第十九章 試験の始まり

 
「……ふう」
 薔薇後宮から本城へと続く遊歩道プロムナードをしずしずと行きながら、バイオレッタは肩を揉み解した。
 
 連日の夜会とレッスンで身体を酷使しているせいか、全身がずっしりと重たい。
 しかも幾重にも層を重ねたドレスと装飾品のせいで、肩こりはひどくなる一方だ。
 こんなにごてごてとつけなくてもいいのにと思うくらい、バイオレッタのアクセサリーは多い。
 しかも、そのどれもが純金や純銀、大きくカットされた貴石などでできているので、どうしたってくたびれてしまう。
 
「浮かないお顔ですわね」
「だって、夜会や勉強続きで疲れてしまったのだもの」
 正装姿のサラは口元に手をあてがってくすくすと笑う。
「お疲れ様です、バイオレッタ様」
 
 
 王女として復権したバイオレッタとピヴォワンヌには、父王リシャールによって教師がつけられた。
 振る舞いや言葉遣いなど、礼儀作法についてきっちり教え込まれ、自分のこともなんとかきちんと「わたくし」と呼べるようになった。
 上品な扇の持ち方。優雅に見えるお辞儀の作法。気に入らない相手からの誘いを上手に断る方法。
 とても複雑で難しいレッスンもあるが、劇場で育ったせいかあまり一つ一つの動作に違和感を覚えなかった。むしろ、女優たちの演技のベースになっていたものが間近で見られて楽しかった。
 扇やパラソルで送る合図について勉強した時には、令嬢あるいは姫君のささいなしぐさには一つ一つ意味が込められているのだということを知った。自分の立ち姿や指先が少しずつ洗練されていくのを感じて、思わず嬉しくなったものだ。
 その一方で、ピヴォワンヌは大苦戦していた。
 彼女はそういった女性らしい振る舞いというのは大の苦手のようだった。
 最初のころは、扇で風を起こしても教師とダンスを踊っても、どうしても荒々しくなってしまっていた。
(レッスン中に何度も注意されてぐったりしていたっけ)
 だが、何度かレッスンを受けるうちに頭角を現し始めたのか、ピヴォワンヌの様子はしだいにいきいきしたものになっていった。
 特に最近の彼女のダンスには目を見張るものがある。剣術をたしなんでいるせいだろうか、動きに無駄がなくて見ていて快いのだ。
 宮廷の婦人たちが持つような淑やかさはないかもしれないが、とても軽快で、まるで小さな紅い蝶が舞っているかのようだった。
 褒めるとピヴォワンヌは照れて怒ってしまうのだが、それもまた可愛いと思う。
 ……もちろん、こんなことを言ったらピヴォワンヌ本人には激怒されそうではあるが。
 
 レッスンが一段落して父王に認められた後は、式典にも参加した。
 リシャールが前もって宣告していた「披露目の儀」である。
 復権した王女二人の披露目という意味ももちろんあったが、一番の目的は女王選抜試験の開始を民たちに知らせることだった。
 バイオレッタも送られてきた濃いすみれ色ヴィオレのドレスに身を包み、パライバトルマリンのパリュールで盛装の仕上げをして式典に臨んだ。
 立ち並ぶ魔導士や大臣たちとともにバルコニーで民の前に姿を見せたときは戸惑ってしまった。人だかりが一斉にどよめいたからだ。
『あのエリザベス様の御子か?』
『帰っていらしたのね……!』
 そんな声が方々から聞こえてきて、どうしていいのかわからなくなった。
 隣のピヴォワンヌはといえば始終つんと澄ましていた。
 蘇芳色のドレスを着つけられ、髪も淑女らしく結われ、愛らしいおもてに華麗な化粧まで施してもらったにもかかわらず、彼女は最後まで憮然とした態度で国民を見下ろしていた。
 ……が、あとで聞いたところによると、内心ひどく苛立っていて感情を抑え込むのに苦労していたのだという。
 反対にオルタンシアとミュゲの立ち居振る舞いは堂々としたものだった。
 オルタンシアは空色ブルー・アジュールのドレスで着飾り、瑠璃色の髪はア・ラ・ジラフ型に結い上げていた。
 無数の生花で彩られた髷は同性から見てもはっとするほど艶やかで、バイオレッタは羨望のまなざしで彼女を見つめた。
 ミュゲもまたエメラルドグリーンエムロードのローブ・ア・ラ・フランセーズを立派に着こなし、優雅な手つきで民たちに手を振っていた。
 金糸の刺繍が入ったヴァトープリーツを引きながらそろりとバルコニーに歩み出る姿は、まさしくスフェーン男たちが愛好する「妖精めいて繊細な女性」を体現しているかのようだった。
 
 一通り王女たちの披露目が済んだあと、バルコニーに姿を現したのはリシャールだった。
 彼は書状を握りしめながら声高に言った。
『僕はここにいる四人の王女たちに王位継承権を与える。第一王女オルタンシア、第二王女ミュゲ、第三王女バイオレッタ、そして第四王女ピヴォワンヌ。本日より一年の間、それぞれの資質を磨き、武力、美貌、信頼の三要素に適う世継ぎとなれるよう日々精進するがよい』
『――イスキア歴三八〇八年、春。今ここに、女王選抜試験の開始を宣言します』
 宰相の一言で、元老院の重鎮や魔導士たちが一斉に頭を垂れる。
 そしてその式典での宣言を皮切りに、とうとう試験が始まってしまったのだった。
 
 
 今日は、リュミエール宮で父王から試験についての説明を受けることになっている。
 バイオレッタが≪星の間≫にたどり着くと、騎士たちが恭しく一行を出迎えた。
 オルタンシアとミュゲはすでに到着しており、あとはピヴォワンヌとリシャールの参着を待つばかりとなっている。
 バイオレッタ一行を見やって、オルタンシアが嘲笑した。
「城下育ちの方はのんびりしていらっしゃっていいわね。わたくしよりも遅れてくるなんて」
「も、申し訳ございません……」
 バイオレッタは殊勝に頭を下げたが、オルタンシアの指摘はそれだけに止まらなかった。
「……まあ、随分風変わりな格好ね。王都ではそういった着こなしが流行しているの?」
 オルタンシアの言葉に、取り巻きの侍女がくすくす笑う。
 バイオレッタは思わず自らの全身を確かめた。
 アンガジャントののぞくパステルブルーのローブに、ピエス・デストマの上に行儀よく並んだエシェルリボン飾り
 波打つ白銀の髪は鏝を当てて緩くまとめている。宝飾品だってそこまで派手なものは身に着けていない。レースをあしらったチョーカーや髪飾りはつけているが、貴石が用いられているのはエシェルの上のブローチくらいのものだ。
 一体何が変なのだろうと、バイオレッタはきょろきょろと落ち着きなく自身の姿を眺めまわす。
 サラの身づくろいは毎回完璧そのもので、落ち度などあるはずもない。特におかしなところなどないはずだ。
 そこでバイオレッタは、オルタンシアが自分を貶すためにわざとそんなことを言ったのだと悟る。
 傍らのサラがむっとした風に唇を尖らせる。
 彼女は出会ったばかりの頃からこうだ。他の姫たちにバイオレッタが負けないよう心を砕き、一生懸命補佐してくれた。
 もっと上品に、もっと華やかに。
 そんなことを言ってつたないながらも工夫を重ねてくれるサラを、バイオレッタは信頼していた。
(なのに、あんまりだわ。サラの着せてくれたドレスのことをこんな風に言うなんて)
 悔しいけれど何も言い返せない。オルタンシアの持つ気迫に、バイオレッタはどうしても負けてしまう。
 前に出て反論するだけの勇気を持てずに、彼女は押し黙った。
 すると。
「ほほ、本当に意志の弱い子ね。黙っていたって何が言いたいのかわからないわよ?」
 蜂のようにくびれた腰に手を当て、ふくよかな胸を反らして、オルタンシアは高らかに笑った。
 その様子に、バイオレッタはますます縮こまってしまう。
「……」
 ミュゲはといえば、無言で二人の様子を眺めている。我関せずといった調子だ。
 が、二人に順繰りに目をやって、彼女はくすりと冷笑した。
 バイオレッタはいたたまれなくなる。
(ああ……、ミュゲ様に笑われてしまった。恥ずかしい……!)
 
 
 やがて異母妹ピヴォワンヌが到着し、≪星の間≫の奥からリシャールが登場する。
「みな揃っておるようだな。……おもてを上げよ」
 命令を受け、バイオレッタは気を引き締めてリシャールと向かい合った。
「よく聞け、そなたら。此度の試験においてそなたらに任せる領地が決定した」
 言ってリシャールは、王女四人にそれぞれが治める領地の名を告げた。
 オルタンシアは、北区に最も近いマルティン領。
 ミュゲは王都から西に進んだ平野に広がるミュエット領。
 異母妹のピヴォワンヌもまた、東のフレール領の統治を一任された。
「……そして、第三王女バイオレッタ。そなたはスフェーンでも南方に位置するレベイユ領を治めてみよ」
「そちらは一体、どのような――」
 バイオレッタの問いに、リシャールは淡々と言う。
「ありていに言えば僻地だな。ここはシエロ砂漠に面しているから魔物や賊が多いし、砂漠の熱風をまともに食らっておる。作物は育ちにくく、飲み水も極端に少ない。だから僻地だ」
 事もなげにリシャールが言うので、バイオレッタは急に不安になる。
 ……復権したばかりの自分が、僻地を治める?
(そんな……、いきなり僻地なんて言われても)
 廷臣によって差し出された書状には、レベイユ領らしき土地の簡素な地形が描いてある。
 スフェーンでも最南端の土地らしく、領地のすぐ下の方に「シエロ砂漠」の文字が見て取れた。
「そなたらに、これらの領地と爵位を授ける。試験終了までの間、見事それぞれの地を治めてみせよ」
 リシャールの発言に、オルタンシアが不思議そうに問うた。
「爵位ですって? お父様、それは一体どういうことですの?」
「土地は実際にそなたらが試験の期間中に所有するものだ。それに合わせた爵位を、王女という称号とは別に授ける。しかしながら、勝敗がついた時点で称号と領地の所有権は次期女王のもとに返還されるものと心得よ」
「つまり、この一年の間だけのかりそめの称号と身分、ということですのね」
「そうだ。この四つの領地はスフェーンの中でもまだあまり開発が進んでおらぬ。未開の土地というのは、生きた人間の赤子と全く同じものだ。痩せさらばえることもあれば肥沃になることもある。よって、これらを治めることによって、そなたらの統率能力や判断力、ひいては政局を正確に読むことができるかどうかを試させてもらう。まずは各地から登城してきた使者、そして騎士らとともに領地に赴け。領民と心を通わせることも領主の務めだ」
 四人の姫たちは淑やかに腰を折った。
 
 
 王が退室すると、≪星の間≫に取り残された姫たちはそれぞれの反応を見せ始めた。
 まず、オルタンシアが満足げに表情を緩める。
「マルティン領なら知っていますわ。確か、王都近くの穀倉地帯よね。試験なんていうから、どんなに大掛かりなものかと思っていたけれど……。これならわたくしの一人勝ちかしら」
 ピヴォワンヌが手元の羊皮紙に視線を落としたまま、うんざりしたふうに答える。
「あら、言ってれば。どうせあたしたちには分が悪いわよ。城下育ち、異国育ちじゃ、スフェーンの土地に詳しくなる機会なんか全然ないんだから。けど、あたしはあたしなりにここでやっていくって決めたから、あんた相手でも遠慮はしないわよ」
 オルタンシアはほほほ、と笑う。
「まあ。威勢のいいこと。でも、すぐに後悔することになると思いますわ。貴女とわたくしじゃ、生まれも育ちも違うのだから……」
「不義の姫の一体どこが生まれがいいのかしら? 育ちだってたかが知れてるじゃない、だってこんなに性格が悪いんだから」
「なっ……!! なんですって!? たかだか妾の娘の分際で――」
「うるさいわ、お姉様」
 オルタンシアの声を静かに遮ったのはミュゲだった。
 彼女は姉を冷ややかに一瞥した。
「書状が読めないから声を抑えて下さいません? 先ほどから甲高い声が耳に響いて頭痛がしそうですわ」
「……あらそう。ごめんなさいね」
 つっけんどんに言い、オルタンシアは筆頭侍女をさしまねく。
「アデライド。帰るわよ」
「はい、姫様。お供いたしますわ」
 オルタンシアの一の侍女であるアデライドは、飴細工のような金の巻き毛に、猫のように丸く大きなサファイアの双眸をしている。
 金髪に蒼い瞳というスフェーン人らしい特徴を持っている少女で、そうした部分だけならサラとよく似ている。だが、その言動には棘があり高慢だ。
 彼女はミュゲに視線を投げかけて、小ばかにしたように笑った。
「……相変わらず可愛げのない方。貴女も大変ねぇ、カサンドル?」
 ミュゲの傍らに控える筆頭侍女が、わずかに眉をひそめる。
 カサンドルと呼ばれた彼女は、くすんだ金茶の髪を肩口で切りそろえた物静かな女性だ。瞳は切れ長で、お世辞にも大きな目とは言い難い。華のあるアデライドに比べれば質素な雰囲気で、言葉は悪いが堅物そうである。
 彼女はついとおもてを上げると、アデライドに向けてぴしゃりと言い放った。
「アデライド。わたくしの姫様を侮辱なさるのは許しません。改めてくださいませんか」
「ああら、怖い。まるで自分が侮辱されたみたいな言い方」
「同じことです。わが女主人への批難は筆頭侍女への批難でもあります。貴女は何の根拠もなしにわたくしたちを貶めようとなさいました。今すぐミュゲ様に謝罪してください」
「姫様! カサンドルが、カサンドルが……!」
 アデライドが泣きつくと、オルタンシアが顔をしかめてすいと前に出る。対峙するかの如く、ミュゲも異父姉の前に歩み出た。
「まあ。ミュゲったら。筆頭侍女の躾もできないなんて。それにしても恐ろしいわ、まるで犬みたいに噛みついてくる侍女ね」
「お姉様の権高けんだか侍女ほどではありませんわ。カサンドルはとても優秀な侍女ですもの、ただ威張り散らしているだけのアデライドとはわけが違いますの」
 姉妹は一瞬だけ視線を交わした。どこか張り詰めたような空気が漂う。
 バイオレッタは思わず二人を見守った。
(……? 仲がお悪いのかしら……、この前まではもっと親密そうだったのに。これは気をつけた方がいいかもしれないわね……)
 
 
 二人が退室すると、ピヴォワンヌがふうと息をつく。ガチガチになっていたらしい身体の緊張を解き、伸びをする。
「はぁ……。なんだか疲れたわね、バイオレッタ。あいつらがいると内輪の話が全然できなくて嫌よねぇ」
「ええ、ちょっと気後れしてしまうというか……。やっぱり高貴な方は育ちがいいのね」
 オルタンシアもミュゲも、紛うことなき王城育ちだ。やはり自分たちとは何もかもが違うのだろう。
「なぁに? あんたまでその話題? 確かに王妃のアウグスタス家は、さかのぼれば王家の血を引いているけれど……。けど、それにしたって不貞は不貞でしょ。自分が隠れて作った子供を、平然と王の庇護下に置かせている。これがまず問題よね」
「姦通に当たる行為ですものね。お父様は案外お優しい方なのかもしれないわ」
 ピヴォワンヌは盛装に合わせて結い上げた髪を撫でつけた。
「アウグスタス家の人間たちが進言したことは明らかよ。王妃シュザンヌも、不義密通がばれたときには離宮送りになったらしいけど、今じゃ出てきちゃってるしね。アウグスタス家の権力の強さと、あの王太后の影の実力がうかがえるようだわ」
 王太后ヴィルヘルミーネ。国王リシャールの生母にして、王妃シュザンヌの伯母に当たる女性だ。
 確かに、過去に摂政を務めた彼女が訴えかければ、臣下たちは喜んで動くだろう。今なお王太后の支持者は多いと聞くし、その息子であるリシャールに彼女の面影を見出そうとする者もいるほどなのだ。
 つまりは、王太后はピヴォワンヌの言葉通り影の為政者であり、言ってみれば王城のもう一人の主なのである。
(だけど……オトンヌ宮でお見かけした王太后様、なんだか少し恐ろしかったわ)
 リシャールへの偏愛や執着のようなものが垣間見え、バイオレッタは単純にぞっとしたのだ。確かに、母子として血の繋がりがあれば、ある程度癒着していても不思議ではないけれど……。
「それにしても、あの姉妹たちはあたしたちとそれほど変わらないわ。生まれも育ちもね。確かに王宮暮らしが長いっていうのは向こうの強みでしょう。けど、だからといって別にあたしたちが引けを取っているわけじゃない。こっちはれっきとした王の子だし、わからないことがあればこれからいくらでも学べばいいわ」
「……変わったわね、ピヴォワンヌ。近頃の貴女はなんだか、きらきらしてる……」
「バイオレッタ。あんたがいてくれたからよ。あんたがいてくれれば、頑張れるわ」
 ピヴォワンヌはふっと微笑する。花開くような可憐な笑みに、思わず目を奪われた。
「あーあ、それにしても面倒くさいなぁ。試験になんか好きで巻き込まれたわけじゃないのに」
 ごきごき肩を鳴らしながら、ピヴォワンヌはぼやく。頑張ると息巻いたはいいものの、女王選抜試験そのものは言葉通り「面倒くさい」らしい。
 バイオレッタは苦笑いしつつうなずいた。
「そうね……。好きでこんな風になっているわけじゃないし、戸惑うわよね……」
 
 
 そのとき、まだ≪星の間≫に残っていたクロードがこちらへ歩み寄ってきた。
 彼はにこやかに唇を開く。
「姫。試験の内容に関して陛下よりお話がありましたが、いかがですか? 何かわからないことがおありなら、教えて差し上げましょうか?」
「クロード様。あの、ですが……、他の姫君に教えないのに、わたくしにばかり手ほどきをしては……」
「私はシュザンヌ妃のご姉妹には一通り御教授させていただいております。貴女は王宮にお戻りになられたばかりなのですし、陛下もわからないことがあれば私を使うようにとおっしゃられたでしょう。何も遠慮はいりませんよ」
 確かにリシャールは「知識の源としてクロードを使え」と言っていた気がする。そしてシュザンヌの姫たちにはもう一通り教えているというから、批難されることもないだろう。
 そういうことなら問題はなさそうだと、バイオレッタは手元の羊皮紙に視線を落とす。
「では、レベイユ領について教えてくださいますか?」
「シエロ砂漠に面した最南端の領地です。この近隣地区には王直轄の鉱山があり、ダイヤモンドやルビーなどが採掘されています。ご存知かとは思いますが、スフェーンの北には海が、南には砂丘と貧民街が広がっており、南区の砂丘はそのままシエロに続いています。レベイユ領とはすなわち、貧民街やシエロと隣り合わせの場所にある荒地のことです」
「では、レベイユは僻地であるばかりか、環境がものすごく悪い土地ということですか?」
「ええ。あの辺りはもともと賊の襲撃を受けやすく、また魔物が跋扈する地域でもあります。砂漠から異国人たちが入ってくる場所でもありますが、それはまっとうな人間ばかりでなく、盗賊やならず者も多いのです。近隣地区での鉱石の採掘を狙う場合も多いようで、地元の採掘者たちが襲われることもありました。また、シエロは元来、邪神ジンが生み出した場所。砂丘や貧民街の周辺には、ジンの魔力に影響された魔物が多く棲みついています。貴女のような姫君が治めるには、正直、生易しい環境ではないかと……」
 レベイユ領の真実を知り、バイオレッタは単なる僻地ではないのだとやっとわかった。父王は僻地としか教えてくれなかったが、あれは単に言葉を濁したに過ぎなかったのだ。
「そ、そんな怖い所に行かなければいけないなんて……」
「ですが、ここで姫が気になさるべきは、かの地の領民のことでしょう。怯えさせてしまうようで心苦しいのですが、レベイユの民たちは王族を信用しておりません。彼らは長年、近隣の鉱山での厳しい採掘を強いられてきました。乾燥しきった灼熱の地でです。けれど、危険な仕事をさせられるわりには彼らの生活は潤いません。労働の対価はすべて領主のものとなるからですよ」
 なんでも、採掘した石はすべて前領主が独占していたのだという。
 女王選抜試験にあたって解任されたその領主というのは、かなり癖のある人物だったようだ。
「領民たちとの折り合いがそもそもよくなかったようですね。税金の滞納、悪徳商人への鉱石の横流し、落盤事故に対して対策を行わないなど、悪名高い領主だったようです。領民がそうした件で何度も意見書を送ったにもかかわらず、ことごとく却下しているようなのですよ。それを思えば、統治にあたっては領民と親しむことを最優先にした方がよいかもしれませんね」
「なるほど……。複雑な事情がある場所だったのですね。統治に関してはまだちっとも自信はありませんが、頑張らなくてはいけませんね。一時のこととはいえこれからは爵位を授かるわけですから、気を引き締めていきたいと思いますわ」
 バイオレッタがそう口にしたとき。
 
 
「――よくぞ断言なされました、第三王女殿下」
 甲冑姿の屈強な男性が、≪星の間≫の入り口にたたずんでいた。
 彼はしっかりとした足取りでバイオレッタのもとへやってくると、重厚な甲冑をものともせず、軽やかに膝をついた。
「お初にお目にかかります。私はギード・アンセルムと申します、姫様。レベイユ領での統治にあたり、私が姫様をお守りすることになりました。よろしくお見知りおきください」
 ギードは生真面目に頭を下げた。年のころは三十路にも差し掛かっていないようだが、クロードよりも少しばかり年上のようだ。ほどよく焼けた肌色が健康的である。
「ええ……っ!? い、一体なぜわたくしのところに……!? まだお父様から領地のお話をお聞きしたばかりなのに……!」
「過酷かつ劣悪な環境を一任された姫様に、一言励ましの言葉をおかけしたくて参った次第です。どうか、レベイユの民を正しくお導きください。統治にあたりましては、私めが全力で貴女様をお支えします」
 わざわざ挨拶に来るあたり、とても真面目な青年らしい。そして、レベイユの行く末を心底案じているのだということも伝わってきた。
 彼は跪く姿勢を取ったまま、バイオレッタをうかがい見る。
「姫様のことは、過去に何度かお見かけしました」
「えっ? どちらでお会いしたのでしょう……? いやだわ、全然覚えていなくて……」
 ギードは白い歯をこぼして笑った。そうすると堅苦しげな印象が和らいでなんだか親しみやすくなる。
「姫様が城下から王城へいらっしゃる折、姫様のお荷物を預かる栄誉を頂いたのがこの私です」
「……えっ。ではギード、あなたはアルバ座にいらしたあの騎士様ですの……?」
「はい。ですが、騎士様などと申されると少々気恥ずかしい思いがいたしますね。私はまだ半人前もいいところですから」
 そう言って、ギードは日に焼けた頬をうっすらと紅潮させた。その姿に、なぜだかバイオレッタまでこそばゆい気分になる。
「わたくしだって、姫様なんて呼ばれるのは恥ずかしいですわ……、分不相応な気がして……」
「そのような。姫様は復権なさってから貫禄が出ていらっしゃいました。不敬を承知で申しますと、私は最初、姫様に対しては疑念しかありませんでした。このような方に王女が務まるのだろうか、責務を投げ出して城下に帰るとおっしゃるのではないだろうかと。ですが、杞憂でした。貴女様は前向きに頑張っておられる。まだお若いにもかかわらず、泣き言の一つもおっしゃらない。そして、できることを一つ一つ、着実に積み重ねていらっしゃいます……」
 誠実かつ真剣な褒め言葉が並び、途端にバイオレッタは恥ずかしくなった。
「……か、買いかぶりですわ、ギード。まだ何一つ成果が出ていないのですから、そのようにおっしゃるのはおやめになってください」
「いいえ。そのようなことはありません。姫様を見ていれば明らかです。……随分と成長なされましたね」
 ギードの言葉に胸が熱くなる。
 ささやかでもたゆまぬ努力を続けてさえいれば、認めてくれる人物というのは必ず現れるものなのだ……。
「此度の試験、全力で頑張っていきましょう、姫様」
「ええ。まだ自信はありませんが……よろしくお願いしますね、ギード」
 ギードは一礼すると踵を返した。
 
 
「あのような男がお好みだったとは露ほども知りませんでした。意外と渋好みですね、姫」
「ひえっ……!」
 振り返ると、案の定クロードだった。バイオレッタの耳元に顔を寄せ、からかうような笑みを浮かべている。
「そ、そんなつもりで話していたわけではありませんわ。クロード様だっておっしゃったではありませんか、領民たちと仲良くなった方がいいって」
 クロードはうなずく。
「もちろん……。領民の心を知ることが、統治への第一歩です。自分が何を望まれているのかを知れば、おのずと道は見えてくるでしょう」
 バイオレッタはぎゅっと手のひらを握りしめてうなずいた。
「はい……。まずは一度、レベイユに行ってみなければ……。わたくしに何ができるのか、確かめなくては……」
 
 

 

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