ろうとしているに違いない――、そう思ったのだ。
『誰だかわからない人間になどついて行けません! 勝手に話を進めないでください!』
が、次の瞬間、少年が掲げた印章指輪に、クロードは目が釘付けになった。
『僕の名はリシャール・リュカ・フォン・スフェーン。このスフェーンを統べし者。僕はそなたが気に入った。さあ、僕のために仕えよ、クロード』
「そのような経緯を経て、私は宮廷直属の魔導士となりました。陛下のために必死で魔術を学んで現在に至るというわけです」
主従二人の邂逅にそのような逸話があったとは……。
もう絶句するしかなかった。まさにクロードはなるべくしてリシャールの臣下になったのだ。
「信じられないお話だわ。まるで最初からそういう筋書きだったかのようですわね」
「後になってお忍びだったとわかったのですよ。なんでも、行幸を抜け出して城下を探索していらしたのだそうです。困ったお方でしょう?」
それにはさすがのバイオレッタも何と答えてよいのかわからなかった。父王は確かに「困った」ところのある人物だからだ。
「あ……、ええと、た、大変お父様らしいですね……! 奔放というのかしら……、いえ、天真爛漫……?」
「あれは『自分本位』というのです。全く……。振り回される私の身にもなっていただきたいものですね」
クロードはそう言って苦笑したが、心の底から嫌がっているという顔ではなかったのでほっとする。
「陛下はことのほか私を気に入ってくださり、遠征やら公務の手伝いやら、次々に補佐を頼まれました。これは私にとっても思いがけない出来事でしたね。ですが……残念なことに宰相閣下には疎まれ、彼の取り巻きたちにもよい顔をされません。魔導士風情が出しゃばって、と批判されるからです。外戚であるアウグスタス家の方々にはよくしていただいておりますので、それだけが救いですが……」
「王妃様のご実家の……?」
「ええ。王妃様は私のようなものにも嫌なお顔をなさいません。ありがたいことに、陛下の補佐役としての私の能力も買ってくださっています。時々サロンにお招きいただくこともあるほどで、もはやなんと申し上げてよいのか……」
「きっとクロード様の働きぶりを王妃様もお認めになっていらっしゃるのですね。お父様のようにあなたを大切にしたいとお思いなのでしょう」
「大切……、なるほど。そのように思っていただけているとしたら、私は果報者だ」
どこか他人事めいたつぶやきを漏らし、クロードは瞳をやんわりと細める。
シュザンヌがクロードを買っているというのはわかる気がした。
恐らく、国王が頼りにしている寵臣を王妃としてねぎらいたいという気持ちがあるのだろう。国王の妻として、彼の臣下はできるだけ大切にしたいと考えているのかもしれない。
「では、『年を取らない化け物』というのは……」
「ああ、実は、魔術を会得する過程で少々おかしな身体になってしまいまして……。稀にいるのだそうです、そうした術者が」
バイオレッタは痛ましくなる。
たったそれだけのことで異端視されるなんてと、彼女はクロードの手をさらに強く握りしめた。
「姫……?」
「もし……もし何かあったら、わたくしにも相談してくださいませ。お話を聞くことくらいはできるはずですから」
「……ええ。ありがとうございます、姫」
バイオレッタはしばしそうしてしっかりとクロードに身を寄せていたが。
「……姫。貴女は先ほど、どなたかと踊られたのですか」
「え?」
クロードからの問いかけに、バイオレッタはきょとんとし、次いで首を振った。
「いえ。どなたとも踊っていません。誘ってはいただきましたが、あんまりその気になれなくて」
正直に答えると、クロードが幾分嬉しそうな調子でささやいた。
「では、今私がダンスにお誘いしたら、応じてくださる……?」
甘い声音が、ぞわりと鼓膜を震わせる。
少しだけかすれた低いクロードの声、そして手のひらに籠められた熱が、バイオレッタから余裕を奪う。
「えっ……、で、ですが、ここは屋外でーー」
「かまわないでしょう。それに……私と広間で踊るのはやめておいた方が賢明でしょうから」
「……」
ダンスのレッスンは事前に受けている。
だが、クロード相手に完璧な踊りなどできそうもなくて、バイオレッタは彼に弁明した。
「ごめんなさい。わたくし、多分とても下手ですわ。まだ習いたてですし……」
「私は気にいたしません。お願いしているのは私の方なのですから。差し支えなければ、今後のためにもご教授いたしましょうか。もちろん貴女がお嫌でなければ、ですが」
「え、ええ……」
熱心な口調に気圧されて、バイオレッタは渋々うなずく。
クロードはそれを確かめると、彼女を石柱の影へいざなった。
「ほら、わかりますか……、姫。ここなら≪舞踏の間≫の曲がはっきりと聴こえます」
「ええ。これは……ワルツ?」
クロードは「ご名答」といわんばかりにおもてをほころばせる。
「この曲でしたら貴女でも踊れますよ」
「だけど、わたくし……クロード様の足を踏んでしまうかもしれませんわ。絶対に下手です。やっぱりやめておいた方が……」
「……仕方のない姫ですね」
耳朶に落ちたのは悪戯っぽいささやき。
同時にクロードは、うろたえるバイオレッタの腕を強く引いた。
刹那、夜風に純白のドレスの裾がふわっと舞い上がる。
(……!)
彼は強引に手を取ると、バイオレッタの背を支えながらステップを踏んだ。
「一、二、三……、そうです、声に出して三つ数えながら、私の動きに合わせてください」
「ええっ? ……こ、こうですか?」
クロードのステップに倣い、彼を追うように足を踏み出す。
「そう……、もう少し重心を私に預けてください。お上手ですよ……、とても」
ステップを踏むたび、クロードによって体全体を軽やかに翻される。白銀色の後れ毛がそれにつられてふわふわと靡いた。
まだぎこちない踊り方ではあったが、クロードがゆっくり動いてくれ、事あるごとに支えてくれるのでなんとか形になってゆく。
……背に手を添えられ、指先を熱く絡ませられ。
密着すれば、彼の首筋から漂う男性用コロンの香りが頭をさらにくらくらさせる。
だが、こうして寄り添いながら舞曲に身をゆだねるのは嫌ではなかった。それどころか、むしろ……。
「楽しいですね……!」
クロードの腕の中で、彼と呼吸を合わせながらステップを踏み、ターンする。
それは不思議と心躍る動作だった。
わずかに漏れ聞こえる楽の音に合わせて身体を動かしているだけなのに、憧れている男性と同じ時間を共有しているという事実が心を満たしてゆく。
貴婦人たちがダンスに熱を上げるのもわかる気がした。こうして好きな相手と一緒に踊るのが単純に楽しいからなのだ。
(なんて一体感なの……!)
パートナーを選び、こうして同じ時の中をともに揺蕩う。
たかが一曲限りの相手でしかない。
けれど、視線、ささやき、ぬくもり……、そのわずかな間にしか伝えられないものというのも確かにあるのだろう。
「すごいわ……、わたくし、こんなこともできたんですね……!」
「ええ、初めてにしては上出来です、姫。筋がよくていらっしゃる」
はにかみ、バイオレッタは彼のリードに身を任せる。
初めてのダンスの相手がクロードでよかったと、バイオレッタは上気した顔をほころばせた。
バイオレッタはしばしクロードの与える熱に酔い痴れた。
そんな二人を、群青の空に咲いた月だけが見つめている。
まるで今夜の逢瀬の証人であるかのように……。
彼の腕に抱かれて舞い踊りながら、バイオレッタは得体のしれない甘やかな予感に身悶える。
(ああ……ピヴォワンヌ。ごめんなさい。わたくし、やっぱりこの方が――)
バイオレッタは自らの感情さえろくに理解できぬまま、クロードの動きに身を任せ続けた。