「……ルイーゼ?」
「香緋!?」
ルイーゼはクロードの手を借りて箱馬車を降りると香緋に駆け寄った。
彼女は騎士に挟まれるようにして前庭にたたずんでいる。
(どうしてこの子が王城に……?)
「王都を見て回るって言っていたけれど……、もしかしてお城に用があったの?」
「これは……」
ルイーゼが問いかけると、香緋はどこかばつが悪そうに唇を噛んだ。
「……ごめん。これには訳があるの。それよりあんた、どうしてあの男とこんなところに……」
香緋はクロードに視線を投げかけて、咎めるように言った。
(「あの男」――?)
ルイーゼは思わず訊ねる。
「クロード様を知っているの?」
だが、その問いには答えず、香緋ははっとしたように目を見張った。
「嘘……、まさか、あんたが……?」
「……え?」
ルイーゼの護衛の騎士や女官を乗せた後続の馬車が次々と停まる中、いつの間にか傍らにやってきていたクロードが言った。
「これでようやく十四年ぶりに再会できたわけですね。第三王女バイオレッタ様、そして第四王女ピヴォワンヌ様」
「え……」
凍り付くルイーゼを尻目に、香緋はクロードに食ってかかった。
「魔導士クロード!! あんたは全部わかってたの!? こうなることが!!」
「そのような恐ろしい表情をされては、せっかくの愛らしいお顔が台無しですよ、ピヴォワンヌ様」
「その名前であたしを呼ばないで!! 虫唾が走るわ……!!」
香緋は泣きそうな顔をしていた。そんな彼女に、クロードがふっと笑って言う。
「私の方こそ驚いていますよ……、まさかお二人がすでに再会されていたとは」
……「再会」? 訳が分からない。
困惑したルイーゼは思わず訊ねた。
「どういう……ことですか?」
「この方は……秦香緋様は、スフェーン国王リシャール様の第三王妃であらせられた女性、清紗様の姫君なのです」
「嘘。だって、陛下のお妃様は確か二人だったと……」
クロードはそこでうっすらと笑みを刷いた。
「ああ……、あの御方は陛下の愛妾でいらしたのですよ。それも第一王妃様や第二王妃様とは異なり、東国の平民の出です。王妃と呼ぶには身分が低すぎましたが、宮廷ではみな第三王妃という扱いをいたしておりました」
(……!)
ルイーゼは息をのんだ。
また会いたいとは思っていたけれど、まさかこんな形で出会うことになるなんて……。
「……じゃあ、私と香緋はもしかして」
「ええ。異母姉妹ということになります」
クロードの言葉に愕然とする。思わず膝が崩れ落ちそうになった。
(なんで……!)
この『戯曲』はあまりにも巧妙に仕組まれすぎている。
ただの女優見習いでしかなかった自分が実は王女だった、というだけでも驚きだというのに、たまたま知り合った少女が腹違いの妹だなんて。
(どうしてこんなにできすぎているの?)
宿命は容易くルイーゼを翻弄していく。まるですべてが最初から決められた筋書きであったかのように。運命とはこうも皮肉なものなのだろうか。
「そんな、ことって……」
くくった髪を振り乱し、香緋は噛みつくようにクロードに言った。
「あたしはこんなの、本当は認めてない!! 気安くあたしをそんな名前で呼ばないで、魔導士クロード!! あんたが劉に遣いを寄越したりしたから、あたしはこんなことになったんじゃない!!」
だが、クロードは氷のごとく冷たいまなざしを向けている。
「……己の宿命とは、受け入れるべきものです。私を恨むのはお門違いというものではございませんか? 確かに貴女の国に遣いをやったのはこの私ですが、貴女の出自は私などが調べ上げずともいずれは暴かれる運命だった、そうは思われませんか。貴女が清紗様の腕輪をお持ちの以上は……」
香緋はぐっと手のひらを握った。
「母さんの形見なのよ!? そんな大事なもの、手放せるわけないじゃない!! あたしはあんたなんか大嫌いよ、そうやってあたしを小ばかにするような物言いばかりするんだから!!」
……クロードは一瞬怯んだように見えたが、次の瞬間にっこりと微笑んでやり返した。
「おや、ありがとうございます……。……お話は以上でしょうか? これより女官長と記録係への引継ぎがございます。ピヴォワンヌ様のお相手ができないのは大変心苦しいのですが、私もそれほど暇ではございませんので……」
「なっ……!」
香緋は眉間の皺を深くする。ルイーゼは眼前の二人のなんとも険悪そうな雰囲気にはらはらした。
この様子では、香緋が腰の長剣をいきなり鞘から引き抜いても何ら不思議はない。止めなければ。
「あ、あの。二人とも、もうそれくらいにして下さい……!」
「ルイーゼ……」
「ああ、姫、お許しを。貴女を除け者にしてしまいましたね、私としたことが……」
「そんなことはいいんですけど、あの」
クロードは華やかな所作で人差し指を自身の唇に当てた。
「大丈夫……、どうか何も心配なさらないで……。これから姫君たちには女官長と王室記録係に会っていただきます。記録係とは、貴女がたの幼少期の身体の特徴をすべて書き記している特別な女官たちです。お二人が姫君という事実を裏付けるためにも、身体的特徴を一度照らし合わせる必要があります。ご心配には及びません。記録室は後宮と同様、男子禁制になっておりますし、姫の素肌がむやみに男の目に晒されることはございませんので」
ルイーゼは羞恥から思わず頬を赤らめてしまう。
(そ、そんな直截的な言い方はちょっと)
たちまち香緋が食ってかかる。
「はあ? そんなこと聞いてるんじゃないでしょ? なんで初対面の女官の前で脱がなきゃなんないのよ!」
「ですが、湯浴みも着替えも、これからは侍女に任せることになるのですよ。その程度で恥じらわれるようではいけませんね。全く貴女は……」
と、そこで鋭い一声がクロードの言葉をぴしゃりと遮った。
「――シャヴァンヌ様。バイオレッタ様とピヴォワンヌ様をお連れいたします」
王城の入り口から、金茶の髪を結い上げた婦人がしずしずとやってくる。年のころは五十ほどだろうか。大勢の年若い女官を伴っていた。
「女官長殿。……おいででしたか」
クロードを無視し、女官長と呼ばれた女性はルイーゼたちに向かい合った。
「女官長のベルタと申します。薔薇後宮に出仕するすべての女官と侍女を取りまとめております。……王女様方、これより王城へご案内させて頂きます」
慇懃に言い、ベルタは二人に頭を下げた。
「では、お願いいたしますよ。女官長殿……」
微笑んで言うクロードに、ベルタは彼をねめつける。次いで、ふんと鼻を鳴らした。
「……魔道士風情が出しゃばって、いい気なものですわね。陛下のお引き立てがなければここまでの位に上り詰めることは難しかったでしょうに」
「そうですね。陛下は本当にお優しい……。私のような者にも情けをかけて下さるのですから」
「王女様を懐柔して、今度は一体何をなさるおつもりかしら?」
「そのような……」
「言っておきますけれど、あなたの後宮への出入りをわたくしは認めておりません。あなたが薔薇後宮にやってくると後宮の規律が乱れますので。あなたが王女様がたに手を出すようなことがあれば、わたくしは陛下にご報告いたしますよ」
ベルタはぴしゃりとそう言った。
「これは手厳しい」と、クロードは口の端だけで薄く笑む。
「覚えておきましょう、女官長殿。……ではお二人とも。私はそろそろ執務に戻らせて頂きます。機会があればまたお会いいたしましょう」
クロードはその場で優雅な辞儀をすると、漆黒のコートの裾を翻しながら去っていった。伴も付けず、一人で王城に入っていく。
思わず食い入るようにその背を見つめるルイーゼに、ベルタが吐き捨てるように言った。
「あのような者の甘言に騙されてはなりませんよ。生まれも卑しい、あんな男の戯言など……」
「生まれが卑しい?」
「いいえ、なんでもございませんわ。言葉が過ぎました。ただ……お気をつけなさいませ。あの男はあまり褒められた人間ではないのです」
……どこか棘のある言葉が引っ掛かった。
「さあ、参りましょう。まずは記録係の女官たちに会っていただきます」
背を向けたベルタに、香緋がどこか心細そうに訊ねる。
「……父さんはどこ?」
「え……、今まで一緒じゃなかったの……?」
ルイーゼは恐る恐る訊ねる。
すると、香緋はふるふるとかぶりを振った。
「最初は一緒に宿屋にいたの。けど、謁見の時間まで時間があると思ったから、あたし一人で宿を出たの。町を見てまわったり、あんたと会ったあの教会を見たりして……。でもその帰り道、クロードの配下の騎士たちが来て、宿屋にいる父さんとは引き離されてしまって……。あとはあんたと同じで、馬車に乗せられてここに……。必死で抵抗したんだけど」
「あの御方は今陛下とお話中ですわ」
すげなく言うベルタに、香緋はすさまじい勢いで彼女に詰め寄る。
「あたしは劉に帰れるのよね!? こんなの冗談じゃないんだから!!」
くしゃくしゃに顔をゆがめる香緋に、ベルタはこめかみを押さえるしぐさをした。
「みっともない真似はおやめください。そのように取り乱して大声を出すなど、淑女にあるまじき振る舞いです。頭痛がいたします」
ルイーゼは香緋の服を柔らかく引いて、言う。
「……香緋。今は行きましょう。間違いだったという可能性もあるかもしれないじゃない」
「あ……、そう……、そうね。こうなったら間違いだったと言わせるしかないわ……。一刻も早く父さんと劉に帰りたいもの」
「そのようなことをお考えになるのはおやめなさいませ。すべて調べがついているのです。記録係たちの仕事はほぼ形ばかりのものになるでしょう」
冷ややかな視線で二人を射抜いたベルタに、思わず身をすくめる。
傍らの香緋は、心なしか落ち込み始めているように思えた。
前庭の遊歩道を進むと、また門扉があった。
後ろから進み出た女官がゆっくりと扉を開く。
グレーとオフホワイトの市松模様のタイルが敷き詰められた列柱回廊を、二人は女官たちにかしずかれながら歩いた。
「あちらに見えるのはプランタン宮。外廷でございます。奥の薄緑の建物はエテ宮。主に宴が催される場所です。次は」
「待って。そんないっぺんに言われてもわからないわよ!」
香緋が言うと、ベルタは噛み砕いて説明した。
「外廷とは殿方がお仕事をなさる場所。あちらにいらっしゃるのはほぼ男性で、内廷である後宮と対をなす場所と呼んで差し支えありません。エテ宮で開かれる宴とは大半が舞踏会です」
「外廷は劉の宮城にもあったから知ってるけど……、……待って、舞踏会……? あたしたちが仮に姫だった場合、そんなものにも出席しなくちゃいけないの?」
「当然ですわ。社交は姫君にとって一番大切なお仕事です」
ベルタの解説はなめらかに続く。
「……朽葉色の背の高い宮殿の名はオトンヌ宮です。王室の皆様が団欒やお食事をなさる場所ですわ。ですが、お食事は基本的には後宮でお召し上がりになっていただく場合が多くなるかと……」
「後宮で食事を……?」
ルイーゼが訊ねると、ベルタはうなずく。
「はい。後宮には厨房がございますので、普段のお食事はそちらからお運びすることになるでしょう。無論、料理人たちはみな女性です」
驚いてしまった。
(なんだか本当にものすごいところに来てしまったのね)
戸惑うルイーゼをよそに、ベルタは王城の北の方角へ視線をやった。
「最も遠い場所に見える群青色の宮殿はイヴェール宮ですわ。『冬の宮殿』とも呼ばれ、あちらは主に陛下のための私的空間となっております」
そこにはほんの小さく瑠璃色の屋根がのぞいていた。どうやらあれがイヴェール宮のようだ。
自らの紅い髪をくしゃりとかきやると、香緋はうんざりした風にぼやく。
「はぁ……。贅沢すぎて信じられない……。なんでこんなに宮殿ばっかり建てるのよ……。しかも、劉の宮城とは全然違うし……調子狂うわ」
「……ねえ、もしかして、劉のお城に行ったことがあるの?」
こっそりと訊ねてみると……。
「え? ああ……、あたし実は剣術指南役をしていたから、宮城にはほぼ毎日出入りしていたのよ。公主様に剣を教えていたから……」
ルイーゼはようやく腑に落ちた気がした。なるほど、だから彼女は帯剣していたのだ。
「ああ、そういうことだったのね」
「でも、まさかこんな目に遭うなんて思いもよらなかったわね……」
肩を落とし、香緋はぽつぽつと話し出す。
「事の始まりは一月前よ」
香緋とその養父のいる邸に、クロードの配下の騎士たちがやってきたのだという。
「母さんの……、第三王妃『清紗』の遺品を持っている十六歳の娘……。その条件に該当するのがどうやらあたしらしいって。あの魔導士によって、父さんと母さんの関係もすべて調べ上げられていたわ。それで騎士たちがあたしの家を突き止めて脅してきたの。今すぐスフェーンに来るようにって。あたしが第四王女であることも、腹違いの姉がいるっていうことも、そこで初めて知ったわ。それで、もし大人しくついて来なかったらひどい目に遭わせると脅されたの」
「まあ、そんな……!」
「それであんたも知っての通り、山と砂漠を突っ切ってこの国に来たのよ。荷馬車の旅で一月もかかったけど、父さんは用心棒をしていたから全然怖くなかったわ。でも旅の間中、見張りの騎士が大勢ついてきたの。あたしにはむしろそっちの方が怖かった」
恐らく香緋が途中で逃げ出さないか見張っていたのだろう。
ルイーゼはうなずいた。
「それならなんとなく理解できるわね。今朝も、宿屋にいるはずの貴女が急にいなくなったから、きっと見張りの騎士は慌てたんだわ」
「ええ。だから予定を早めたというわけなんでしょうね。逃げ出そうとしたと思ったのかも。昨夜も宿屋にあの魔導士が来たのよ。騎士をたくさん引き連れてね」
『陛下とのお約束をどうかきちんと果たされますよう……。あなた方が抵抗する素振りを見せられた場合には、相応の罰を与えると仰せです。ここは素直に従うのが賢明というものでしょう』
無慈悲な魔導士の言葉に、香緋は「約束などしていない、これでは脅迫も同然だ」と声を上げた。
だが、養父が手を引いて止めたのだという。
『香緋。今はこの方に逆らうべきではない。俺の言う通りにしろ』
『……でも!』
義理の父、陽春はそこで力強い笑みを浮かべたという。
『これは清紗との約束なんだ。あいつの忘れ形見だけは、しっかり守り抜いてみせる』
(確かに怖いわね……。いきなり家を暴かれて、遠い異国にやって来るよう強制されて……)
だから教会で会ったとき、浮かない顔をしていたのだろう。
「父さん……! 無事でいてほしいわ」
爪を噛む香緋に、ルイーゼはなんとか言葉をかける。
「きっと大丈夫よ。凄腕の用心棒だったって言っていたじゃない」
「……けど、あの男は只者じゃなさそうだわ」
「どういうこと?」
香緋は厳しい顔で言う。
「……あの男、魔導士なんでしょ? もしかしたら、あたしたち凡人にはわからないことがわかるのかもしれないじゃない。例えば、あたしたちが教会で会っていたこともすべて御見通しだったとしてもおかしくないわ。王とも親しいみたいだし、油断はできないわね」
「そうなのかしら……。私、魔導士ってよくわからないの。そんな肩書を出されても、おとぎ話みたいで実感もなかったし……」
そこで、今まで黙っていたベルタが口を挟む。
「あの男についてなにか知ろうとなさる必要はありません。いくら陛下に重用されているとはいえ、王女様方の御前ではただの臣下に過ぎないのですから」
「は、はい……。わかりました」
ルイーゼはびくびくしながら答えたが、ベルタにきつく睨まれた。
「……。そのお言葉遣いも直していただかなくてはなりませんわね。姫君教育はきっちり施されるとは思いますが、貴女はもはや下町のルイーゼ様ではなく、第三王女のバイオレッタ様なのですよ。そのようなお言葉遣いでは女官たちに侮られます。あのエリザベス様の御子でありながら、なんと嘆かわしい……」
「すみませ……」
頭を下げようとして、やめる。
女官たちの忍び笑いにいたたまれなくなった。
エリザベスは……、母妃はそんなに立派な女性だったのだろうか。
気になったが、これ以上落ち込んでしまうのが怖くて、聞くのはためらわれた。
(私、どうしていつもこんなに弱いの?)
急に心臓がばくばくしてきて、ルイーゼは手のひらを握りしめる。
いつもの悪い癖で、緊張したり厳しく怒られたりするとすぐにこうなってしまう。アルバ座でもやはりそうで、座長に注意されたり客に怒鳴りつけられたりすると途端に鼓動が速くなってしまっていた。
と、ふいに香緋がルイーゼの肩に手を置いた。ベルタに聞こえないように小さく言う。
「……気にしなくていいわよ、こんな人の言うことなんか。あんたはあんたでしょ」
「香緋……。ありがとう……。私は貴女に励まされてばかりね」
「あたしだってあんたには救われてるわ。あたし一人じゃきっと打ちのめされてたもの。なんだか変なことになっちゃったけど、あんたが一緒でよかった」
ルイーゼはまじまじと香緋の横顔を見た。
(この子の言葉、なんだか心強い……。こんな子が一緒なら、なんとかやっていけるかしら……)